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第14話
通り過ぎて行く人がみんな自分を見ている気がするのは、自意識過剰だろうか。
いや、きっと気のせいじゃない。確かに見られている。ほとんどの人が好意的な眼差しで。一部の若い男なんか、あからさまにアプローチしてくるぶしつけな視線で。
きっとみんな、僕が男だとは気づいていない。ドーリーメイクされた自分の顔を見て、僕自身ですらびっくりしてしまったくらいだ。メイク一つで自分の顔が、これほど変わるとは思わなかった。
注目を浴びるのは苦手なはずだった。でも、どうしたんだろう。なんだか伸び伸びしてしまう。きっと知人の誰が見ても、今の僕を内気で目立たない桂新之助だなんて気づかないだろうから。
浮き浮きとスキップでも踏みそうに歩いていると、履きなれないヒールの踵がひっかかって転びそうになる。さっきから何度もつまづいてはよろけ、そのたびに隣の力強い手に支えられる。
「あ……」
またふらついてしまった体、今度はしっかりと肩を抱かれ、心臓が跳ね上がった。思わず見上げると、リックが複雑な困惑顔で見下ろしてきた。
ちょっと二人で街を歩きたいとリックが言い出して店を出てからもう10分、彼は笑ってくれない。ただ困り顔で沈黙したまま、妙に熱い眼差しを注いでくるだけだ。
もしかしたら本当は、気色悪いと思われているのではないか。
綺麗に着飾りメイクされ、ウェイビーロングのウィッグまでつけられた自分の姿を鏡で見たとき、封印の解けた胸の奥の箱からどんどん喜びが湧き上がってきた。表面上は嬉しい顔なんかしないよう必死で堪えていたけれど、もしかしたらリックには読まれているのかもしれない。
僕が女装して喜んでいることを。
ナチュラルでいい、とは言ってくれたけれど、ナチュラルにもほどがあると思われただろうか。
急に不安になって、僕は震える指で相手のサマージャケットの裾をそっと握った。肩に置かれた手が応えるように髪にかかり優しく撫でられる。それだけで、全身がふわっと舞い上がるような喜びに包まれる。胸がどうしようもなく高鳴り、女の子になって憧れの男性とデートしているみたいな、妙な気分になってくる。
らしくないためらいがちな彼の視線が、僕の瞳を捕らえた。リックは言いづらそうに口を開く。
「シン、正直言って、私は少し後悔しています」
舞い上がっている僕に、彼のその一言が冷水を浴びせた。やっぱり幻滅されたのだ。いくらオープンなアメリカ人だって、女装男子と並んで歩くなんて不名誉は勘弁してほしいだろう。
今は返事をしたくなかった。男の声を出したら魔法が解けて、元の姿に戻ってしまいそうな気がしたからだ。だから、僕はただそっと俯く。泣きそうな顔を見られないように。
リックがいきなり足を止めた。僕もつられて前のめりになりながら立ち止まる。
「違う、そうじゃない。そんな顔をしないで」
まるでこちらの気持を読んだようにあわてて言って、リックは困ったように首を振る。髪を撫でていた指が頬に触れた。びっくりして相手を見上げると青い瞳が切なげに細められ、僕の胸はギュッと搾られた。
「こっちに来て」
リックは強引に僕の肩を抱き、細い路地に引き入れる。大通りからちょっと離れただけで、世界から隔絶された場所に二人だけでいるような気分になった。
「シン……」
正面に立った彼は僕の頬を撫でながら、熱っぽい眼差しで包み込む。
「後悔していると言ったのは、これ以上君に惹かれてしまうと後戻りできなくなると思ったからです。君はあまりにもチャーミングだ」
「っ……」
リックが何を言っているのか、頭の中身までふわふわになってしまった僕には理解できない。でもきっと、気持ち悪いとか一緒に歩くのが恥かしいとか、そういうことじゃなくて……。
「君は今、自分がどんな顔をしているかわかっていますか? とても嬉しそうだ。昨日からずっと、君はどこか不安げで寂しそうな感じがしていたけれど、今はとても生き生きとしている。頼りなくて守ってあげたい君も可愛いけれど、輝いている君もとても素敵だ」
輝いている? 本当だろうか。
もしそうだとしたら、それは綺麗な服を着て夢が叶ったからというより、こうしてリックにエスコートしてもらっているからじゃないだろうか。
そう思ったら、撫でられている頬が急にほてってきた。こんな顔、見られたくない。だってきっと、真っ赤になっている。
ずっと困惑顔だったリックが、ふと微笑んだ。きっと僕が、どぎまぎとゆでだこみたいになってしまっているのが面白いからだ。
「君がそんなに動揺しているのは、もしかして私のせい? そうだとしたら嬉しいな。可愛い君に、どうかキスさせて」
ダメだよ、と言う間もなかった。綺麗な顔が近付いてきて、僕は反射的に目を閉じる。唇にぬくもりが触れた瞬間、体の中を小さな星の欠片がキラキラと駆け回るような感覚に襲われた。やわらかくて温かい感触は、離れては何度も僕の唇に触れてきて、ここが狭い路地とはいえ街中だとか、そういうまともなことを考えられなくさせる。
まるで、恋愛映画のヒロインになったみたいだ。地味でちっぽけな僕なんかの人生で、こんな素敵なことがあっていいんだろうか。
このまま、時間が止まってしまえばいい。
これ以上キスされ続けたら、しあわせ過ぎて死んでしまうかもしれない――そう思い始めたとき、相手の体が少し離れ、僕はそっと目を開けた。声が出せないので、唇だけで彼の名を呼んだ。包み込むような微笑が返されて、なんだか泣きたい気分になった。
リックは頬に軽くキスしてくれ、意識せず彼のジャケットの裾を掴んでいた僕の左手をそっと取った。そして、ジーンズのポケットから出したものを薬指にはめてくれる。可愛いアクアマリンの石のついた、星型の指輪だ。
「さっきの店で、君がメイクルームに行っているときに買いました。君に似合いそうだと思って。今日の記念です」
そう言って、ちょっと照れたように肩をすくめる。リックの瞳みたいな澄んだ淡いブルーの指輪は、男にしては華奢な僕の指にあつらえたようにピッタリだ。
時間を止めることはできない。夢のひとときはもうすぐ終わってしまう。でも、二人でこうして恋人同士みたいにデートした証だけは、少なくともこれで残る。
素敵なものをありがとう、と言葉で言う代わりに、その腕をそっと握った。ぬくもりから感謝の気持ちがしっかり伝わりますようにと祈りながら。
「うん、私からもありがとう。今日はとても楽しかったです」
もしかしたら彼は、いじけた僕を救うために異国から来てくれた魔法使いなのかもしれない。だって僕が言いたいことは、全部ちゃんとわかってくれているじゃないか。
もしも魔法が使えるのなら、この先もずっと、一緒にいられるようにしてくれないかな。そう思ったけれど、きっとそんな分不相応な望みは、さすがに聞いてはもらえないのだろう。
そっと抱き寄せられて、おとなしく彼の胸に体を預けた。不思議だ。全然怖くない。ふわふわの羽毛でくるまれるみたいな優しい感触が、全身に伝わって心地がいい。
1秒でも長くそうしていたくて、僕は彼のジャケットの胸のあたりをキュッと握り、悲しい現実を見ないようにしっかり瞳を閉じていた。
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