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第4話
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対面式終了後僕達3人と教頭先生、そしてリックの5人で、予約してあった和食料亭で懇親会を持ち、9時にはお開きになった。電車で帰る3人を駅まで見送ってから、歩いて10分の僕のアパートに異国の客人を案内して行く。
「あの、リック、ホントに汚くて狭い所だから、びっくりしないでね」
一歩後ろをついてくる彼に、僕は緊張しながら話しかける。
「大丈夫ですよ。どんなところでも、シンと一緒ならきっと楽しいでしょう。あまり気を遣わないでくださいね」
おどおどしながら上目遣いにチラチラ振り向く挙動不審の僕に、素敵な客人はうっとりするようなハリウッドスマイルを向けてくる。
『シン』『リック』と愛称で呼び合ってみたって、一気に距離が縮まるわけでもない。5人でいるときは末席に座って、場の話に合わせて相槌を打ったり笑顔で頷いたりしていればそれで済んだけれど、2人きりになるとそうはいかない。
そもそも日本人相手だって会話は苦手な僕だ。言葉も文化も違う異国の人相手に、どんな世間話をすればいいのかさっぱりわからない。大体、仕事の話や今回のホームステイの話など、話題になりそうなネタは酒席で全部しつくしてしまっているのだ。
長い沈黙は、相手に対して失礼になる気がして焦る。でも、何か話を振らなくてはと落ち着かないのは僕だけで、リックの方は全く気にしていない様子だ。日本全国どこにでもある、家々の密集した住宅街をもの珍しげに見流しながら、気になるものがあるとあれは何と聞いてきたりする。質問されるたびにビクついて肩を震わせ、時折変な外来語を使おうとしてどもったりうろたえたりしてしまう僕を、彼はなんともおかしげにみつめてくる。
かなりマズイかもしれない。僕一人で、リチャード・モリス氏の日本人全体に対する印象を、限りなく悪化させていないだろうか。
それに、街中ならまだこうしてかろうじて話題もあるけれど、家に入ってしまえば本当にもう話すことがない。どうやって場を繋ごうかと考えると気が重く、僕は秘かに今日だけでもう何十回目かになる溜息を漏らした。
「シン、疲れましたか?」
そっとこぼした嘆息に気づかれてしまったのだろう。顔を覗き込まれ、僕はあわてて身を引いた。
「えっ、大丈夫だよ! 全然疲れてないよ!」
反射的に一歩退いてしまったことを、変に思われなかっただろうかとヒヤリとした。そっと相手を見上げると、リックは変わらぬ微笑を向けてくれている。
「本当に?」
「本当だよ。つ、疲れてるのはリックの方でしょ。ごめんね」
「どうして謝るのです?」
「え、だってあの、せっかく遠くから来てくれたのに、僕んちなんかで……」
元々のホストファミリーだった戸田様の家は、市内でも有数の大地主だ。部屋数が10もありそうな大きな屋敷を、市の中心部にデンと構えている。僕の四畳半2間のアパートとはそれこそ雲泥の差だ。
「シン、こちらを向いてください」
申し訳なさに俯いてしまった僕の耳に、リックの声が届いてくる。顔を上げると、街灯の光にも映えるブルーの目が穏やかに向けられていた。
「私はとても嬉しかったですよ、君が家に来てほしいと言ってくれて。私自身はホテルに泊まっても全然OKでしたが、君はそれを嫌だと思ってくれた。君はとても優しい。その優しさが、私のここに、ちゃんと届きました」
そう言って、リックは綺麗な指を彼の左胸に当てた。
僕がなけなしの勇気を出したことを、リックはわかってくれていたのだ。そう思ったら僕の胸まで、なんだかじんわりと温かくなってきた。
「それに、謝らなくてはいけないのは私の方ですね」
リックはちょっと肩をすくめて言った。
「え、どうして……?」
「突然泊めてもらうことになり、シンにとても気を遣わせてしまっています。招かれざる客、というのですかね」
発音しづらそうに眉を寄せて言ってから、クスリと笑う。
「そんな……そんなことないよ! だって、僕が来てほしいって言ったんだから。リックは何も気にしないで」
「では、シンも気にしないでください」
「え……?」
「私のことは、ん~、ちょっと大きな犬を少しの間預かることになったとでも思ってください。食事なんか、ドッグフードでOKですよ」
軽くウィンクを送られ、鼓動が倍の速さで高鳴り出す。これだけ庶民離れしたかっこいい人に間近でウィンクされて、ときめかなかったら人間じゃないだろう。
「え、え、もしかしてあれなの? アメリカには人間も食べられるドッグフードとかがあるの? あ……」
相手が声を立てて笑い出し、僕は一気に頬が熱くなる。そうか、ジョークに決まってる。
「や、僕、そういうのセンスなくて、わからなくて、ごめん! ホントにごめん!」
相手がわざわざ日本語で冗談を言ってくれているのに、天然ボケもいいところだ。面白みのないヤツだと思われなかっただろうか。
「謝らなくていいから」
ツボに入ってしまったのか、リックはお腹を抱えて笑いながら片手を振る。そして押さえきれない笑いをかみ殺しながら、早口の英語で何か言った。
「え、な、何?」
「いや、君は本当に可愛いと思って。私の元々のホストファミリーには申し訳ないけれど、今回のアクシデントは私にとって、とてもラッキーだった」
『可愛い』と言われるのはもう2度目だ。やっぱり勇気を出して、注意してあげた方がいいだろう。でないと彼が、どこかで恥をかいてしまうかもしれない。
「あの、リック、ちょっとね、日本語が間違ってると思うよ。可愛いっていうのは、僕みたいな男には使わないんだよ」
「ノー、間違ってないですよ。私にとっては君はとても可愛い。君のような人のことを表す、日本の言葉がありましたよね。う~ん……」考えてから「ヤマトナデシコ?」
僕は思わずつんのめりそうになった。
「そ、それ、違うよ! 全然違うよ?」
「そうですか? 奥ゆかしくて控えめでとても優しい、君にピッタリだと思うのですが」
『奥ゆかしい』なんて言葉まで知っているくせに、大和撫子の使い方は絶対に間違っている。
「あの、アメリカの人はそういうふうに、どんな人のことでもベタぼめするの?」
「いいえ、私達は嘘が下手ですから、ほめたらそれはすべて本心ですよ。まぁ、振り向かせたい気になる相手には、10%増しですが?」
なんて言ってウィンクするのは、きっと僕がおどおどいじいじしているのが面白くて、からかっているのだ。わかっているのに、なんだかふわふわといい気分になっている、僕の方もかなりおかしいけれど。
『振り向かせたい』なんて言われて返って振り向けなくなってしまい、僕はせかせかと足を速める
「あ、そこのアパートなんだ。古いんだけど」
軽く築20年は越え新しいとも綺麗とも言えず、とりあえず部屋が2つあり駅近というのが取柄のボロアパートに、僕はハラハラしながら客人を導く。アメリカにもこういうアパートはあるだろうけれど、きっと格段にお洒落で広いに違いない。
僕の部屋は1階の一番手前だ。震える指で鍵を差し込みドアを開け、蛍光灯のスイッチをつけた瞬間、すぐに後悔した。本当に馬鹿だった。目に入った自分の部屋は、到底人を招待できるような場所ではなかったのだ。
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