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1.大晦(18)

 則之に連れられて、夕方と同じく御仕度場へ行く。  ここは当たり前に電灯で照らされていた。その光がひどくまぶしく、目が慣れるまでしばらくかかった。  桜木が条件付きで一族に戻され、遥の世話係を続けることができるようになったのは、仮の凰の世話を成し遂げたからだが、それだけでは本邸の最奥――鳳凰の間周辺への出入りは許されなかった。それが認められたのは、遥が原因だ。 「俺の世話係は桜木だ。今更それ以外の奴に浣腸されてたまるか。それだけでやる気が萎える。俺がイけなくていいのかよ」  隆人はそれを聞き入れなかった。 「物事には順序がある。観念しろ」  だが、本当に遥は本邸ではセックスに酔うことができなかった。  五月末、一泊で本邸に帰ったとき、桜木以外に世話をされた遥は隆人に組み敷かれても欲望が兆さず、最後は隆人の手で物理的に射精させられた。披露目で満座の注目の中、あれだけ緊張した状態でも上りつめた遥であるのに、だ。 「俺は世話係が桜木以外ではイけないと始めから言ったはずだ」  そう吐き捨てると隆人の体を乱暴に突き放し、屈辱に歯を食いしばりながらキングサイズのベッドの端で、隆人に背を向けて寝た。  隆人がこの事態にすぐ動いたのは当然だった。まずこの一泊はなかったものとして五家に箝口令を敷いた。五家の束ねの桜谷本家当主隼人、本邸管理の束ねの樺沢本家当主達夫、分家衆世話役を呼びつけて話を通すと、隆人は分家衆および五家に対し東京別邸に招集を掛けた。その場で隆人は遥の精神状態を盾に、桜木が世話係として本邸最奥まで立ち入って遥の用を務めることをたった十分で認めさせた。  否も応もない。凰たる遥がよりによって儀式の行われる本邸で、鳳とのセックスで上りつめられないのだ。桜木に世話をされた披露目では満座の注目の中、意識を飛ばすほどの悦びを得た明らかな事実があるにも関わらず。  一族外の凰は鳳とのセックスに我を忘れるほど溺れ、快楽を極めるほどに仲睦まじくなければその力を発揮できない。鳳凰がむつまじくあることは一族の総意だ。それを妨げる者は一族に反旗を翻したと見なされる。よって凰を思いやる鳳の要求を拒める者など、一族には誰一人いなかった。何かと隆人にたてつく分家上席二家でさえ口答えできなかったらしい。  後になって隆人の迅速な対処を知った遥は、隆人の言っていた物事の順序というのは、認められにくい要求は小出しにするという意味だったのだと悟った。 「隆人様は我々を逃げ場のないところへ追い込むのが大変お上手な方なので」  隆人に秘書としても護衛としても、常に従う桜谷隼人がそんなことを言っていた。  夏鎮めの儀での本邸行きでは、遥は晴れて桜木を世話係として従えることができたのである。 「よかった」  思わず口に出していた。体を拭いてくれていた則之が不思議そうな顔をした。 「世話係が桜木で。そうでなければ、今頃憂鬱で嫌になっていただろうな」 「恐れ入ります」  鏡に則之の穏やかな横顔が映っている。思わず声を掛けていた。 「則之」 「はい?」  促すような眼差しに恥ずかしくなり、うつむいた。 「好きな相手って、いるか?」 「は?」  明らかに戸惑っている。訊かなければよかった。ただ、いきなり話を打ち切るのも無様で、遥は外してあった例のベルトを自分ではめながら、もごもごと付け加える。 「い、いるのかなと、思って……」 「おります」  きっぱりとした答えだった。遥の方が思わず戸惑うくらいの断言だった。 「わたくしの一方的な思いですし、普通の恋愛感情とは異なると存じますが、好きであることは確かです」  則之にそんな相手がいたとは知らなかった。休みには会っているのだろうか。 「それって、いわゆる片思い?」 「片思いと認めてもらえるなら幸せです」  妙な答えだ。いったいどんな相手を思っているのだろう。  則之が遥の肩に長襦袢を掛ける。 「なぜそのようなことをわたくしにお訊ねに?」  問い返されて慌てた遥は袖に通すはずの手を袂の方に突っこんでしまった。 「え? あ、その……」  恥ずかしさに頬が熱い。一呼吸してから袖口へと入れ直す。則之が頭を下げた。 「ご無礼をいたしました」  主に対して出すぎたことを言った――則之の態度はそうだ。こんなふうに退()かれると、孤独を感じる。遥と桜木とは対等ではない。あくまでも主従だ。遥はそんなものにはなりたくなかったが、則之の側は従であることを望んでいる。  遥はため息をついた。 「隆人が、俺のことをファザコンだってさ」  則之が襟元を整えながら、遥をちらっと見た。遥はその視線から逃げる。 「隆人のことはとても大切に思っている。でも時々は父さんのことを基準に考えるんだ。父さんは亡くなってしまった以上、俺の選択を信じて見守ってくれていて、今生きている自分に対して正直であることを望んでくれているんじゃないかとも思う。でもさ、それでも気持ちには波があって、父さんの許しがほしいと思うときがある。これは少しずつ変わっていくんだろうけど」  そこを隆人がわかってくれればいいと望むのは、虫がいいことなのだろうか。  隆人を思う遥の耳に、則之のつぶやきが飛び込んできた。 「そのお言葉、俊介に聴かせてやっていただきたいものです」  思わずその顔を見やると苦笑いを浮かべているように見えた。が、腰紐を遥の体に回すために則之の顔は隠れる。 「どうして俊介に聴かせたいんだ?」 「あれも、自らの父親に対して複雑な感情を抱いている男ですので――苦しくはございませんか?」 「大丈夫」  則之が広げてくれた長着の袖に慎重に手を通す。今度は失敗はしなかった。

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