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4.幸せな気持ち(4)

 すべてを済ませると自宅へ帰り、昨夜考えた泰徳の理想の家に少しだけアレンジを加え、図面に起こしていく。耐震性を考えて工法を選び、窓と壁の分量をバランスよく配置する。架空の家なので土地の制約はない。窓の位置は通気性重視だ。夏は室温を上昇させる日光を遮断したいが、冬は日だまりを家の中に作りたい。相反する条件を両立させるため内装品についても調べた。  澄人自身は泰徳ほど器用ではない。図面を引くのも、模型を作るのも速くない。そもそも主に対して、自分に笑顔を向けてほしいと望むことは分を過ぎているかもしれない。しかし、泰徳の笑顔が見たいという気持ちが抑えられない。泰徳が好きだ。ずっと側で笑顔を見せてほしい。その衝動が澄人を突き動かしていた。  四週間が過ぎ、約束の土曜日が来た。  今夜澄人が泰徳のために用意したのは、夏野菜のカレーとビールに合うつまみ二種だ。よく冷やしたビールを冷凍庫に入れておいたジョッキに注ぐ。 「乾杯」  ジョッキを合わせ、二人揃って(あお)る。喉をビールの冷たさが駆けおりていく。ふうっと泰徳が息を吐いた。 「よく冷えていてうまい」  泰徳はカレーも、マグロとアボカドのサラダも、ジャガイモとソーセージのマスタード和えもどんどん食べてくれた。 「お前のお陰で今日もうまい食事ができる。恵まれているな、俺は」  優しく細められた目に見つめられ、澄人は焦った。それでなくともこれからしようとしていることに緊張し、鼓動が速まって仕方ないというのに、この上なく柔らかな笑みを向けられたら手まで震える。 「恐れ、いります」  泰徳の目から逃れるようにビールを飲んだ。飲んで理性を麻痺させなくては。  前回と同じく、泰徳は食後の片づけを手伝ってくれた。今夜はむしろ澄人の手許が危なっかしくなっていた。酔いなのか、緊張なのか。 「さて、課題の答えを見せてもらおうか」  泰徳の言葉に体が一瞬こわばった。唾液を飲みくだし、寝室へのドアを開ける。  泰徳は入り口で立ち止まった。それから真っ直ぐ白い壁の前に並べた二つのカラーボックスに歩みよる。カラーボックスの上には板を載せ、そこにスチレンボードで作った建築模型が置いてある。 「これは……」  模型から澄人に視線を移した泰徳の目はきらきらとしている。すかさず澄人はスマホで泰徳の写真を撮った。 「澄人?」  不思議そうにする泰徳の意識を、手と視線で模型へ戻した。 「これは先日泰徳様がおっしゃっていた理想の家の要素を盛りこんで設計した二階建て住宅五十分の一模型です。あえて分解模型のままにしてあります」  屋根をはずし、更に二階部分と一階部分に分ける。 「一階から説明いたします。お二人で住むことを考えておいでのようでしたので、一階の書庫兼書斎には読書スペースが二箇所必要と考えました」  作るのに苦労した小さな読書用の椅子が倒れていた。ピンセットでそっと立ててやる。 「フリールームは泰徳様なら、趣味のお部屋に使っていただけるかと思います。キッチンと床暖房を設置したリビングダイニングの他、洗濯や掃除などの家事用品の収納スペースを兼ねたランドリールームを配置しました。奥側三分の二は乾燥室になります。二階へは洗濯物や本を運ぶことになるでしょう。そのため階段の他にエレベーターが必須と考えました」  二階の模型に説明は移る。 「主寝室はセミダブルベッドが二台の他、ちょっとした椅子とテーブルも置ける広さにしてあります。ウォークインクローゼットも広めにしてあります。ジェットバス機能付きの浴室と主たるラバトリーは二階になります」  二階にはもう一室ある。 「来客用の部屋をということでしたので、それはこちらに。ミニラバトリーとシャワーブースの水まわりを設置します」  顔を上げた泰徳は笑顔だった。そこをすかさずスマホに収める。 「こら、何を撮影している」 「泰徳様のお顔を」  苦笑しながら泰徳がまた模型に目を遣る。 「漠然とした注文から、よく設計したな。しかも模型まで。学生の時お前が苦労していたのを知っているだけに感慨深い」 「お気に召していただけましたか?」 「ああ、俺の理想がちゃんと形になっている」  満足そうな表情にスマホを向けたら、手首を掴まれた。その顔は笑っていない。 「だが、これは俺が喜ぶものであって、お前が幸せになるもので埋めろと言った課題にはそぐわないぞ」  澄人は素直に頷いた。 「承知しております。しばらくお待ちください」  澄人は模型を載せた板をゆっくりカーテン前の床の上に移した。カラーボックスもクローゼットの前へ片付ける。そして泰徳を寝室に残し、澄人は書斎に入った。

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