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1.大晦(17)

「感謝してる」  隆人がぽかんと口を開けて、遥の顔を穴が開くのではないかというほど見つめ返してきた。  今度は遥が顔をしかめる番だった。 「なんて顔するんだよ」  我に返った隆人が怒ったような口調で答えた。 「お前が、妙なことを言い出すからだ」 「妙とは何だ。失礼なヤツだな。感謝しちゃいけないのかよ」 「ああ、良くないな」  子どものような隆人の言いぐさに遥も頭に来た。 「何でも聞くって言っただろうが」 「俺は不満を言えと言ったんだ。感謝などされる覚えはない」 「勝手なことばかり言いやがって」  離れていては埒が明かない。  遥は鳥籠を出て、隆人の前にぺたっと正座した。そしてやや高い位置にある隆人の目をにらみ据えた。 「俺は自分が凰になったことにはもう不満はない。俺が自分で決めたことだからな。先になれと言ったのはあんただが、それでいいと俺が決めた。だからそのことは蒸し返すつもりはない。だけど――」  急に言葉に詰まって押し黙った。うつむき、腿の上に握った自分の拳を見つめる。 「『だけど』、何だ?」  つっけんどんに隆人が促す。遥は肩を上下させて呼吸してから、口を開いた。 「俺自身はそれで納得していても、どうしても父さんのことを思うと、時々いたたまれなくなる。昨日、墓の前に立ったら、後ろめたく思った」  隆人から苛立ちの気配が消えた。 「そうか」  遥はうつむいたまま夢中で続ける。 「わかってるんだ。たとえ父さんが生きていて、俺の決めたことを許すと言ってくれたとしても、たぶん俺はどこかでこうなったことや、こうなった自分を後ろめたく感じたはずだ。でも、そんな風に考える俺を、俺自身もどうにもできない」  一呼吸して、気持ちを静めた。ゆっくり顔を上げ、隆人を見る。隆人もじっと見つめてきていた。 「ただ、あんたが俺のことを気にかけてくれるから、楽になる。父さんには認められなくても、俺は別の価値観で俺を見てもいいんじゃないかと思える。だから考えなしだったり逆らったりする俺を庇ってくれていることをとても感謝してる。それがなかったら、凰でいることはけっこう辛いと思うんだ。特別でいろと言われることは、他人から『お前は仲間じゃない、あっちへ行け』と言われているのとあまり変わらない。そう言わないのはあんただけなんだよ、結局」 「俺たちはつがいだからな」  その言葉に素直にうなずけた。 「それに、父さんたちの墓をきちんとしていてくれたことにも感謝してる。ありがとう」  微笑み、軽く頭を下げる。  隆人の手が、遥の頬に触れた。手のひらの温もりとその穏やかな眼差しに肩の力が抜ける気がする。  静かに隆人がつぶやいた。 「お前がこんなことを言うとは意外だった」 「ひでぇ言い方」 「だが、俺もお前に言いたいことはある」  遥は苦笑した。 「聞かなくてもわかってるよ。『あんた』って言うなってんだろ? ごめんなさい。以後気をつけます」  隆人がまた顔をしかめた。 「今更そんなことを言うものか」 「じゃ、何だよ」  口をとがらせた遥の体は、気づいたら隆人の胸に抱きしめられていた。  突然のことで驚いた遥の耳に、隆人がささやいた。 「あいしてる」  息が止まった。  ささやきは続く。 「何物にも代え難く。決して俺から離れるな。俺の側で俺だけを見つめていろ」  体が震えだす。 「お前が必要だ、遥」  反応できない。震えながら抱きしめられていることしかできない。 「お前は俺のことが好きか?」  また訊かれた。  遥は目を閉じ、隆人の背に腕を回した。体に回されている隆人の腕に力が込もるのがわかる。 「うん……好きだと、思う……たぶん」 「たぶん?」 「自信が持てないんだよ。誰も好きになったことなかったから。いつだって一番大切なのは父さんだった。それはたったひとりの家族だからだと思うけど、今は――」  遥は喘いだ。そしてつぶやくように続ける。 「今はあんたのことを大切だと思える。でも、これは好きってことなのか? 俺はあんたのことが好きなのか?」  隆人が苦笑したのがわかった。 「俺に訊くな。自分で考えろ、このファザコンめ」  体を引きはがされた。  胸元がいきなり寒くなった。 「鳥籠へ戻れ」  事務的な口調で命じられた。肩すかしを食らったような気持ちで、中へ入る。  遥が正座したのを見てから、隆人がぱんぱんと手を叩いた。 「お呼びでございますか?」  則之が襖の向こうに姿を見せた。 「凰の仕上げをしてこい」  遥はふっと息を吐いた。もう一度体内をきれいにしてこいということだ。 「かしこまりました」  則之が丁寧に頭を下げた。

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