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第31話 不安定

 千早が用意した朝食。  トーストに、ソーセージ、カップスープとミルクティー。  それらがのったお盆をリビングのテーブルに置くと、千早は俺の隣に腰掛けた。  ソファーの肘おきに肘をつき、本を開いている。 「いただきます」  隣にいられるとちょっと食べにくいが、空腹には耐えられず、パンののった皿を手に取る。  ワイドショーが流れているものの、何も情報が入ってこない。  さっきの千早、何だったんだろ?  あんな千早を見たのは……先月、千早が食堂で宮田に声をかけていたことについて話した時、以来か?  あの時、千早は弱った様子だったな。  かと思えば、千早は俺にあんなことをして。  わけわかんねえ。  こいつの様子がおかしくなったのは、宮田に会ってからだ。  情緒不安定、とでも言えばいいのだろうか。  今日見せた、不安げな様子とかこいつらしくない。いや、俺にしてることも十分おかしいけれども。  こいつはどうしたいんだろう?  運命の相手を探していると言っていたのは知っている。  だけどその相手には拒絶されて。  それから明らかに千早はおかしくなっている。  さっきの姿が本来の姿なのか、それとも普段、俺を相手にする時の姿が本来なのか?  病んで見せたり、不安を見せて来たり。  俺にはわからない、運命の番、と言う存在。  運命の番っていう存在は、こんなにも(アルファ)をおかしくさせるのか?  ……今までアルファとか考えたことなかったしな。  ……ほかのアルファって、瀬名さんしか知らねえし。  あの人は、運命に振り回されるとかなさそうだな。  聞いても何にもわかんねえだろうな。  っていうか何も参考にならなそうだ。  まあ、瀬名さんにアルファのあれこれを聞くことはないと思う、たぶん。  朝食を食べ終え、俺は隣を見る。  千早はまだ本を読んでいる。  タイトルからして、大学の講義に関連するものだろう。  千早は本から視線を外し、俺の方を見た。  その視線に気が付き、俺は慌てて、 「食べ終わった、ごちそうさま!」  と言い、手を合わせた。  すると、千早は本にしおりを挟み、その本をテーブルに置いた。 「あぁ。じゃあ、片付けてくる」  言いながら立ち上がろうとする千早を、俺は制し、 「それくらい自分で片付けるから!」  そう声を上げて、ばたばたと立ち上がり、お盆を持ってキッチンへと持って行く。   「……そのまま、置いておいてくれれば後で片付けるから」  その声を背中に聞きながら、俺はキッチンに食器を持って行った。  カウンターキッチンの中。  流しの横に盆を置き、使った食器を流しに置く。  流しの後ろに随分と大きな観葉植物が置かれているが、俺には植物の名前が全くわからなかった。  言われた通り、食器を置くだけおいて、俺はリビングへと戻る。 「なあ、千早」 「何」  彼はまた本を手にし、俺の方を向く。 「お前さ、大丈夫なの」  我ながら具体性のない質問だ。  そう思いつつ、俺はソファーに腰かける。  彼の方を向くと、本を手にしたまま、首を傾げて俺を見ていた。 「何が」 「だってさっき、色々言っていたから」  すると、千早は俺から視線を反らし、下を向いてしまう。  そして、片手で顔を覆った。  ……あれ?  俺、何かまずいこと聞いた?  気まずい沈黙のなか、CMの音がやけにうるさく感じる。  千早は黙ったまま動かないし、俺はどうしたらいいのかわからない。  重苦しい空気の中、俺は悩んだ挙句何とか彼の名前を呼んだ。   「ち、千早……?」 「……ごめん、何言ったらいいか、わかんなくて」  絞り出すような声で言い、千早は首を振り、顔から手を外しこちらを向く。  哀しさとか苦しさとかを混ぜたような顔。  そんな顔で見つめられ、俺は悩んだ挙句、なんとか声を絞り出す。   「なんて言うか、お前らしくないから、あの、色々と」 「俺らしくない、か。そうだな、そうだろうな」  そしてまた、下を向いてしまう。 「なあ琳太郎」 「何」 「お前は、運命を信じるか?」 「……そ、そんなの考えたことねえよ」  運命なんてそんなものあるだろうか?  俺は懐疑的だけれど、たぶんきっと、千早にとって運命は確実に存在するものなのだろう。  それはなんとなくわかる。  じゃなくちゃ、ここまでおかしな行動を取っていないだろうし。 「だろうな。俺だって疑っていたし。でもそれはいた。見たとき震えたよ。本当にいたんだって、魂が呼応する。それは事実だった。けれど……」  そこで千早は黙ってしまう。  運命の番である相手は、それを拒絶し、逃げ出した。  それがどれほどの事かなんて俺にはわからないけれど。   「だからって俺に身代わり求めるのは……」  すると、千早の手が動き、俺の肩を掴んだ。  千早の顔がすぐそこにある。  大きく目を見開き、白い顔で俺を見ている。 「ちは……」 「身代わり。そうだな。誰も運命の相手の身代わりにはなれない。けれど、そんなもの作りだせばいいと思わないか?」 「ちはや……」 「あいつが抗うなら、俺も抗えばいい、そう思わないか?」  千早の手が、俺の首にかかる。  苦しい。  どうしてこんなに不安定なんだこいつ。  ちがうな、これ、不安を哀しみで表しているか、怒りで表しているかの違いか?  ……いや、それって結局不安定じゃねえか。  運命に抗う。  俺にはよく分かんねえけど、それってこんなに苦しいものなのか?  おかしくなるものなのか?  自分で作りだせばいい。って、どういう意味なんだよ、おい。  言いたいのに、苦しくて何もしゃべれない。 「ち、は……」  俺が呻くと、千早の手の力が緩む。  そして今度は抱きしめられ、そして、 「ごめん」  と、低く、呻くような声で言われた。  謝るくらいならするんじゃねえよ。  そう思うけれど、苦しくてそれどころじゃない。 「琳太郎」 「ん、だよ……」 「巻き込んで、悪かったと思ってるよ」 「ほんとだよ」 「はっきり言うな」 「そうしたのはお前だろうが」 「そうだな」  それきり、千早は黙ってしまう。  首絞めたり、急に謝ったり、忙しいやつだな。  それで俺は、身代わりでいつづけるのか?  このまま卒業まで俺は……  そんな問いかけの答え、俺に出せるわけはなく、今の俺にできるのは、今俺に張り付いている男を引っぺがし、外に連れ出すことだけだった。

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