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第6話

 気を悪くされたかと、あわてて見上げた。リックは特に気にした様子もなく、穏やかに微笑んでいる。どうしようとすくんでしまった僕の肩を、彼はポンと軽く叩いた。 「とりあえず、座りましょうか」  そう言って、さっさとリビングのソファに陣取り、突っ立っている僕を振り向く。 「あ、えっと、そうだ、飲み物……!」 「いいから。シン、君もこっちに来て座って」  おたおたする僕に苦笑で声をかけ、ソファの隣の空間をポンポンと叩く。  男2人がソファに並んで座るなんて変だ。いや、それ以上に彼の隣に座るのはなんだかとても気後れがして、僕は迷った末に対角線上の角にちんまりと腰を落ち着かせた。これじゃ、どちらがゲストだかわからない。 「シン、一つアイディアがあります」  長い人差し指を一本立てたリックが、僕の顔を覗き込むように話しかけてくる。 「私が滞在する間は、君は一切無理をしないということにしませんか?」 「えっ?」  鼓動が一つ大きく打った。心の中を見透かされたような気がしたからだ。  きっと、ドキリとしたのが表情にも出てしまったのだろう。リックはクスリと笑う。 「英語ではこういうことわざがあります」  続いて知的な唇が滑らかな英語のフレーズを奏で、僕はボーッとそれに聞き入る。 「日本語では、なんと言いましたか。目は、口ほどに……?」 「ものを言い、だよ」  リックのおばあさんは、本当に余計なことを教えてくれたものだ。どうやら口以上に雄弁らしい目をこれ以上覗かれないよう、僕は膝の上に組んだ手にあわてて伏せた。 「うん、それですね。私は君と会ったばかりですが、今日ずっと君を見ていて思いました。どうも君は、無理をしているみたいだと」 「え……あの……」  ずばり言い当てられては、反論のしようもない。 「シン、もしかして君は、今の仕事があまり好きではないのでは? そしてその理由は、外国人が苦手だからではないのですか?」 「えっ? や、そんな……! そんなこと……」  なんとか否定しようとしたけれど、あわてればあわてるほど逆効果で本心がダダ漏れになってしまう。  口ではなんと言おうと体全体でそうだと肯定してしまっている僕を見て、リックがどんな嫌な思いをするだろうと思ったら、まともに相手の顔も見られやしない。 「シン、こっちを向いて」  優しく促されそっと視線を上げると、包み込むような優しい眼差しとぶつかった。  なんだろう、これ。胸の中で7人の小人が下手くそな演奏会を開いているみたいだ。 「君はもっとナチュラルになった方がいい。その方が心が軽くなって、たくさん笑えるようになりますよ」 「ナチュラル……?」 「そう。これからの2週間、私の前だけでは自然体でいる、というのはどうですか? それとも、苦手な外国人が相手では、やはり固くなってしまいますか?」  笑いながら言ったのを見るときっと冗談半分なんだろうけど、僕はいたたまれなさにみっともなくおろおろしてしまう。 「あの、僕……ごめ、」  謝るのは無し、の約束を思い出し、出かけた言葉をあわてて飲み込み、「どうしてわかるの?」と言い換える。 「今日の対面式のホールに我々が入って行ったとき、君はまるで地球を征服に来た異星人でも見るような顔をしていましたよ。改まったセレモニーを前に緊張しているのかと思ったけれど、交流室の皆さんとはナチュラルに話していた。私が話しかけたときは、石みたいになっていたのに」 「ぼ、僕、そんなにガチガチだった?」  リックは苦笑する。 「お地蔵様のようでした。今も、君は一生懸命打ち解けてくれようとしていますが、私が近付くと目に見えて緊張する。違いますか?」  違わないけど、そうじゃない。リックが嫌なわけじゃないんだ。外国の人は確かに苦手だけど、リックのことはむしろ、きっと、好きになりかけている。でも体が触れたりすると、どうしても反射的に撥ねつけてしまう。  でも彼にその理由を説明する勇気は、さすがにまだなかった。  深刻になって俯いた僕の前で、リックの大きな手がヒラヒラと振られる。 「だから、いいんです、気にしなくとも。君はそのままの君でいてください」 「そのままの、僕……?」 「そうです。外国人が苦手、それもいいじゃありませんか。それがシンなんですから」 「でも、だけど、今はこういう仕事してるわけだし、こんなことじゃ僕、あの……」 「シンはシンのできるところで頑張ればいいのでは? 少なくとも私は、君が今回のホームステイの担当者で本当によかった」 「うそ。どうして?」 「メールのやり取りだけでもわかることはたくさんありますよ。君はとても責任感があって、仕事をきちんとする信頼できる人だ。おかげで準備もスムーズに進みましたし、何より一番よかったことは、私達がこうして友人になれたことですね」 『友人』の2文字に、全身がフワリと大きなシャボン玉に包まれたみたいな気分になった。それはなんだかとても優しい感触で、硬くなった僕をリラックスさせてくれた。  そうか、交流室に異動になったからリックと出会えたし、外国の人でもこんなに穏やかで優しい人がいるんだってわかった。4ヶ月前の僕だったらアメリカ人の友達を作るなんてこと、想像もできなかったに違いない。 「僕なんかが友達で、本当にいいの? こんな部屋に住んでる、変なヤツなのに?」 「言ったでしょう? 変、というのは個性的と言うことです。悪いことではないですよ」 「でも、この趣味バレてから、家族は口聞いてくれなくなったよ? 僕が話しかけようとすると部屋から出て行くし、父さんには『おまえみたいな軟弱なのは俺の息子じゃない』なんて言われて。母さんや姉さん達も気持ち悪そうな目で僕のこと見てたし」    なにげなく話したつもりだった。それなのに、リックの表情からはふいに笑顔が消え、瞳を見開き数瞬固まった。  やってしまった。  針のむしろみたいだった実家を出てもう8年経っているし、胸が痛んだりすることもなくなっていたけれど、他人が聞けばヘビーな話かもしれない。 「なんか、変な話しちゃったね。気にしないで。ごめ……じゃなくて、聞いてくれてありがとう、リック」  気まずい雰囲気をなんとか修復しようと、頑張って笑顔を作ってみた。きっと、ぎこちなく強張っているだろうけれど。 「笑わなくともいい」  投げられた一言が、スッと胸に入ってきた。そして僕は、治ったと思っていた傷が本当はまだじくじくと血を滲ませていたことに、初めて気づく。  クローゼットに隠していた僕の宝箱をみつけ、ゴミ箱に叩き込みながら『気持ち悪い!』と吐き捨てた、姉さんの声が耳に蘇ってきた。 「ほら、もう君は無理をしている。私の前ではナチュラルで、と言ったでしょう? 大丈夫ですよ。君は悪くない。もちろん軟弱でも、気持ち悪くもない」  リックの言葉の一つ一つで、ぱっくり開きっ放しになっていた傷がだんだん塞がっていく。  彼は僕を軽蔑しない。馬鹿にしない。気持ち悪がったりしない。  今のままの僕でいいなんて、言ってくれた人はいなかった。新之助はそういう性格だからしょうがない、とは山ほど言われたけれど、個性だからそのままでいい言うのと、しょうがないから諦めていると言うのとでは天地の差だ。  引っ込み思案で自分に自信がなく、嫌なことをはっきり嫌と言えなくて、いつも人目を気にしてばかり。人づき合いがうまくなくて口下手で、飲み会の席ではジョークの一つも言えず場を盛り下げる。しかも趣味は、可愛い乙女グッズを集めること。  僕は自分を、人に嫌われる要素の集合体みたいな人間だと思っていた。  それなのに……。  リックは体をひねり、ちょうど真後ろに置いてあった飾り棚にちょこんと座っていたドールを、大事そうにそっと取り上げた。王子様みたいな容貌の彼にフリルやレース一杯のドレスを着た人形は妙によく似合った。 「シン、君の好きなものはとても美しくて夢がありますよ。君の優しくて繊細な性格がにじみ出ている。このドレスなんか、手が込んでいて本当に素晴しい」 「あ、それ、僕が作ったんだよ」  思わず言ってしまってから、しまった、と首をすくめた。その人形の着ているワンピースは縫い上げるまで1ヶ月かかった力作だ。とっさに自慢してしまったけれど、そんなものまで自作する男なんて、どう考えても絶対に変だ。  ところがリックは瞳を見開き笑顔で、 「本当ですか? すごいな」と言ってくれる。 「私の兄の娘も人形が大好きなんです。彼女にも見せてあげたい。きっと喜ぶでしょう」 「あ、そしたら明日、姪御さんのお土産買いに行かない? 僕の行きつけのお店、お手ごろ価格の可愛い子がいっぱい揃ってるんだ。一緒に選んであげるよ!」  少しでもリックの役に立ちたくて、思わず身を乗り出した。明日は日曜日だ。姪御さんだけでなく、女性の家族へのお土産なら僕が一緒に選んであげられるし、リックと一緒に街を歩くのも楽しそうだ。  でも考えてみれば、せっかくの日本での貴重な一日を使って、秋葉原のドールショップなんか行きたいはずがない。どこのホストファミリーだって、スカイツリーやディズニーリゾートといったメジャーなスポットに、異国のゲストを連れて行ってあげようと、いろいろ計画しているだろう。 「ナイスアイディア!」  またやってしまったと俯く僕に、リックの明るい声がかかる。 「では明日は、シンのよく行くお店につれていってください。ナチュラルな君をもっと見てみたい。楽しい一日にしましょう」  びっくりして顔を上げた。軽いウィンクと共に、差し出される右手。しばらく躊躇していたけれど、今度はリックは手を引いてくれなかった。  思い切って手を伸ばし、優雅な長い指をそっと握り返してみた。彼の手はとても優しいぬくもりに満ちていて、僕のいじけた胸はふわっと心地いい安心感に包まれた。

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