59 / 66

第59話 そんなことする奴だっけ

 七月七日木曜日。七夕。  このところ雨続きだったが、今日は雨がやみ、晴れ間が見えた。  今日は木曜日。  そう思うと、心が少し重い。  この間の火曜日よりは、少しましかな。  スマホは相変わらず、千早からの着信を知らせては来ない。  そんなの来るわけないとわかっているのに。  心のどこかで俺はまだ、千早を待っている。  それでも俺の日常は変わらない。  大学へ行き、講義を受けて、昼食を食べる。  昼休みの食堂。  宮田の様子がなんだかおかしかった。  いつもはがっつり食べるのに、今日はうどんという、食の細さを見せた。 「お前……何かあったの?」  さすがに心配になり声をかけると、宮田は目を大きく見開き、ぶるぶると首を横に振る。 「ううん、なんでもないよ、なんでも」  そう答えた後、深刻そうな顔でテーブルを見つめている。  ……俺が心配するのもどうかとは思うけど、大丈夫か、こいつ。  宮田は顔を上げ、 「結城は、大丈夫なの?」  と言ってきた。  この間の見たら、そりゃあ心配に思うよなあ。  この間よりは調子はいい。  ちょっと、心はざわつくけれど。 「この間よりはだいぶ、落ち着いてる、かな」  俺が言うと、宮田は笑って、そっか、と頷く。  そして、勢いよく立ち上がり、盆を持って、 「僕、ちょっと用事あるから先行くね!」  と声を上げて去って行ってしまう。  ……明らかに変だよな、アレ。  そうは思うけれど、俺はまだお昼の親子丼を食べ終えておらず、追いかけるわけにはいかなくて。  俺は黙々と食事を続けた。  食べ終えて食器を片付けた後も、俺は食堂にいた。  宮田が戻って来るかも? と思ったせいもあるけど、他に行くあてもなかった。  次の講義の開始時間が近づき、徐々に辺りのざわめきが少なくなっていく。  宮田は戻ってこず、でもそろそろ移動しねえと、と思い、読んでた本をバッグにしまっていると突然、後ろから抱き着いてくるやつがいた。 「結城っ!」 「……って、宮田?」  宮田が椅子に腰かけている俺の首に抱き着いている。  な、な、な、何があったんだ?  こいつ、こんなことする奴でしたっけ?  ……違うな。  こんなの初めてだ。  宮田の腕の力は強く、正直苦しい。 「どうしたんだよ、急に」 「結城が僕を守ってくれたんだから、僕は君を守りたい」 「な、え?」  何を言われているのか意味が分からず、思わず間抜けな声が出てしまう。   「僕は運命に抗うって決めた。そのせいで彼がどうかなってしまったけど……それでも僕は、僕と君を守りたいんだ」  そう言った宮田は、なぜか震えていた。  何があったのか、いまいち理解できねえ……  ていうか、守りたいって、なんか告白みたいじゃねえか。  俺は思わず周りを見る。  数人の学生の姿が視界の片隅に映り、こちらを見ているのがうかがえる。  あれ、同じゼミとかじゃねえだろうな……   「宮田、苦しいんだけど」 「ごめん、ちょっとまだこのままがいい」  まじかよおい。  講義が始まるぎりぎりまで、宮田は俺に抱き着いたままだった。  夕方。  俺よりも宮田の方が心配だったが、彼はすっきりした顔をして、大丈夫だから、と言った。 「結城は? 大丈夫なの?」  逆に問われて俺は、ちょっと考えて答える。 「この間よりはずっといいよ」  と答える。  この間は、夕方が近づくにつれて息が苦しくなった。  けれど今日は……ざわつきはするけれど、息苦しさは今のところない。  俺が答えると、宮田は頷きながら言った。   「そっか。辛かったらまた、家まで送るから言ってね」 「あぁ」  宮田とは駅に向かう途中で別れて俺はひとり、歩いて行く。  道にはところどころ水たまりが残り、歩くたびに水しぶきが散る。  木曜日。  いつもは千早の部屋に行っていた日。  駅が近づくにつれて、徐々に足が重くなっていく。  千早の家の場所はわかってる。  だけど、今は足を向けられない。  そして俺は駅前のロータリーそばの歩道で、足を止めた。  どうしよう。  親に迎え……とも思ったけど、それは躊躇われた。  親に知られたくない。  そう思い俺は、首に手をやる。  だからといってこのまま家に帰れる自信もなく、俺はひとり、立ち尽くした。  そんな俺の周りを、人々がざわめき通り過ぎていく。  誰も俺のことなんて気にもとめないだろう。  世界にひとりぼっちのような、そんな感覚に襲われ、不安が心を侵食し始めてしまう。  昨日は平気だったのに。  千早に求められていた日常は、ひとりだとかそんなこと思うことはなかった。  千早がいた時間、共に過ごした日々は、偽物じゃなくて現実だ。  俺の中で、会いたい気持ちが浮いては消えていく。    「琳太郎」  掛かる声に、思わず身体が震える。 「せ……悠人、さん」  白とグレーの半袖パーカーにグレーのキャスケットを被った瀬名さんが、俺の目の前に立っていた。 「どうしたの、そんな所で立ち尽くして」 「え、あ……」  なんと答えていいかわからず、俺は戸惑い下を俯く。  まるで何かに足を掴まれているかのように、足が動かない。   「琳太郎」  腕が掴まれそして、 「送っていこうか?」  と言われるけれど、俺は頷くことも首を振ることもできなかった。  突然顔をだす不安。  顔を合わせるのも辛い。  親の前では極力笑っていたいし、心配かけたくない。  だからといって、ひとりになると襲ってくる不安への対処法を俺は知らない。 「少しうちで休んだら、送っていくよ」  と言い、瀬名さんは俺の腕をひいて行った。  このところよく来ている瀬名さんの部屋。  俺はソファーに寝転がり、天井をぼんやりと見つめていた。  言いようのない不安が、心を侵食してる。  このままじゃ駄目なのに。  ――千早のいない世界を、俺は受け入れきれないでいる。  俺、ちゃんと向き合いたいのに。  千早と。  でもまだ駄目みたいだ。  千早と話しできる日、ちゃんと来るかな。   「琳太郎、ココア飲む?」 「……あ、はい」  思考を遮られそして、とっさに返事をしてから何を言われたのか理解する。  ココア、って言ったよな。  重い身体を起こし、体勢を変えてソファーに座ると、瀬名さんはマグカップをテーブルに置く。  マシュマロの浮いているココアから、湯気が立つ。 「時々すっごく飲みたくなるんだよね、罪な飲み物って」 「罪ってなんですか」 「高カロリーな飲み物って事」  言いながら、瀬名さんは俺の隣に腰かける。  ココアにマシュマロ。  すげー甘そうだし、カロリーすごそうだ。 「すみません、いただきます」  そして俺は、マグカップを手にする。  湯気の上がるココアは見るからに熱そうだ。  マシュマロは、白い泡を作り溶けていっている。 「あんなところに突っ立って、何かあったの」 「それは……」  と呟き、俺は口を閉ざす。  そして、俺は首を振り、 「大丈夫ですから」  と答え、ココアを飲んだ。  思った以上に甘い。  少しずつココアを飲んで、俺の気持ちも落ち着いてくる。  浮いたり沈んだり。  明日はもっとマシになるだろうか?  今日は七夕か、ってことは……もうすぐ、千早、誕生日なんだな……  七月二十三日。  今年は土曜日か。  ご飯奢るとか、そんなことしてたな。  高校生だったから、大したことはしてねぇけど。  今年はどうしよう……  俺、千早にプレゼントあげていいのかな。  でも何あげたらいいんだ?  会えるかわかんねぇけど……買いに行く位はできるか。  俺はカップをテーブルに置きスマホを取り出して、宮田にメッセージを送る。 『急なんだけど、日曜日時間ある?』  するとすぐに既読がつき、返信が来る。 『日曜日? 十五時からなら大丈夫だけど』 『買い物付き合って』  すると、オッケーのスタンプが返ってくる。  いつまでも、悩んでいるのは嫌いだ。  少しでも前に進めるなら進みたい。  誕生日をきっかけに何か変われたら、いいんだけどな。 「琳太郎」 「あ、はい」 「ココア飲んだら、帰れそう?」  問われて俺は、黙って頷いた。

ともだちにシェアしよう!