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3.一月二日、三日(3)

 一月三日の宵の禊ぎに向かう遥の足は重かった。これで終わってしまうのだ。年越しの儀は。  振りかえれば夢のような時間だった。触れることの叶わなかった大晦のもどかしさから一転、快楽に溺れた年越し。隆人の胸で泣きじゃくった元日。二人きりでゆっくり過ごしたサンルームでの食事。抱擁とキスと悦楽に溺れ、互いの温もりを感じながら交わした睦言。  脱いだ浴衣を大岩に置き、隆人と手を繋いで川に入る。水の冷たさよりも、重なる唇の熱さが身に染みた。 「どうした。そんな悲しそうな顔をして」  その隆人を見あげる。 「四日間、幸せだったなと思ってさ」  腕に抱きよせられた。 「約束しただろう。今年はもっとお前の許に帰ると」 「うん」  頭まで水に浸かり、また口づけを交わし、また水に浸かった。 「さあ、いくぞ」  隆人がまた手を取ってくれた。遥はその手を強く握って、川から上がった。  風呂は隆人とは別だった。その場でまたあの甘い緑茶が出された。食事の前に儀式の最後となる、世話係による詮議により凰としての遥に評価が下されるのだ。 「凰様のお仕度調いましてございます」  世話係のやりとりの後、隆人とともに鳳凰の間へ戻った。  鳳凰の間へ戻ってくると、布団――臥所が片づけられていた。代わりに鳥籠の前には、鳳と凰のための白い座布団が並べて置かれている。隆人に促されて遥はそれに正座をした。  これから始まることの詳細は定めにも書かれていなかった。遥は速くなる鼓動を抑えるように唾液を飲みくだした。  正面の襖の向こうから声がかかった。 『いと穢れなく賢き我らが鳳のおおとり様、凰のおおとり様に申しあげます。鳳のおおとり様より御世話係(おんせわがかり)承りし者ども、(あい)そろいましてございます』  碧の声だった。 「鳳の名の下に許す。姿を見せよ」  隆人の答えに襖が左右にするするっと開いた。  控えの間に碧と紫、そして桜木の六人がそろって頭を下げていた。 「鳳様凰様の御前(おんまえ)(なり)現すにはあまりに卑しき我らなれど、(おぼ)し召しによりて拝顔の栄をお赦し給いしこと恐悦至極に存じます」  世話係の束ねである碧がすらすらと礼を述べる。だが拝顔の栄という言葉には苦笑が浮かぶ。ここにいる全員が世話係として四日間ずっと、遥と隆人とは直接顔を合わせてきた。こういう儀式らしい大袈裟なやりとりに、遥はまだ馴染めない。  隆人が鷹揚に言葉をかけた。 「新しき年も三日を過ぎ、年越しもつつがなく終えようとしている。佳き年を迎えられたはそなたらの働きあってのこと。大晦よりの四日三晩の務め大儀であった」 「もったいなきお言葉、一同身に余る光栄に存じます」 「さて、年越しの儀を終えるにあたり、そなたらには為すべきことがあろう。その務め、今現在より果たせようか?」 「我ら八名、心づもりできておりまする」 「では、詮議を許す」  隆人の言葉に世話係はまた頭を揃って頭を下げた。 「御許しを賜りまして、まことにありがとう存じます。我ら八名に与えられし御役目、御前(おんまえ)にてご披露申し上げます。なにとぞお聞き願わしゅう存じます。まずは口上よりお聞きくださいませ」  隆人がうなずいた。 「うむ。聞かせてもらうぞ」  わずかに碧が顔を上げ、それから歌うように口上を述べだした。 「若葉まぶしき初夏(はつなつ)の いとど目出度き御披露目(おんひろめ) 成し遂げられしその(のち)に、  くだされ給いし認容(にんよう)の (かしこ)き定めに相従(あいしたが)い 鳳様凰様御側(おんそば)にお仕え給いし我らなり。  こたびの初度(しょど)の年越しに いと慈悲深き御番(おんつが)い、和合果たせし御姿(みすがた)を 見定め給うも 御世話(おんせわ)を 赦され給いし我らへの お役と承りて、おりまするぅ」  終わりに合わせて、再び一同が深く頭を下げる。その流れるような仕草に遥は息を呑み、見とれた。  隆人が静かに問いかけた。 「して、そなたらの(まなこ)に映りし鳳凰はいかようなものであったか。忌憚なきところを述べよ」  その言葉を聞いて、遥は身を固くする。遥自身は途中から隆人とともに過ごせることに夢中になっていたため、初度の年越しを果たせるかどうかを考えていなかった。  世話係たちは一体どのように評価するのか。どのような評価が下るのか。  不適と言われることはありえない。遥はそう確信していた。  去年の遥が抱えていた不安や気後れやためらい、迷いは今や完全に払拭されている。それどころか遥より隆人の側に寄りそうのにふさわしい者はないという自信さえある。自分は隆人のものであり、隆人もまた自分のものだ。それは隆人に篤子という法律で守られる妻がいることを考えても、まったく揺るがない自信だった。  それに何を言われたとしても、隆人が取りあわないだろうと信じている。隆人は遥が第一だと言った。その言葉を信じる。それが今の遥の心境だった。  自然に肩の力が抜け、笑みが浮かんだ。静かに世話係たちを見回す。

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