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第20話

 チェーンからはずした指輪を右手でそっと摘み上げ、微かに震える指にはめようとしたとき、 「シン!」  いきなり背中に届いた声に、ビクリと肩が跳ね上がった。その拍子に手を離れた指輪は、きらきらと光をこぼしながら澄んだ水の中に落ちていく。 「っ……」  コンマ1秒もためらわず、即座に飛び込んだ。  底は思ったより深く、いきなり肩まで冷たい水に浸かる。全身がナイフで突かれたような痛さにすくむ。駆けてくるリックの声と足音が、やけに遠くに聞こえる。  とにかく、何も考えなかった。僕の目は沈んでいく青いきらめきだけを追い、伸ばした手でかろうじてそれをキャッチする。 「!」  しっかりと握り締めホッとした次の瞬間、流れに脚がさらわれた。深さはそれほどでもないのに自然の力はすごい。上から見ていたときは緩やかだった流れに、こうして胸まで浸かると体ごと持っていかれる。  岸に生えていた草をとっさに掴んだ。そのまま這い上がろうとしてみるけれど、ダメだ、水の勢いに逆らえない。  天性の運動音痴の僕は、当然泳げない。足はほとんど爪先立ちで堪えている状態だ。不安と焦りが背筋を這い上がる。  まさかこのまま流されて、リックと永遠に離れ離れになってしまうんじゃないだろうか。 「嫌だ!」  無意識に出た一言だった。自分でもびっくりした。でも、意思とは関係なくこぼれる言葉を僕は抑えられない。 「嫌だ、死にたくない! 離れたくない! 一緒にいたいよ、リック!!」 「シン、なんてことを! 君がそんなに思いつめていたなんて……!」  真っ青になって飛んで来たリックの悲痛な顔を見て、とんでもなく誤解されていることを知る。 「ち、違う、死のうとしたんじゃないよ! 死んでなんかいられないよ! だって僕、リックの恋人になりたい! もっともっと、しあわせになりたいんだ!」  叫んだ瞬間、胸の中にあった重石みたいなものがふっと取れ、急に軽くなった気がした。  そうか、今わかった。僕が本当に望んでたのは、いい思い出を作ることなんかじゃない。甘いメモリーをそっと胸に抱いて、一人心静かに生きていくことでもない。  どんなにつらくたって、切なくたって、怖くたって、2人でいたい。心も体も彼と繋がって、ぬくもりを分け合って一つでいたい。それだけだったんだ。  彼は僕を好きだと言ってくれた。それなのに、何を迷うことがある? 国籍が違うから? 距離が遠いから? 文化や言葉が違うから? トラウマを克服できないから?  そんなの全部死ぬ気になれば、なんだって乗り越えられるじゃないか! 「シン、捕まって!」  リックがその長い手を伸ばしてくれる。でも、あとわずかのところで届かない。そして僕も、両手で掴んでいる命の草を放せば体が流されてしまいそうな恐怖から、手を放せない。それに、一緒に握りこんでいる指輪を落としてしまうのも嫌だ。  それでも、今が勇気を振り絞るときなんだ。大事な決断をしなきゃいけないときに、流されてなんかいられない。くじけてなんかいられない。 「リック、聞いて! 僕飛行機ダメなんだ! 乗れないんだよ! だってあんな大きな鉄の塊が空飛ぶなんて信じられないでしょ!?  でも僕、頑張るよ! リックに会いに行くために、頑張って乗ってみせるから!」 「シン、今はとにかく私の手を取って!」 「だから、やっぱりこないだのは無し! 僕も好き! 大好きなんだよ! こんなに好きな人、この先二度と現れない! リック、僕を恋人にして! お願いだから!」  開けるたびに口の中に入って来る水に咳き込みながら、僕は必死で訴える。そしてありったけの勇気と共に、命の草を握っていた手を放し、彼の方に差し伸べる。リックの力強い手が僕の手をしっかりと掴んだ。 「望んだのは私が先だ! もう絶対に、君の手を放さないよ!」  約束と共に手が引かれた。でも自然の力は、僕達2人の予想をはるかに超えていた。 「っ……」  バランスを崩したリックが上から落ちてくるのが見え、目を閉じた瞬間に、逞しい腕に体が抱き締められた。同時に、足が川底から離れる。  ダメだ、リックを助けなきゃ……!  そう思ったのは一瞬で、頭まで水に浸かった僕の意識は遠のく。不思議なほど怖くないのは、温かい腕が守るように体を包んでくれているから。  離れないようにその背にしっかり手を回したまま、僕は意識を手放した。

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