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第45話 帰る家
暑い。
湿度が高くて、歩いているだけで汗が噴き出て着ているTシャツが肌に張り付いてくる。
瀬名さんのマンションから駅までの道のりは歩いて十分弱、と言うところだろうか。
途中の自販機でスポドリを買い、それの蓋を開けて中身を飲みながら車通りの多い通りを歩く。
千早になんて言おう?
……下手に誤魔化すよりも、素直に言うほうがいいよなあ。どうせ、瀬名さんに会っていたことなんて匂いでわかるだろうし。
スマホを握りしめ、画面を見つめる。
真っ黒な画面にはもちろん何も映らない。
あぁ、そうだ。
瀬名さんにメッセージ送っておかないと。
……あの人、何考えてんだろ?
どこまでが冗談で、どこからが本気なのかわからない。
抱きたくなる、って本気かよ?
俺、オメガじゃねーぞ。
……あ、でも、あの人オメガに興味ないんだっけ?
面倒だとか言っていたような。
あの人にも、運命の相手とかいるのかなあ。
瀬名さんなら、なんだかわけのわからない力で、運命なんて断ち切りそうだな。
運命かあ。
――運命を断ち切ることなんてできるんだろうか?
宮田はそれを断ち切ろうと足掻いている。
そして、千早も……なのかな。
宮田だけが運命を断ち切り、千早だけが運命に縛られ続けるなんてこともあり得るんだろうか?
もしそうなったら、千早はどうなるんだろう?
……今まで、運命なんて考えたことなかった。
俺には関わりのないはずのものだった。
なのに。
俺の知らない運命の糸が、俺を絡め取ろうとする。
そんなものに左右される人生なんて、俺はまっぴらなんだけどな。
自分の運命くらい、自分で決める。
そう思い、俺は左手の拳をぎゅっと、握りしめた。
土曜日の昼間の駅前は人がとても多かった。
人の波から逃げながら俺は、スマホを開き、メッセージアプリをタッチする。
千早、今、どうしてるんだろう?
時刻は十五時二十分。
こんな時間にあいつとやり取りしたことなんてねえんだよな。
かすかに震える指でスマホを操作し、俺は千早にメッセージを送った。
『今、家にいる?』
とだけ書いて送ると、すぐに既読が付く。
『家で課題やってた。お前、バイトじゃないのか?』
家にいるんだ。よかった。
『出てきたけど体調悪くなっちゃって』
『今どこだ、迎えに行く』
あぁ、やっぱりそうなるんだな。
とりあえず、いつもの東口のコンビニ前で待つことを伝えると、既読だけが付き返事は来なかった。
たぶんきっと、今慌てて用意してんだろうな。
想像すると、ちょっと笑ってしまう。
俺は、コンビニ外の壁に背を預け、人の波を見つめる。
人が多いな。
親子連れ、学生の集団、カップル。
彼らは楽しそうに通りを歩いて行く。
俺と千早って、あんな風に幸せそうに見えるのかなあ。
……そもそも、明るい時間に手を繋いで歩くとかしてねえや。
さすがに恥ずかしいし。
しばらくぼんやりしていると、人の波の中から黒とグレーのTシャツを着た千早が見えた。
彼は俺の姿を認めると、小走りに俺に近づいてきて、そして腕が伸びてくる。
この暑い中、抱きしめられるのは嫌なんだけど?
しかもここ、日中の駅前だぞ?
「……何があった?」
耳元で聞こえた声が怖い。
怒ってる? それとも、別の感情?
これ、絶対匂いで何か察してるよな。
俺にもアルファとかの匂いがわかればいいのに。
俺には何にもわからない。
「と、とりあえず離せよ、恥ずかしいから」
言いながら千早の胸を押すと、嫌そうな顔で離れて行く。
さすがに俺は、人目を気にする。
女子高生の集団が、キャーキャー言いながら通り過ぎていくのを見なかったふりをして、俺は千早に言った。
「過呼吸っていうの? それ起こして……それで、あの、瀬名さんがちょうどそばにいたから、休ませてもらってた」
嘘をついても仕方ないので、オブラートに包みつつあったことを言う。
すると、千早の表情は見るからに硬くなる。
あ、やっぱり瀬名さんの名前には反応するよな。
「……一緒に、いたのか」
感情を押さえようとしているのがひしひしと伝わる声で言われ、俺は無言で頷いた。
「そりゃ、バイト一緒だし。あの人、医学部の学生だし」
「何もされなかったか?」
何もの範疇にもよるんですがそれは。
抱きしめられたし、キスされたし。
何もされなかった、とは言えない。
嘘をつくの、苦手なんだよな……
俺が黙っていると、千早の手が、俺の頬に触れる。
「顔色悪いな。帰ろう」
帰る。
どこに?
千早の家か。
今日は土曜日だ。
千早の家に泊まる日。
でも正直、今日はあんなことできる気はしない。
とにかく今は横になりたい。
「とりあえず、俺、休みたい」
もうおさまったと思ったのに、胸に痛みを感じる。
何なんだろう、これ。
「琳太郎」
手が背中へと回り、身体を引き寄せられてしまう。
だから暑いし、ここは外だっての。
そう思うものの言葉は出てこない。
思った以上に俺、何か変なのかも。
俺は、千早に支えられつつ、彼の家へと向かった。
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