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第2話

扉が豪快に開けられ、室長が中年の渋い外国人と笑顔で話しながら先頭で入って来た。  ちなみに室長は交流室勤務20年のベテランで、長期イギリス滞在経験もあるバリバリの海外びいき、英語は母国語同然に堪能だ。    2人にゾロゾロ続いて来たのは、髪や肌の色もバラエティにとんだハイスクールの生徒達10人だ。長旅の疲れも見せず、みんな楽しげにおしゃべりし、笑い合い小突き合っている。どの子がうちに来てくれるのだろうと、期待をこめたホストファミリーの目が一斉に彼等に注がれる。  溜め息を通り越して、僕は生唾を飲み込んだ。口の中がカラカラに乾いているのがわかる。間近で見る大勢の外国人と飛び交う英語は、僕の情けない心臓に過酷な負担をかけ、否応なしに心拍数が高まる。    無意識に後ずさってしまった僕の目に、しんがりで入ってきた金髪の青年の鮮やかな姿が飛び込んできた。8度目の溜息はきっと気鬱のせいじゃない。感嘆からだ。  僕と同じ年頃に見えるその青年は、外国人の美醜がよくわからない僕から見ても、ものすごいハンサムだった。ハリウッドスターみたいな華やかさがあって、彼が入ってきた途端薄暗いホールにパッと花が咲いたみたいだ。  涼やかな瞳に高い鼻梁、微笑の形を作った品のいい口元。身長は180を軽く超えていそうだ。スラリとしたモデル体系にブルーグレーのサマージャケットとデニムパンツのカジュアルなスタイルが、雑誌のモデルみたいにかっこよく決まっている。  おそらく、彼の名前はリチャード・モリス。今回のホームステイの件で、僕がメールで調整を続けてきた人物だ。  モリス氏からのメールはすべて完璧な日本語で、簡潔明瞭ポイントを抑えた内容だった。日本人でもこうはという行き届いたメールには、いつも感心させられたものだ。  事務的に完璧な上丁寧で感じがよく、文脈から伝わる落ち着いた雰囲気からもっと年配の人を想像していた。でも引率教師二人のうち室長と話しているのが教頭先生だろうから、もう一人のモリス氏は彼以外考えられない。    あんな一般人離れした素敵な外国の人と、僕はメールのやり取りをしてたんだろうか。  架空の美しい生物――たとえばユニコーンとかペガサスとか――そういうのを眺めている気分でボーッとみつめてしまっていると、生徒達のおしゃべりをたしなめていた彼が偶然顔を上げた。  目が、合った。息が、止まった。  見惚れていたのに気づかれてしまったかとワタワタうろたえる僕に、彼はニコッと笑いかけてきた。背景にバラの花が咲き乱れそうなハリウッドスマイルだ。  来るな、来ないでくれ、と心の中で必死で訴えても、エスパーじゃないんだから届くはずなんかない。彼はまっすぐ僕に向かって近付いてくる。僕はと言えば、たとえは悪いけれど、まるっきり蛇に睨まれたカエルだ。  身動きもとれず竦み上がっている情けない僕を見下ろし、彼は英語で話しかけてきた。  残念ながら僕は、外国語を聞き分ける耳を持っていない。彼の少し低めの声が音楽みたいで素敵だな、と感じるだけ。ましてやこんな緊張場面では、意味を聞き取ろうなんて余裕は全くない。ただそれが語尾が上がった疑問形であることと、「ミスターカツラ?」と自分の苗字が混じっていたことだけはかろうじてわかり、あわてて何度も頷いた。    そうだ、ここで挨拶だ。ゆうべ徹夜で頭に叩き込んだテキスト、『英会話初歩の初歩』を、今こそ思い出さなくちゃ。 「は、は、はうあーゆー?」    口に出してしまってから、すぐに間違えに気づき青くなる。『はじめまして』は、確か違う。『How』はつくけど『How are you?』じゃなくて……。  いきなり相手が声を立てて笑い出して、僕は飛び上がりそうになる。でもよかった、笑い声は万国共通なんだと、いっぱいいっぱいな頭で漠然とどうでもいいことを考える。  笑うたびにいい香りを振りまきそうな彼は、また英語で何か言った。僕の下手くそなジャパニーズイングリッシュに、きちんと答えてくれたのかもしれない。そして早口でもう一言つけ加え、親しげに右手を差し出してくる。リチャード・モリス、と、彼の名前だけが不思議とクリアに聞こえた。自己紹介されたのだとわかり、 「あ……カツラ。シンノスケ・カツラ」  と自分の名前を告げ、つられて出しかけた手をあわてて引っ込めた。  彼の綺麗な長い指に触れたらどんな気分になるだろう。一瞬思ってしまったけれど、やっぱり握手は無理だ。できない。  僕が反応しないのを見て、彼も自然に手を引いてくれる。気を悪くされたのではないかとおずおずと見上げた彼の顔は、相変わらず微笑んでいる。澄んだ湖みたいなアクアマリンの瞳にじっとみつめられ、僕の心臓はネジが外れた時計みたいに不規則に高鳴った。 「桂さん、お会いしたかったです。今回のホームステイの件ではいろいろとお世話になり、ありがとうございました」  流暢な日本語がいきなりその形のいい唇からこぼれ、僕はポカンとしてしまった。 「えっ? あ……」  あまりにもびっくりしすぎてただ立ちすくむだけの僕に、話しかけた当人はニコッといたずらっぽく笑いかける。 「祖母が日本人なので日常会話くらいならOKです。私自身も日本は大好きで、もう何度か来日してるんですよ。第二のホームグラウンドのように思っています」  クォーターには全く見えない純正アメリカ人の風貌の彼が、「日常会話程度なら」という謙遜以外の何ものでもない流暢な日本語を操るのはとても不思議な感じだったけれど、言葉が通じるとわかっただけで、僕の肩の力は一気に抜けた。 「あ、そ、そうなんですか。あ、あのー、それは、よかったです……」  緊張のあまりとんちんかんな受け答えになってしまう僕に、彼は変わらぬ友好的な微笑を向けたまま続ける。 「このホームステイに同行するのは初めてなのですが、今回こういった形で来日することができて本当に嬉しい。桂さんや担当の皆さんのお骨折りのおかげですね。感謝しています」 『お骨折り』なんて言葉、日本人だってそうそう使わない。日本語の語彙でまでも外国人である彼に負けている気がして、僕はさらにへどもどしてしまう。 「いえあの、モリスさん、その、僕……私も、来てくださってホントに、えっと……」 「リックと呼んでください。君のことは、シンノスケ……ん~、ちょっと言いづらいな。シンでいいですか?」 「あの、は、はい! もちろんです」  魅力的な笑顔で言われて、僕は憧れの映画スターを前にしたファンみたいにポーッとなってしまう。  痩せ形のチビでなよっとした僕は、自分の男らしい名前にコンプレックスを持っていたけれど、シン、と彼の綺麗な声で呼ばれた瞬間に、その名前でよかったと生まれて初めて思ってしまった。 「ところでシンはいくつなのですか? もう働いているなんて、えらいですね」  どうやらほめられたらしい。 「えっと、トゥエンティシックス、です」  2、6、と指を立て答えると、OH! と驚きの声が上がる。 「失礼しました。ティーンエイジャーだとばかり。では、私と同じ年ですね」 「えっ、そうなんですか?」  やや凹んだ。  確かに僕は日本人からも若く見られる幼顔だけど、十代と言われたのは初めてだ。同時に、目の前のどう見ても僕より落ち着きがあり年上に見える彼が同じ年だったということが、自分の未熟さを改めてつきつけられたようでガックリくる。 「いや、しかし同じ年には見えないですね。君はとてもキュートだ。シンノスケというサムライのような立派な名前から、もっと凛々しくて男っぽいイメージを持っていました。まさか、こんなに可愛い人だったなんて」 『名前と違う』とか『詐欺だ』とかはよく言われるので慣れていたけれど、『可愛い』と言われるのは初めてだ。  確かに僕は男らしさの欠片もない細面の女顔で、そこそこ整ってはいるけれど印象の薄い気の弱そうな憂い顔だ。イケメンでも魅力的でもなんでもない。  きっと彼は、『可愛い』の意味を間違えているのだ。あとでちゃんと教えてあげた方がいいかもしれない。 「あぁ、シン、ごめんなさい。もしかして気を悪くされました?」 「えっ、あの、いえ、そんなこと、ないです」  目を合わせているのが気恥ずかしくて、思わず俯いてしまう。  全く、気を悪くするどころじゃない。胸のドキドキが明らかに不快感じゃないことを自覚して、僕は狼狽してしまう。  それに、苦手な外国人である彼と手を伸ばせば触れられそうな距離で向かい合っているのに、不思議と拒否感も嫌悪感もない。彼が日本人さながらに日本語を操ることで安心したせいもあるけれど、これはむしろ国籍とは関係なく、彼のその親しみやすい人柄のせいなのかもしれない。 「初日から素敵な友人ができて本当に嬉しいです。そう、思ってもいいでしょうか?」 「あの、はいっ。わ、私でよければ」  あわてて答えた。彼は嬉しそうに笑い、何度も頷いてくれる。  アメリカには『社交辞令』なんかないのかと思っていたけれど、やっぱり人間関係を円滑に運ぶ技は全世界共通なのか。この対面式が終われば最後の見送りの日まで会うこともないんだから、友達だなんて軽いリップサービスみたいなものだってわかってる。  でも、彼の綺麗なブルーの瞳はお愛想を言っているようには見えなくて、苦手意識はどこへやら、僕は妙に舞い上がってしまう。白銀のたてがみのペガサスに気まぐれで、『背中に乗ってもいいですよ』と誘われたみたいだ。まぁ、彼は凛々しいライオンみたいな金髪なんだけど。 「ああ、セレモニーが始まるようですね。ではシン、また」  司会の佐々木さんが壇上に上がったのを見て、彼は僕に軽くウインクを投げ教頭先生の方へ戻って行く。つかのまの夢から覚めた僕はあわてて首を振り、ボーッとなった頭を仕事モードに戻した。

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