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第6話
山中の生活に慣れるまで、二年かかった。住み始めて三年が経った頃、やっと心に余裕が生まれる。仕事へのスタンスも安定し、これからだ、という気持ちだった。またイチから、生活を築いてゆく。二ヶ月に一度たずねてくる悦木をのぞいて、自宅を訪れる人間はほぼ皆無で、平坦な日々だった。望んだ暮らしの中、何度も頭を過ぎるのは、恵咲くんのこと。彼は元気だろうか。病気などしていないだろうか。そんなことばかり思う。
そんな想いをぶつけるように、守れなかった約束に手をつけた。透き通って澄んだ青を、ふんだんに惜しげもなく、キャンパスいっぱいに使う。仕事と食事と最低限の睡眠以外の時間は、それに費やした。絵の完成までには二年かかった。仕事部屋に飾って、事ある毎に眺めた。
それから自炊は前々からしていたが、此処で生活をし始めてから確実に上達した。喫茶店なども存在しないこの場所で、数少ない楽しみの一つになったからだ。時間はかかるが、集落まで降りれば、無人販売の新鮮な野菜や、川魚。美味しい食材が揃う。厚意で、猪肉をもらうこともあった。集落の住人は、よそ者の私にも優しい。お年を召された方が多く、何かと親切に教えてくれた。皆、元は迫害されてこの土地に居着いたのだと、歴史を教えてくれる方もいた。外からやってきた人間には、優しくしてやれ。それが集落の言い伝えらしい。それを聞いたことがきっかけで資料館にも、足を運んだりした。集落の住人に仕事を頼まれることも、何度かあった。
誰とも関わらず生きてゆくと決めて、移り住んだこの場所で、学んだことがある。人は、人に頼らず生きていくことは出来ない。知らずのうちに、関係は築かれていくものだ。優しく柔軟な住人たち。ゆたかな自然は、おおらかで、時にきびしい。この土地を、終の住処に選んで良かった、と心の底からそう思った。
いつものように訪ねてきた悦木と、近況を報告し合い、悦木が一年ほど海外で暮らすことになったと知った。悦木の仕事はPCさえあれば、どこでも出来る職種だから、海外赴任をするパートナーについてゆき、日本各地で転勤生活を送っていた。けれど今回のように海を渡るのは、初めてのことだ。寂しいという気持ちが胸を占めていたが、それを口にすることはなかった。悦木の様子は普段と同じように変わらない。私の今回の仕事について関心を寄せていた。
『随分大きい仕事を引き受けたんだね。企業からの依頼なんて、これまで受けてこなかったじゃないか』
『…昔から付き合いがあるお客さんから、数年前に起業したと聞いていたんだけれど、私が思っている以上に大きな会社になっていてね。ひいきにしてくれているし、二つ返事で了承したんだけど…今さら後悔しているよ』
『まあ、いい経験になるんじゃない?新境地を開拓するのも、必要なことだと思うよ』
『…老後を思えば仕事の幅を広げるのは良いことだけど』
『自信持ちなよ、清。君は良い作家だよ。』
ここまで自分の力だけで
仕事をこなしてきたんだから。
背中を押してくれるような、そんな会話をして数日泊まった後、悦木は言っていた通り海外に飛んだ。訪ねてくる人間がいなくなったその年の冬、まるでその時を待っていたかのように、彼がやって来た。落雷のように鮮烈で、唐突な来訪。生活環境は一変する。
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