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第18話 匂い
水曜日の夕方。
俺は大学の後、バイト先である本屋のロッカールームに向かった。
ロッカールームに入ると、先客がいた。
癖のある長めの茶髪。赤い縁の眼鏡。
軽そうな雰囲気の、俺より少し背の高い男性。
瀬名悠人さん。俺よりひとつ上で、たしか医学部の学生だ。
彼は、エプロンをしながら俺を見つけると、笑って言った。
「よお、結城。おはよー」
「おはようございます、瀬名さん」
軽く頭を下げて、俺はロッカーに向かう。
ロッカーの鍵を開け、中に入っているエプロンとボールペンなどを取り出す。
「毎日あっついよねー」
瀬名さんの言葉に俺はエプロンを後ろで縛りながら頷く。
「そうっすねー」
「僕、暑いの嫌いなんだよね」
「暑いの好きな人、いなくないっすか?」
ロッカーを閉め、鍵をかけながら答え、瀬名さんの方に振り返る。
彼は、エプロンのポケットにボールペンやカッターをしまいながら頷いている。
「確かにそうかも」
「暑くなる一方だもんなー。猛暑なんて嫌いだ」
「そうですねえ」
喋りつつ、俺もボールペンなどをポケットにしまう。
俺と瀬名さんは同じ時間に出勤することが多い。
なのでロッカーで顔を合わせればこうやって喋ることが多かった。
「あれ? 結城、何か匂いがする」
ロッカールームを出て隣に並んだ時、瀬名さんは不思議そうな声で言った。
「え? 匂い?」
言われて俺は、自分の匂いをかいでみるが、全くわからない。
「え、何だろう……柔軟剤とか?」
「柔軟剤の匂いじゃなくって、それとは違う匂いがするんだけど……気のせいかな?」
そう言って、瀬名さんは首を傾げた。
「えー? 気になるんですけど。帰り、スプレー買って行こう」
さすがに何かわからないけど、匂うと言われていい気はあまりしない。
すると、瀬名さんは笑って首を横に振った。
「ははは、大丈夫だよ、たぶん。そういう嫌な匂いじゃないと思うから」
「ほんとっすか?」
そんなことを言いながら、俺たちはバックヤードに向かって行った。
千早と関係を持ち、一週間が経過した。
千早の行為は、日々エスカレートしている。
顔を合わせれば夕食の後、寝室に連れて行かれゆっくりと時間を掛けて、俺の身体を味わっていく。
会わない日は通話で俺に指示をだし、ディルドでオナニーをさせた。
おかげで俺の後孔は大きなディルドを飲み込めるようになり、初めての週末を迎えた。
千早に会わない日は俺の身体が疼き、あいつとの甘い時間ばかり考えてしまう。
そして土曜日。
今日は千早に会える。
そう思うと心が弾み、身体の奥底が熱くなる。
いいや、それどころじゃねえだろう、俺。
今日はバイトなんだから。
午後一時からのアルバイト。
スマホ曰く、今日の最高気温は二八度らしい。
もう夏じゃねえか、それって。
外に出ただけで、汗がじわりと流れてくる。
バイト先は大学の最寄駅なので、電車に乗らないといけない。
そしてこの後、千早の所に行くのでちょっと荷物が多くなってしまった。
着替えの詰まったトートバッグ。これ、駅のコインロッカーに預けて行かねえとな……
そんなことを考えながら俺は、駅へと向かった。
バイト先に着くと、ロッカールームで瀬名さんとかちあった。
そういえば、今日の出社時間、瀬名さんといっしょだっけ?
私服姿の瀬名さんは、俺を見るなり笑顔で言った。
「よう、結城、おっはよー」
「おはようございます、瀬名さん」
俺は彼に挨拶し、バッグの中から制汗スプレーを取り出しだ。
この間、瀬名さんに言われて買ってきたやつだ。
首や脇、腹にスプレーしていると、瀬名さんは笑いながら俺の方にやって来た。
「あ、ほんとに買ってきたんだ」
「えぇ。だって、気になっちゃって」
一通りスプレーをし、俺は缶をロッカーに放り込み、エプロンを取り出す。
「確認してやるよ」
ふざけた口調で言いながら、瀬名さんは俺に近づき首元に顔を寄せた。
「……あれ?」
不思議そうに呟き、瀬名さんは俺の顔をじっと見た。
「どうか、しました?」
エプロンをしながら尋ねると、瀬名さんは首を傾げて声を潜めて言った。
「君、オメガじゃ、ないよね?」
その言葉を聞き、俺の心が跳ね上がる。
「ち、違いますよ。何言ってるんですか、そんなこと聞いて」
驚きすぎて、俺の声は裏返ってしまっている。
オメガじゃない。
ンなわけはない。
瀬名さんは首を傾げ、顔をしかめている。
「だって、お前……」
と言って、彼は口を閉ざす。
なんだろう、この反応。
「ならいいけど。いやさ、この間言ってた匂い……なんだけど。お前からアルファの匂いがするんだよね」
真面目な顔をして言われ、俺は思わず間抜けな声を出す。
「へ?」
「僕、アルファでさ、人より匂いに敏感なんだよね。この間は気のせいかと思ったけど、スプレーしても匂いがするから、マーキングされてるのかと思って」
マーキング、ですと?
どういうことだよそれ。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか。そもそも俺、オメガじゃないし。友達にはどっちもいますけど……」
「そっか。ならいいんだ」
と言い、彼は俺のうなじをそっと撫でた。
「ひっ……」
「ほら、行こうぜ。時間になっちゃう」
瀬名さんは笑って言いながら、先にロッカールームを出て行った。
なんだあれ?
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