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8.理想の未来へ(1)

 翌日の朝、澄人は自販機で買ったブラックコーヒーを飲みながら外を眺めた。鼓動も呼吸も落ちついている。 「おはよう、白井」  澄人は振りむいて中島に挨拶をする。コーヒーを買った中島が隣に来た。 「今朝はましな顔つきをしているじゃないか」  澄人は中島を真っ直ぐ見て、ほんの少し口の端を上げた。 「ご心配をおかけしましたが、俺は辞めません。今の仕事を課長の下で続けたいです」 「そりゃ結構」  中島が笑いながらカップを口に運ぶ。 「現場の声をもう少し丁寧に拾いたければ、私が居た部署に声をかけてやる」 「ありがとうございます。是非お願いします」 「しっかり詳細まで詰めてまとめてくれ。お客様に提案する価値のある内容だと考えている。期待してるぞ」  はいっと答えて、澄人は中島に頭を下げた。  昨日とは打って変わって、仕事に集中できた。続けて残業していたの澄人のスマホに電話がかかってきた。父からだった。  休憩コーナーの隅に移動し、応答する。 『泰徳様がお前を白井に返すとおっしゃった』  予想していた言葉だった。 『お前がKUREBAYASHIで働く必要はなくなったということだ。すぐ職を辞して家に戻り、今後は後進の育成を手掛けるように』  澄人を駒として動かすのは紅林家だけではない。白井家も同じだ。父からすれば当然のことだろう。澄人は冷静に応じる。 「確かに泰徳様のお世話係を解かれたかもしれません。しかし現時点で俺はKUREBAYASHIの社員であり、携わっているプロジェクトもあります。それを投げだすような無責任なことはできません。俺はれっきとした社会人です」  父が息を呑んだのがわかった。澄人が父に口答えをしたのはこれが初めてだ。もし、この電話が昨日かかってきていたら、澄人は了承してしまっていたかもしれない。だが、今の澄人は自分の仕事を軽んじる父の言葉を断じて許すつもりも、泰徳の部下を辞めるつもりもなかった。 『わかった。抱えている仕事は誠心誠意を尽くし完遂しなさい』  通話が切れた。父は一旦退()いた。紅林家を通して手を回される(おそれ)もある。一度白井家に戻ったら、もう二度と泰徳の側に置いてはもらえない。残されている猶予は少ない。だが、澄人の心は決まっていた。  帰宅した澄人は、コンビニで買った弁当を食べると書斎に入った。ノートパソコンに向かい、建築設計用のソフトを起動する。建築事務所でも実際に使われているものだ。先日の泰徳の理想の家もこれで図面を描いた。泰徳を振りむかせ、時間を作ってもらうには、泰徳の好きな建築の話が最良だ。新たに設計するのは今度こそ澄人の思いを込めた理想の家になる。  泰徳様に俺の気持ちをちゃんと伝えなければ、一生後悔する――  その衝動に突き動かされ、澄人はその日から帰宅後の時間の大半を設計に充てた。  睡眠時間も削って作業する澄人の目の下にいつの間にか隈ができていた。色白のせいで会社の皆にもすぐにばれてしまい、中島を始めとする同僚に心配された。皆には笑って、忙しいのは今だけだと返した。そう、今だけしか時間がない。  泰徳の視線も感じたが、何も話しかけてこない。接触を避けられているようだ。  泰徳が何を考えているかはわからない。だからこそ澄人は会社では丁寧に仕事をこなし、残業もして企画書のまとめに入った、部下としての価値を認めてもらうために。  三週間目の土曜日の朝、やっと澄人の理想の家は完成した。今回は間取り図だけではなく、外観を示す立面図や3D画像も作成してある。図面類はA3用紙に印刷し、図面ケースに収めた。シャワーを浴び、買っておいたコンビニのパンとコーヒーで朝食を摂る。  今すぐにでも泰徳の許へ行きたい。だが泰徳は土曜の朝はゆっくり起きるのが好きだ。それに食事の用意があるのかもわからない。澄人は近くのスーパーマーケットの開店に合わせて買いだしに行くと、サンドイッチを作った。これを泰徳が食べても食べなくても構わない。とにかく何かしていなければ落ちつかなかった。  午前十一時前に、澄人はノートパソコンやアダプタ、マウスを専用バッグに入れた。図面ケース、サンドイッチを入れたバッグと合わせて持つ。泰徳が部屋に入れてくれるかはわからない。とにかく全力で自分の思いを伝えるしかない。澄人は自宅を後にした。

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