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第3話

 室長と教頭の挨拶、ホームステイ期間中の諸注意や日程の説明などが終わると、いよいよ最後のクライマックス、ホストファミリーへの生徒引渡しに移る。  ファミリー側も生徒側もみんなこのときを待っていたのだろう。室長が「次は対面に移ります」と告げると、誰からともなしに拍手が起こった。急に場の空気の温度が上がった気がして、僕も無意識に背筋が伸びる。    室長の仕切りでメインセレモニーが始まったとき、 「桂君、ちょっと」  外で電話をしていたらしい佐々木さんが、困り顔で僕を手招きした。 「なんと戸田様のおじいちゃんがさ、階段から落ちて病院に運ばれちゃったんだって!」 「えっ!」 「複雑骨折で入院らしいんだよ。だから受け入れは無理だって、急にさ」 「そ、そんな……っ」  とっさに、ファミリーと生徒達の方を振り向く。 「ルーシー・マコーレイさんは……はい、そちらの、山口さんのお宅です!」  と、身振り手振りを交えけれんみたっぷりに両者を引き合わせているご機嫌な室長に、今そんなこと言えない。  場も誰かが呼ばれ立ち上がるたびに、ヒューヒューとかキャーみたいな声が響いて、結構なお祭り騒ぎになっている。 「さ、佐々木さん、戸田様は予定だとどの子を……」  佐々木さんがあわてて手元の名簿をひっくり返した。 「あ、モリス先生だね」  治まっていた鼓動が一つ、大きく鳴った。  反射的にモリス先生の方を見た。何も知らない彼は、生徒達が一人ずつファミリーに預けられて行くのを笑顔で見守っている。 「ど、どうしましょう」 「まぁとりあえず、生徒じゃなくてよかったよね。一人だけあぶれちゃったら可哀想だもんな」  なんだか納得できなかった。だって、それはモリス先生だって同じじゃないか。はるばる遠い国から来てくれたのに受け入れてくれる家がないなんて、きっと悲しい思いをするに違いない。 「はい、ラスト~! ベン・スティーラー君は、杉村さんのお宅で~す!」  芝居がかった室長の声がホールに響き渡り、最後の生徒がファミリーに引き渡されていく。セレモニーはそこで終了。あとはそれぞれのファミリーの自宅へと場所を移すことになる。  生徒達もファミリーも互いに笑顔で挨拶を交わしながらパラパラと会場を後にし、祭りの後の静けさに包まれたホールには僕達職員3人と2人の先生方が残された。そこで室長は初めて、ホストファミリーが足りないことに気づいたようだ。 「ん? そういえば戸田様は?」  佐々木さんがあわてて室長に耳打ちする。思わぬアクシデントに、いつもは温和な室長の顔も渋面になる。 「う~ん、こんなことなら補欠を確保しとくんだったなぁ」 「どうしましょう。今から適当な方をみつけるわけにもいかないですし」 「うちもワイフと娘夫婦に孫同居で、お一人受け入れるのが精一杯だなぁ」  室長の家には教頭先生がステイすることに決まっていた。 「わ、私もその、何分子供が生まれたばかりで……!」  自分に振られては大変とばかりに、佐々木さんが焦って口を開く。2LDKのマンションについ5ヶ月ばかり前に生まれた三つ子の赤ちゃんがいれば、家はそれこそ戦場だろう。2週間もゲストを迎えるなんて絶対無理だ。  示し合わせたわけでもないだろうけれど、二人の視線はなんとなく僕に集まった。 「えっ!? 無理無理無理! 絶対無理です!」  ちょっと考えてみようとか、そういう余地は1秒もなく、僕は即座に拒否した。 「わ、私は狭いアパート暮らしですし、とても人様をお預かりできるような部屋は! それに男の一人暮らしで行き届きませんし、せっかく遠方から来ていただいたのにお気の毒です!」  青くなり必死で力説すると、2人とも「だよなぁ」と頷き、思ったよりあっさりと引いてくれる。  ホッとした。親しい友達ですら部屋に入れない僕が2週間も他人と、それも外国の人と寝食を共にするなんて完全に無理だ。きっと、ほんの1日だって耐えられないだろう。  僕達のただならぬ雰囲気に気づいたのだろう。先生達が近付いてきた。多分、何かあったのかと英語で質問する教頭先生に、室長が面目なさげに頭を下げながら事情を説明する。  僕はハラハラとモリス先生の整った横顔を見守る。アクシデントとはいえ自分を受け入れてくれる家庭がなくなったなんて、絶対いい気持ちはしないだろう。優しい微笑が悲しげに曇るところを見たくはなかった。  けれど彼の表情は変わらず、またこちらの不手際を責めもせず、室長の話を頷きながら聞き終えた後、あっさりと日本語で言った。 「OK、全く問題ないです。私はホテルに泊まりますから」 「ホテルって……でも2週間ですよ?」  室長も思わず日本語で問う。 「駅の近くでワンナイト2000円という看板を見かけました。面白そうだなと思って見てたんですよ」  駅前にあるビジネスマン用のカプセルホテルだ。あんなところただ寝るだけで、ゆっくり休めるはずがない。 「今はオールナイトのネットカフェもありますし、そういうところに泊まってみるのも楽しそうですよね。いい経験です」  先生のあっけらかんとした返事に、 「いやいや、いくらなんでもそういうわけには」  と、口では言いながら、室長は明らかにホッとした表情を隠さない。教頭先生は教頭先生で、問題なしといった笑顔で頷いている。    このままでは本当に、モリス先生の提案どおりになってしまいそうだ。  そんなのは嫌だ。絶対嫌だ。  おばあさんの国・日本を第二の故郷だと言ってくれた人、そして挙動不審で失礼な僕のことを友達にしてくれた人を、あんな蚕棚みたいなカプセルホテルに押し込むなんて、絶対できない。 「あの……っ」  せめて宿泊費を公費で出せないか、とかなんとか室長と佐々木さんがごちゃごちゃ相談している中に、僕はいきなり割り込んだ。深い考えもなしに、とっさに言葉が出てしまったのだ。  4人の注目が一斉に向けられ、一気に頬が熱くなる。でもここで怯んだら、彼は一人寂しく味気ない繭玉の中で眠ることになってしまうのだ。 「そ、それでしたらやはり、私の部屋にお迎えします!」  バカ、何言ってるんだ、と、頭の隅で理性の声がしたけれど、もう遅い。 「お、そうか? いいのか、桂君?」  と、室長の満面笑顔がすかさず向けられる。 「桂君ならモリス先生と年も近いですし気を遣うこともないでしょうから、これはもうベストじゃないでしょうかね」  と、佐々木さんもここぞとばかりにプッシュする。もはや、やっぱ今の無し、なんて到底言い出せる雰囲気じゃない。 「シン、無理しないでください。私は本当に大丈夫ですから」  僕が怯んだのがわかったかのようなタイミングで、彼が口を挟んだ。あわてて見上げた相手は、まるで僕の気持ちを察してくれているみたいな優しい微笑で頷いてくれる。もしかしたら僕がさっき、無理無理無理と何度も繰り返していたところを見られたのかもしれない。そう思ったら、ものすごい自己嫌悪にいたたまれなくなった。 「あの、違うんです、無理じゃないんです! 僕……私は本当にモリス先生に……リックに来てほしいです!」  厄介だな、とか、面倒くさいな、なんて気持ちは、すっかりどこかに吹き飛んだ。  優しい人が悲しい思いをするのは嫌だ。もし彼が僕の狭い部屋よりカプセルホテルの方がいいと言うなら、僕も一緒にそこに泊まろう。そうすればせめて、話し相手くらいにはなれるだろう。ろくな会話はできないけれど隣に誰かがいるだけでも、異国にたった一人でいるよりましと思ってはもらえないだろうか。    リックはわずかに瞳を見開いて、僕をじっとみつめてくる。深く綺麗な水色に引き込まれそうで、僕もつい見返してしまう。アクアマリンの瞳が細められ、微笑を湛えた唇が開かれた。 「ありがとう、シン。それでは遠慮なく、君のところにご厄介になることにします」 『ご厄介』なんて言葉、日本人でもあまり使わない。おばあさんに教わった日本語だから難しい言葉が混ざるのかな、となんだかちょっと笑ってしまうと、リックも声を立てて笑った。その笑顔を見て、ホッと肩の力が抜けた。    勇気を出して、本当によかった。  でも同時に、一体どうなるんだろうという不安もじわじわと湧いてくる。内向的な性格が災いして人づき合いが下手で、面白いことの一つも言えない僕が、外国からのお客さんを楽しませてあげることなんかできるはずがないのに。  カプセルホテルの方がましだったと思われないかと早くも申し訳なく感じてしまい、僕はリックから視線を逸らし情けなく俯いた。

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