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「そのまま、気まずい雰囲気にならなくて良かったですね」 「うん、本当。本当にね。……今思えばそうとも思うし、馬鹿みたいに絡まなければ良かったとも思ってたりもするよ」 声が徐々に沈んでいくのが聞こえ、何か声を掛けようとしたが、噤んでしまった。 そうとは知らずに伊織は話を続けた。 それからは、よくつるんでいた友人よりも、"あの人"とよく話すようになった。 "あの人"は見た目とは裏腹に、自分と変わらないやんちゃで、よく誰かしらの机の中に仕込んでは、驚くさまをこっそりと笑っているのだという。 そう言ってきて思い出すのは、ある日、教科書を机の中から取り出そうとした時、この世で最も不快を覚えるだろう、あの虫が大量に出てきたのだ。 一匹見れば三十匹はいると言うが、そんな生半可じゃない量だった。 冷静に見てみればただのオモチャであるが、そうだとしても、予想だにしなかった出来事に、かえって声を上げられず放心したという、何とも惨めな思いをしたことを思い出され、『お前だったのかー!』と大声を上げたのと同時に、抑え気味に笑っていた。 そのような笑い方に不思議に思った伊織は、『どうせなら、もっと思いきって笑えばいいのに』と言った。 すると、困ったような笑いを浮かべた。 『そうしたいし、本当はもっと大胆な悪戯を仕掛けたいのだけど、この身体じゃなあ……』 苦笑気味に笑う彼に伊織は首を傾げた。 "あの人"は生まれつき心臓が弱く、興奮したりすると、正常であれば心臓に流れていくはずの血液が逆流してしまい、結果、伊織が見た時のように、鼻血という形で出てしまい、入院しなければならないという。 しかも、それがどういうタイミングでそうなるのか曖昧であるため、普段は控えるように言われていた。 『だから、伊織が思いきって暴れているのが、羨ましくてさ』 『傍から見れば、俺って暴れている方なのか?』 『んー……まあ、僕からしたらみんな暴れているな。好き勝手に自由に、思うがままに』 馬鹿みたいだ、と言う"あの人"の表情は、子どもっぽく笑っているように見えたが、伊織の目には、羨望と諦めと悲しみが入り混じっているように見えた。 胸がずきりと痛む。 こんな気持ちになりたくない。どうしたら、彼のために出来ることはあるのだろうか。 どうしたら……。 『あと、羨ましいことがあるんだ』

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