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(でも、僕は上手くできなかった。だから旭は……) 『ったく、蒼生は何やらせても上手くできないな』 『ホントにグズだな……いい加減、俺も我慢の限界なんだけど』 『聞こえない? 靴が汚れたから、舐めて綺麗にしろって言ってんだよ』 『俺がいいって言うまで喋るな』 『そんな目で見るなよ。気持ち悪い』  出会ってから半年ほどが経ったころ、旭は突然変わってしまった。 (僕が悪い。僕が旭を好きになったから……)  秘めた想いだったはずが、隠し切れていなかったのだろう。旭のためにも離れようとしたけれど、それも怒りをかってしまった。 『は? やめたいって何? 蒼生に決める権利があるわけ無いだろ』  端整な顔に意地悪な笑みを浮かべた旭が、蔑むような瞳で蒼生を見下ろしてくる。 『……なあ蒼生、俺が死ねって命令したら、もちろん蒼生は死ねるよな』 (ごめんなさい)  体をガタガタと震わせながら、涙を流す蒼生の髪を掴んだ旭は、『返事ができない蒼生は悪い子……だよな。しょうがないから(しつけ)てやる』と低く囁き、見せつけるように(こぶし)を大きく振り上げて――。 「うっ、ううっ!」 「……あおい、蒼生!」 「ん……うぅ」    体を何度か揺さぶられ、蒼生は意識を取り戻すけれど、体は強ばり、視界は涙で歪んでいた。 「あ……あっ」 「どうした? 怖い夢でも見た?」  そっと涙を(ぬぐ)った律に抱きしめられ、蒼生の体から徐々に力が抜けていく。 「律……さん」 「うん。ここにいる」 「……よかった」   優しい手つきで背中を撫でられ、安堵に吐息を漏らした蒼生は、衝動的に律の頬へと触れるだけのキスをした。すると、一瞬だけ驚いたような表情を見せた律は微笑み、「大丈夫、ここは安全だ」と囁いてから、震えている蒼生の体をさらに強く抱きしめる。 「……ここは安全」  律の言葉を反芻(はんすう)し、ふわりと笑みを浮かべた蒼生は、再び深い眠りの中へと堕ちるように吸い込まれた。 ***   「どう? ここでの生活には慣れた?」    久々に来客があったのは、6月中旬のことだった。爽やかな笑みをこちらに向け、話しかけてくる白石龍真に「はい、だいぶ慣れました」と返事をしながら、蒼生はグラスに冷えたコーヒーを注いで渡す。  律は仕事から帰っていないが、龍真が来ることは聞いていた。大きな商談がまとまったから、今日はこの家で祝杯をあげるらしい。 「ありがとう。律は6時頃になるみたいだ。ちょっと早過ぎたな」  今の時刻は夕方の4時を回ったところだ。     この近辺での打ち合わせが、思ったよりも早く終わってしまったから……と、申し訳なさそうに話すから、「気にしないでください。僕も暇にしてたんで」と伝えれば、アイスコーヒーを飲んだ龍真が勢いよく立ち上がった。 「じゃあ散歩でも行くか」 「え?」 「外、天気もいいし」 「あ、でも……律さんに聞かないと」  蒼生は律と一緒の時にしか外に出ない。危ないから、一人で外出しないようにと言われていた。

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