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第2話
俺の雇い主は人使いが荒い。
「はーっ」
左手にアルコール消毒液の瓶を掴み、右手に雑巾を持ち、なんべんも吐息を吹きかけキュッキュッと磨く。プレートが金ぴかに光ってきた。ひれ伏し拝みたくなる神々しさ。
プレートの枠内には気取ったフォントで『tyakuraスピリチュアルセラピー』と書かれている。
「よし」
仕上がりに満足して額の汗を拭えば、扉が開いてスカした野郎がでてきた。
第一印象はホスト上がりの青年実業家。
頭のてっぺんから革靴の先までトイレの芳香剤みたいなブルジョワの匂いをぷんぷんさせてる。
着ているスーツはオーダーメイドのアルマーニ、左手首には紫の房が付いた数珠を巻いている。端正な塩顔に涼しげな切れ長の双眸がよく似合うが、見た目に騙されちゃいけない。
コイツ……マスコミにチャクラ王子だとか持ち上げられ、セレブなマダムを入れ食い状態の茶倉練の本性は、詐欺まがいの霊感商法で絶賛ボロ儲け中の関西人守銭奴だ。十年来の腐れ縁の俺、即ち烏丸理一が断言するんだから間違いねえ。
「終わた?」
「綺麗になったろ」
「ふーん」
あずきバーを咥えた茶倉が、小姑のように目を細めて点検しだす。
こないだは俺が献上したハーゲンダッツをご賞味あそばされていた。コイツは大の甘党なのだ。曰く除霊は脳のカロリーを消費するから、糖分の補給が不可欠らしい。本当かどうかは知らん、多分ホラだ。にしてもアルマーニとあずきバーの組み合わせはシュールすぎる、「あ」しか合ってねえじゃんか。
撲殺用の鈍器と一部で囁かれるあずきバーを口から抜いて突き付け、茶倉が命じる。
「純金の輝きに至っとらん。こんなん金メッキやん、やり直し」
「理不尽の極み。パワハラ反対」
「接客業は見た目が大事なんや」
「そもそもこのプレート純金製なの?純金じゃねえのに純金装ったら詐欺じゃん」
「ホンマもんの金や、剥がして持ってくなよ」
「溶かして腕時計にしてやる」
「お前の爪剥がれんのがオチや、しっかり溶接しとるさかいに」
「てか何時間プレート磨きやらせんだ、腕が疲れた」
「まだ三十分しかたってないで」
「お前は鬼か」
「ТSSの若き代表・茶倉練や。で、お前は俺に雇われとる雑用係兼助手。上司に要望あるならハッキリ言えや、出方次第じゃ交渉に応じたるよって」
この野郎、俺が逆らえないのを知ってて強気にでやがって。
悔しいかな、俺は茶倉に運命を握られてる。今じゃコイツがいなけりゃ日常生活が立ち行かない。
「ここまだ曇ってんで、気合入れて磨き直し」
「チッ、りょーかい」
「舌打ちは余計」
アルコール消毒液をスプレーしゴシゴシやる。ふと気になって尋ねる。
「どうでもいいがお前が食べてるの俺がコンビニで買ってきたあずきバーだよな」
「せやけど何か」
「いやいやなんで俺の食ってんの?お前の分のハーゲンダッツ買ってきたじゃん」
「口寂しゅうて」
しれっと開き直る茶倉。顔面に雑巾を叩き付けたくなるのをぐっと堪える。額に青筋立て、むきになりプレートを磨く俺の横でインチキ霊能者が嘆く。
「恨むんなら俺やのォて、表札にガム付けてったあくたれを恨め」
ぎくりとした。何故って犯人俺だし。一瞬止まった手の動きを再開、わざとらしく笑い飛ばす。
「ご近所さんにも嫌われてんのか。引っ越しそば持ってかなかったんだろ、どうせ」
「いまどきそばて逆に迷惑やろ。せやけど妙やな、心当たりは上のガキ位やけど背ェ届かんし」
「踏み台使ったんじゃね」
「随分手ェこんだ嫌がらせやな」
ごめん上の階の子、減俸は嫌だ。俺のこめかみを流れる汗を一瞥、茶倉が意味深な目配せをよこす。
「ところで理一。お前、上の階に寄ってから来とるやろ」
「えっ」
「まだ気にしとるんかあの事。しょーもないお人好しやな」
茶倉が腕組みしたままドアに凭れる。
脳裏を過ぎったのは一か月前の出来事、エレベーターで乗り合わせた霊の顔。
こともあろうに茶倉は、俺をおとりに使って悪霊を誘き出しやがったのだ。
その悪霊というのは茶倉の事務所の上、タワマン45階の元住人だった。
幽霊リーマンが茶倉の数珠サックによる右スレートで昇天した瞬間を目の当たりにして以来、どうにも心にひっかかり出勤するたび様子を窺いに行っちまうのだが……
「住人でもないヤツが徘徊しとるて噂んなっとる」
「なんで住人じゃねえってバレたんだろ」
「しまむらで買うた服のせいちゃうの」
「ユニクロだよ。タワマンにドレスコードねえだろ」
「俺はハイブランドで固めとるけど」
「誤解は?といてくれたよな」
「うちのド天然パシリがドジかましてえろうすいませんてごまかしといた、感謝せえ」
「今ので感謝する気失せたよ」
「タワマンも何かと近所付き合いめんどいねん。お前がけったいなことすると上司の俺が白い目で見られる、最悪強制退去」
「回覧板持ってったりすんの?アルマーニで?ウケる」
「お前の隣はギシアンうるさいやろな、苦情来んか?」
「毎日男連れ込んでるみてーに言うなよ、声はおさえてっからそこまでうるさくねェ」
心外な指摘にトーンを絞って言い返せば、「連れ込んどんのは否定せんのかい」と突っ込まれた。仕方ない、アパートの壁が薄いのだ。
プレートの角を神経質に擦り、遠慮がちに提案する。
「やっぱ遺族に」
「見えん連中が信じるかい。頭がおかしい思われるからやめろ」
「けど」
さらに食い下がる俺に対し、眼光が冷え込んでいく。
「四十九日が過ぎて漸く心の整理付けようとしてるのに、よく知りもせん他人がしゃしゃりでてひっかき回すな」
ぐうのねもでない正論に黙り込む。
茶倉の意見も一理ある、俺がしようとしている事は有難迷惑の押し付けだ。
事実45階で見かけた主婦と男の子は仲良く手を繋ぎ、父親を失くした哀しみから立ち直ろうとしていた。
あずきバーをひと齧りした茶倉がシビアな口調で付け足す。瞳には冷めた韜晦の色。
「あっちとこっちと線引きして住み分けるのが上手くやるコツ。越権行為は感心せん」
「事故でいきなり死んじまったんだぞ、本人も遺族も気の毒だと思わねえの?」
まだ納得できず反論する俺に対し、皮肉っぽく笑ってみせる。
「お前な。子どもの頃、横断歩道の白帯から落っこちたら地獄って遊びにハマっとったろ」
「なんで知ってんの」
「成長しとらんねホンマ。せいぜい親切心に付け込まれんようにな」
「茶倉は?横断歩道で遊んだことねえのかよ」
「|現実《リアル》で間に合うとる」
議論は平行線を辿って口論に至る。発言の真意を問いただそうと口を開いた矢先、44階に到着したエレベーターが澄んだ音をたてた。そろって振り向く。
「すいません、こちら『tyakuraスピリチュアルセラピー』さんでお間違いないですよね」
新たな依頼人の登場。ふくよかな体型の中年女が、ハンドバックを抱えて俺たちを見比べている。
「いらっしゃいませ、ようこそ『tyakuraスピリチュアルセラピー』へ。代表の茶倉練です、よろしくお願いします」
「まあまあご丁寧にどうも」
「むご!?」
食べかけのあずきバーを口に突っ込まれた。そのまま流れるような動作で女性に名刺を渡し、事務所へと招き入れる。依頼人をリビングに送り込んだ茶倉が、俺に向き直るなり愛想笑いを拭い去って命令。
「理一。茶」
ブチ殺してえ。
上司への殺意を胸の内に折り畳んで給湯室へ移動、茶の準備をする。来客用の玉露缶の蓋を外し、急須に入れて湯を沸かす。
「どうぞ」
お盆に湯呑をのっけて運んでいく。依頼人が相好を崩して会釈。
「ありがとうございます。こちらの方は?」
「僕の助手の烏丸理一くんです。高校の同級生で色々手伝ってもらってるんですよ」
「そういえば雑誌の記事でそんなことをおっしゃってましたね。仲がよろしいんですねェ」
「はは……ただの腐れ縁ですよ」
しきりに感心する依頼人を愛想笑いで受け流し、湯呑をおく。茶倉は一人称僕の猫かぶりモードに突入していた。どうでもいいが、尻がむずがゆくなるので「理一くん」はやめてほしい切実に。
盆を小脇に抱えて茶倉の隣に下がる。俺の定位置はここ、茶倉の右斜め後ろ。目で着席の許しを乞うもあっさり無視された。人の心とかないのか。
「申し遅れました、わたくし長野で老舗旅館の女将をしております。ご存じでしょうか、明治3年創立の『福来館』」
「座敷童子がでる宿として有名ですね」
俺もニュースかなんかで見たことある。あそこの女将さんなのか、と新鮮な驚きをもって見直す。
「おかげ様で沢山のお客様にご贔屓にしていただいております」
「何故弊社に?」
「実は……」
言いにくそうに視線を揺らし、意を決して語りだす。
「今回ご相談したいのは福来館に憑いてる座敷童子のことなんです」
「実在するんですか?」
茶倉が目で釘をさしてきた。慌ててお口チャック。
「もちろん実在します。とはいえ私が気配を感じとれるようになったのはここ数年ですが、亡くなった姑の話では大昔からずっとうちを守ってくれてたらしいです。なんでしょうね、漸く一人前の女将として認めてもらえたんでしょうか。福来館に泊まった夜に座敷童子を見ると幸せになれる、子宝を授かると評判を呼んで、一時は傾きかけた旅館も盛り返したんですが……」
「問題が?」
「こちらをご覧ください」
女将さんがスマホのアルバムに保存された画像を一枚開き、テーブルに提出する。ブレまくってよくわからないが、旅館の客室を撮ったみたいだ。
「手前で見切れてるのが座敷童子です」
「はあ……確かに、女の子のようにも見えますね」
客室は真っ暗だ。畳には布団がのべてある。そばには浴衣が脱ぎ捨てられ……え?
「茶倉これ……」
こっそり耳打ちする。女将さんがほんのり顔を赤らめる。
「絶対内密にすると約束の上お客様から送ってもらいました。座敷童子が出てくれること自体は有難いんです、うちの看板娘ですからそりゃもうね。けれど場所と時間が問題で」
「なるほど。泊まり客が事を始める時に限って現れるんですか」
「最中にトコトコ走り回って。視線を感じて集中できないとクレームが殺到しまして、私どもも困ってるんです」
「はい。質問いいですか」
真剣に話してる茶倉と女将さんを見比べ、我慢できず手を挙げる。
「女将さんがここに来たのは、デバガメ座敷童子をなんとかしてほしいからですか」
「デバガメは言い過ぎです。本人はたぶん遊んでるだけなんだと思いますよ。ただほら、うちも客商売ですから……お客様のプライバシーは尊重したいでしょ?おわかりいただけるかしら」
「見る事自体は全然OKなんですよね。座敷童子がでるってのをウリにしてるんだし」
「時と場所がまずいんです」
じれったげに訴える女将さんをよそに茶倉と顔を見合し、実に明快な解決案を述べる。
「『宿泊中はセックス禁止』と注意書きされてはいかがでしょうか」
「だめです」
「『夫婦の営み禁止』に言い換えても駄目ですか?」
「駄目やろ、不倫カップルもおるし。旅行中はテンション上がるし、それ目当てでくるヤツもおるんちゃうか」
「座敷童子を見ると子宝を授かると言われてますので、宿泊中に営まれる方も多いんですよ」
「浴衣はそそる」
「福来館はおもてなしの心を大事にしておりますので、せめて部屋にいらっしゃる間は自由に過ごしてほしいんです」
「合わせ目はだけた鎖骨もそそる」
女将と茶倉にタッグを組んで反撃されては引き下がるしかない。てかコイツ性癖さらしてるだけじゃん、頭大丈夫?
「わかりました。宿泊客が営まれてる間は出現を控えてほしいと、座敷童子の説得を頼みにこられたんですね」
茶倉が長い足を組み替えて確認する。女将さんはバックから取り出したハンカチで汗を拭く。
「はい。茶倉さんはこの手の案件のプロだと伺いましたので、営業に障りをださず解決していただきたいんです」
「客商売は評判が命ですからね。覗かれて興奮する特殊性癖の持ち主ばかりじゃないでしょうし」
「いやいや泊まってる間くらい致すなよ?それで解決じゃん、セックスしないと出られない部屋じゃあるまいし」
「福来館には露天風呂がございます。自慢の温泉が湧いてるんです」
「温泉入った後はヤりたくなるのが人情さかいに」
駄目だ、俺の知らない常識で話が進んでる。この事務所やめてえ。
「座敷童子の件は安心して当ТSSにお任せください」
「何卒よろしくお願いします、座敷童子の目撃談が一番多い部屋をおさえておきますので。もちろん宿泊代は無料です」
そんなこんなで打ち合わせはトントン拍子にまとまり、茶倉は依頼を引き受けることになった。
数日後、俺と茶倉は老舗旅館『福来館』の前にタクシーで乗り付けた。
「うわー、でっけえ宿」
茶倉の分の荷物を抱えたまま、旅館を見上げて口笛を吹く。
明治から営業してるらしいと聞いたが、正面玄関には家族連れや団体客が出入りして繁盛している様子だ。法被を羽織って立ち働いてるのは番頭さんだろうか。
「おのぼりさん丸出し。恥ずかしいから1メートル離れて付いてこい」
「待てよ」
自動ドアをくぐって中へ。
フロントには夫婦っぽい男女のペア客が多く、各自土産物を選んだりカウンターで記帳したり和気藹々お喋りしていた。ソファーで居眠りしてる爺さんもいる。
「フツーに流行ってんじゃん」
「口コミじゃ炎上しかけとる」
茶倉が見せてくれたスマホのレビューを読んでいくと、座敷童子にHを覗かれた客のクレームがちらほら。中にはインポになったと騒ぎ立てるヤツも。
「自業自得じゃね?」
「せやな」
「ていうか座敷童子を説得って、具体的に何をどうすんだよ。H中はじっとしてほしいって諭すの?わらしっていうんだから子どもだろ、そのへんの大人の事情わかんの?」
「無理でもわからせんのが俺の仕事」
「とっ捕まえて正座でお説教?精力絶倫な醜い大人が元凶だろ」
何となく気乗りしない。
それはそれとして、ただで温泉旅行にこれたのはラッキー。福来館は来春まで予約で埋まってて、女将さんのコネがなけりゃ泊まれっこないのだ。
「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。お荷物はこちらへ」
「ありがとうございます」
番頭さんや中居さんに荷物を渡す俺をよそに、茶倉は一直線にカウンターに行って手続きを済ます。
「すいませーん、ひょっとしてチャクラ王子ですかあ?」
「はい、そうですか」
「きゃーっ、やっぱり生チャクラだー!」
「あのっ、私たちチャクラーなんです!茶倉さんがでてる番組や雑誌全部チェックしてて~、ほらこれ、ピンクパールの数珠もゲットしたんですよ開運祈願!」
「リアルで会えるなんてマジ感激、握手とサインしてください!」
「もちろんかまわないよ。こんな可愛い子たちに知ってもらえて光栄だな」
黄色い悲鳴を上げる女性ファンに取り囲まれ、まんざらでもなさそうな茶倉。調子よくサインと握手にこたえ記念写真を撮りまくられる。
デコったスマホのフラッシュを焚いた浴衣ギャルが、媚びた声色で探りを入れてきた。
「一人旅ですか?ひょっとして彼女さんと?」
「一人旅です。仕事が一段落したので気晴らしに」
「待てこら」
何故に俺の存在を消す?凄む俺を振り返り、ギャルたちが不審げに眉をひそめる。
「誰ですアレ」
「君もファン?サイン欲しいの?」
「速攻質入れだ」
徹底して他人のふりをする茶倉に業を煮やすも、その時には既に別れを惜しむファンたちに手を振り、臙脂の絨毯が敷かれた階段を上っていく。
同行する番頭さんや中居さんを憚り、飄々と取り澄ました茶倉に囁く。
「一人旅って何」
「すまん。ファンの子幻滅させたなくて」
「謝られてる気しねえんだけど喧嘩売ってる?買うよ?」
「そない安っぽいカッコのヤツ助手とか紹介するの恥ずかしいわ、頭のてっぺんから爪先まで全部入れても一万いかんやろ」
「見栄張りが」
足を蹴り合ってるうちに部屋に到着。襖を開けるとイグサの匂いが芳しい畳を敷き詰めた和室が広がり、自然とテンションが上がる。
「ではごゆっくり」
「ありがとうございます」
番頭さんたちがお辞儀をして立ち去り、茶倉とふたりっきりで残される。「ここに座敷童子がでんのか」
「絶対とは言えん。単に一番目撃談が多い部屋ってだけや、はずれることもある」
「床の間におもちゃがたくさん」
「捧げもんやな」
和室の床の間はぬいぐるみや人形、ミニ機関車やソフビの怪獣で埋め尽くされていた。カラフルな千羽鶴も吊ってある。広縁に面した窓からは見事な日本庭園が見渡せた。池ではねる錦鯉が風情を添える。
「よいしょ」
広縁に二脚おかれた安楽椅子の片方に腰掛ける。
「じじくさ」
「うるせー。お前も座れ」
「お見合いやなしようせんわ」
ごもっとも。所在なげに安楽椅子を揺らし、庭の風景を眺めて暇を潰す。茶倉は足を崩して座り、スマホのメールをチェックしていた。
「……よく考えりゃ二人で旅行すんの初めてじゃね?」
「そうか?」
「修学旅行こなかったじゃん」
「仕事が立て込んどって」
高校生の頃から拝み屋をしていた茶倉がさして興味もなさそうに言い、なんだかそわそわしてきた。押し入れの前には浴衣が二人分畳んでおいてある。
よく考えたらコイツと泊まんのも初めてか?
俺と茶倉は高校の同級生。今は霊能者として独立したコイツの事務所で雇ってもらってるが、それだけじゃない。俺はある特殊体質に悩まされていて、故に茶倉と離れられない業を背負ってる。
「あー、茶倉」
名前を呼んだ瞬間がらがらと襖が開いて寿命が縮む。入口を見れば和服を着付けた女将さんが正座していた。俺たちの到着を聞いてわざわざ挨拶にきてくれたらしい。忙しいだろうに素晴らしい接客精神。
「茶倉様ならびに烏丸様、福来館にようこそお越しくださいました。心より歓迎いたします」
「ご丁寧にどうも」
茶倉がにこやかに返す。
「お部屋はご一緒でよろしかったでしょうか?別にとることもできましたけど」
「お気遣い痛み入ります。ですがこちらの方が便利なので」
便利?
「どういうことだよ」
「後で話す」
女将さんが手際よく淹れてくれたお茶の片方を有難く頂戴し、口を窄めて啜る。その後は少し世間話をした。この部屋は福来館で一番いい部屋で、座敷童子のお気に入りなのだそうだ。
両手で湯呑を包んだ茶倉が、床の間に一瞥を投げて呟く。
「子供服も飾ってますね」
「宿泊されたお客さんにいただいたんです、可愛いでしょ。うちの座敷童子は女の子みたいなんです」
確かに可愛い。上品な丸襟のブラウスと紺のプリーツスカートのセットはお嬢様っぽい。話にまざりたくて口を出す。
「スマホの画像じゃ5歳位に見えましたね。髪が長かった」
「ですね」
「座敷童子っていうと大抵黒髪おかっぱのイメージがありますけど、それも古臭いか」
画像では尻をこえる長髪だった。俺の発言に茶倉は唇をなぞり考え込む。
続いて女将さんは簡単に館内の施設の説明をしてくれた。娯楽室にはマッサージ機と卓球台があるそうだ。
「福来館は温泉が名物なんです。すべすべした乳白色のお湯が特徴のアルカリ性単純温泉で、美容と健康に効くとされています。離れにある露天風呂も素晴らしいので、ぜひお二人で浸かってくださいね」
「二十四時間入れるんだって、やったな」
「よかったな。行ってこい」
茶倉を突付いて報告したら、手の甲でそっけなく追い立てられた。
「え?一人で?」
「部屋にもバス付いとるやん」
「せっかく温泉きたのに……入らねーのは損じゃん」
まるで理解できず瞬きする。茶倉は表情を変えず言った。
「肌を安売りしたない」
「そのあたりは個人様の好みがありますから、無理にとはおっしゃいませんけど……温泉は夜も入れるので、もし気が向かれたらぜひ。では仕事に戻ります」
茶倉が感じ悪い対応をしたせいか、女将さんはそそくさと行ってしまった。再びふたりっきりになる。
「安売りって……相手俺じゃん」
「だから?」
ストレートに返されて押し黙る。言われてみれば、除霊の時も茶倉が全部脱ぐ事はない。大抵下だけ、上は着ている。コイツは何故か裸を見せたがらないのだ。
「こないだスーパー銭湯誘ったら断ったよな」
「セレブは札束ジャグジーかドンペリ風呂しか入らんねん。他人と風呂なんて冗談やない、貧乏が伝染る」
「あっそ、勝手にすれば」
せっかく老舗旅館にきたんだから、へそ曲がりに付き合って我慢することはない。浴衣を持って立ち上がり、襖を開ける。
すたすた廊下を歩きながら振り返り、追ってこないかしばらく待ってみる。
「……ンだよアイツ。いいよいいよ、一人でばばんばばんばんしてくっから」
誰に対してだかわからない負け惜しみを呟いて歩き出し、背後を過ぎった気配に硬直。振り返る。誰もいない。座敷童子?
露天風呂は渡り廊下の先にあった。
紺の暖簾を分けて更衣室に入り、脱衣籠に脱いだ服をぶちこむ。がらぴしゃと曇りガラスを嵌めこんだ引き戸を開けると、濛々と湯気が漂い出た。俺以外にも4・5人先客がいる。
「ふー……」
きちんとかけ湯をしてから肩まで沈み、空を見上げる。
男湯の中にはゴツゴツ切り立った岩が聳え、斜めに傾いだ樋から湯が注ぎ込んでいた。竹垣の仕切りの向こうには女湯があり、楽しげな嬌声が聞こえてくる。
……二人で温泉入るの、ちょっとだけ楽しみにしてたのに。
「こっちは全部まるっと見せてんのに、ずるくね?」
十年来の付き合いで今さら恥ずかしがる仲でもなし、茶倉の考えることはよくわからねえ。
それはともかく、風呂で足を伸ばせすのは久しぶりだ。とろみを帯びたお湯の肌触りが癖になりそ。
「あっ」
よそ見したはずみに額にのせてた手ぬぐいがぼちゃんと落ちた。ふわふわ漂い流れてくのを追っかけりゃ、坊主玉の爺さんがとってくれた。
「どうぞ」
「すいません、助かりました」
「おや珍しい。最近は変わったアクセサリーが流行ってるんですね」
爺さんが俺の右手に目をとめる。数珠が興味をひいたらしい。
「いえ、これは友人からの借り物で」
「ご友人はお坊さん?」
「じゃないんすけど、拝み屋みたいな事やってます」
「ああそれで……ということは、君も霊感がある方?」
「実は。霊に突かれまくっておちおち外出もできないんです」
思いがけない所で話が弾む。温泉で会った爺さんはどうやら福来館のリピーターらしい。
座敷童子の情報を入手するチャンスと見て、色々突っ込んだ質問をしてみる。
「座敷童子を目撃された事は?」
「三十年位前に一度だけ。偶然この宿で一番いい部屋に泊まる事ができまして」
「どんな子でした?」
「赤い振袖の女の子でしたね。おかっぱ頭の……年は七歳位かな?市松人形みたいで可愛いらしかったのをよく覚えてます」
え?
「待ってください、おかっぱで間違いないですか?」
「ああ……それがどうかしたかい」
爺さんが怪訝な顔をする。俺は「いいえ」と言葉を濁し、大人しく湯に浸かり直す。
女将が見せてくれた画像の少女は五歳程度、白っぽい洋服を着ていた。何より髪の長さが違うじゃないか。座敷童子が二人いるなんて聞いてない。
「っと、のぼせちゃいそうなんでお先に。お話できて楽しかったっす」
「君も会えるといいね」
話を切り上げて温泉を出る。浴衣を羽織って帯を締め、部屋へ帰る間も頭は混乱していた。
三十年前にいた座敷童子と今目撃されてる座敷童子は別人?いや待て、そうともいいきれないぞ。髪が伸びて着替えただけかもしれない。待て待て、人外のイメチェンってあんの?
考え事をしながら歩いてたせいで、前からきた女将さんに気付くのが遅れた。
「あっ!」
「す、すいません。大丈夫っすか?」
肩が当たった直後、女将さんの和服の懐からはらりと何かが零れる。咄嗟にしゃがんで拾い上げたのは、赤い布袋に包まれた安産祈願のお守り。
「落としましたよ」
「やだわ、お恥ずかしい……」
「ホントすいません気付かなくて。妊娠されてたんですね、おめでとうございます」
当たったのが腹じゃなくてホントによかった。丁寧に埃を払って返し、女将さんの微妙な表情に気付く。
「流れちゃったのよ」
女将さんがお腹に手を添えてポツンと呟き、寂しげに微笑む。
「なのにまだ捨てられないの。未練よね」
凄まじい自己嫌悪に駆られた。よく見ればちょっと古いし、女将さんの腹は全然出てねえ。
「私ったら、お客様にこんな事を話して……ごめんなさいね」
「あ、いえ!俺の方こそ無神経でした」
女将さんが静かに立ち去るのを見送ったのち、廊下に誰もいないのを確かめて反省のポーズ。
「くそー……」
こんな時茶倉なら気が利いたフォローができたんだろうか?てか何だよ気が利いたフォローって、お腹の子どもを亡くしてんだぞ?
痛恨のしでかしを呪って足を踏み出した瞬間、強く裾を引かれた。
「うわっ!」
浴衣を派手にはだけてびたんと転倒。鼻の頭を擦りむいて後ろを見るが、やっぱり誰もいない。
まさに踏んだり蹴ったり、身も心もくたびれはて襖を開ける。
「ただいま~……」
茶倉は浴衣に着替え寛いでいた。ボロボロで帰還した俺をあきれ返った顔で出迎え、一言。
「帯の締め方ちゃうで」
「いいよ。見せんのお前っきゃいないし」
「ちょっとは見栄張れ」
有無を言わさず呼ばれ、渋々前に進み出る。
茶倉が対面に立ち、自分の帯をしゅるりと抜いて手本を示す。合わせ目から覗く鎖骨と引き締まった首筋が色っぽい。
「やってみい」
「こうか」
「ほんっま不器用やな自分、カブトガニのがまだ物覚えええで」
茶倉先生直伝の帯締め講座でギリギリ及第点をもらうころには、豪華な夕餉の膳が運ばれてきていた。
海の幸山の幸、彩り豊かに贅を尽くした晩餐がテーブルを占拠して涎が止まらねえ。
「うほっ鯛のお頭と刺身だ、いただきます。うめー」
「山菜の天ぷらもイケる。抹茶塩が心憎い」
あちこち目移りして箸を伸ばす間は仕事を忘れ、フツーにごちそうを堪能しちまった。
「ちゃんと噛んで飲まんと詰まらすで」
「おかんか」
意地汚くガッ付く俺とは対照的に、茶倉の所作からは育ちの良さが感じられる。
途中で爺さんから聞いた話と女将が持ってたお守りの話を伝えた。茶倉は器用に海老の殻を剥いて湯がく。
「座敷童子はもとは間引きされた子どもらしい」
「なんで間引きされた子どもが家の守り神になんの?」
「俺に言われたかて知らんがな。せやけど間引いた子どもを縁の下に埋めたら、それが座敷童子になるっちゅー都合ええ俗説があんねん」
「人間て身勝手だよな」
「せやな」
もし福来館の座敷童子の正体がそれなら、嫌だ。箸を咥えて黙り込む俺に、茶倉が悪戯っぽく微笑みかける。
「何?浴衣姿に惚れ直した?」
「たまにはイメチェンも悪ない」
罵倒されると思ったらフツーに肯定されちまいドキリとする。膳が下げられた後は、黒子のようにてきぱきした中居さんが布団を敷いてくた。
「それではごゆっくり」
お辞儀に次いで襖が閉じられた。布団はぴったりくっ付いてる。
「……なあ、俺たちって」
「皆まで言うな」
旅行中のガイカップルって誤解されてるよな、やっぱ。じゃなきゃこの距離に敷かないだろ。
「ほなおやすみ」
「ああ」
茶倉が電気の紐を引っ張り明かりを消す。客室に怪しい暗闇が訪れる。
目がギンギンに冴えて寝れねえ。
「まだ10時じゃん」
「良い子は寝る時間やで」
「暗がりで見る千羽鶴怖ェ……床の間に人形犇めいてる……」
布団をかぶってそっぽを向く。やべー位視線の圧を感じる。俺だけ別の部屋にしてもらえばよかったと後悔したって遅い。恐怖をごまかしたい一心で話題を振る。
「ところでどうやって呼び出すんだ?」
「営む」
答えは簡潔、行動は豪快。
力ずくで布団が剥がされ、浴衣の合わせ目に手がかかる。
「ッ!?」
真っ暗な天井を背にしてのしかかってきたのは、浴衣の裾から大胆に脚を覗かせた茶倉。問答無用で浴衣の襟を抜かれ、帯をしゅるしゅる巻き取られる。
「待って待ってまだ数珠濁ってねェし!」
「期待しとったくせに」
耳元で囁かれた艶っぽい声にぞくりとする。
確かに、そうだ。同じ宿の同じ部屋に泊まるんだから、こういうことになるだろうって予感はしていた。
俺は霊姦体質。定期的に茶倉に「除霊」してもらわなきゃ、瘴気のためすぎで体調を崩す。
前回の除霊は三日前、まだ数珠は綺麗なまま……当分はセックスしなくていいはず。
「そもそも男同士はアリなの?営み的に邪道判定されね?」
「試さなわからん、入れる穴が前か後ろかだけの違いさかいギリイケるんちゃうか」
「別に俺じゃなくてもよくね!?」
「ヤりたいん?ヤりたくないん?」
生唾の嚥下に伴い、浅ましく喉が鳴る。
答えは決まっていた。
「ヤリ、てえ」
実の所、俺は淫乱だ。高校ン時から数えて、茶倉とは十年以上セフレめいた関係を続けてきた。そもそもの始まりは悪霊に犯されたことで、以来ケツを掘られる快感にハマっちまった。
前だけじゃ満足できない。後ろも欲しい。茶倉が俺の胸ぐらを掴み、魔性の色香を含ませて嫣然と微笑む。
暗闇の中に一際大きくしめやかな衣擦れが響く。
茶倉が浴衣の帯をほどき、合わせ目をはだけて胸板をさらす。それを見ただけでとぷりと先走りが零れた。
「ッは、ぁっあ」
「だだっ子みたいにエロい声」
先走りがしとどに内腿を濡らす。茶倉の手が淫らに蠢いてペニスを育てる。気持ちよすぎて泣きたくなる。
「!んっ」
こめかみにチュッとキス。薄い皮膚を狙い定めて吸い立てられ、窄めた爪先でたまらずシーツを巻き込む。
茶倉は暗い所でしかキスしてくれない。それも何故か唇は避けている。
「ちゃく、らっ、もっとして」
自然と腰が上擦っておねだりする。
浴衣はしどけなく着崩れて申し訳程度に腰を覆うだけ、かえってエロい。茶倉が俺の後孔に丁寧にカウパーを塗し、ぬちゃぬちゃ指を出し入れ。
「んッ、くっ、ぁあっ」
たまらず茶倉の浴衣を掴んで催促する。後孔に抜き差しされる指が三本に増え、前立腺をピストンする。
太いペニスが後孔にめりこんで抽送開始、奥の奥まで犯されて頭が変になりそうだ。
「茶倉っすごっ気持ちいいっ、あぁこれすごっイッちまっ、ぁあっあ」
「浴衣ヨダレでべとべとやん。布団も……片しに来た中居になんて言い訳するん?」
ハイペースで追い上げられ目の裏がチカチカする。茶倉が腰を叩きこむたび脊髄に震えが走り、はしたない喘ぎ声が迸る。
「んッ、んッ、んんッ?」
視線を感じて顔をねじる。床の間に女の子が体育座りしていた。貞子みたいに真っ黒で長い髪の間から、爛々と輝く目がこっちを凝視してる。
「うわああああああああああああああああ!?」
座敷童子が即座に起立、タタタタタと部屋中走り回る。というか、主に布団のまわりで円を描いてる。
「茶倉でた座敷童子でた!」
「やかまし」
イく寸前で急激に萎えて縋り付きゃ、振りほどかれた上足蹴にされた。
『縛』
茶倉が腕を振り抜いて数珠を投擲、それが座敷童子の足首に絡んで締め上げる。
「ッ!?」
座敷童子がバンザイの姿勢でずっこける。びたんといい音がした。とりあえず裾を引っ張って股間を隠し、おそるおそる声をかける。
「大丈夫か?」
「動きを封じただけや」
「座敷童子に痛い事したら祟られねえ?」
「座敷童子ちゃうわ」
意味不明な発言に疑問符が浮かぶ。
座敷童子、もとい謎の女の子は足に絡んだ数珠を一生懸命外そうとしていた。しかし手こずり、べそをかきパニクってる。
茶倉は博徒みたいに浴衣を着崩したまま、伝法に片膝を立て女の子に迫る。
「お前、女将の水子やな」
女の子が凍り付く。
「は?」
俺も凍り付く。
茶倉は瞬きすらしない。
「水子って……この子はどー見ても五歳とかそこらだろ?」
「成長すんねん。まれに」
「そうなの?」
「死んだ子の年を数える親の未練が大きくすんねや」
女将さんが流産した子なら色々と辻褄が合う。女の子が着てるのは丸襟レースが可憐な白いブラウスとプリーツスカート、髪が長いのは生まれてから一度も切ってないから。俺がコケたのは女将さんを通せんぼしたタイミング。
「露天風呂で一緒になった爺さんが見たんは、着物でおかっぱの女の子っちゅー話やな。多分そっちが本物」
「その子はどこに?」
「うーんと前に出てったよ」
澄んだ声を見下ろせば、女の子が心細げに膝を抱いていた。
「あのね、座敷童子を信じる人がへっちゃったからよそへ行くって。だから私が代わりをしてるの、お部屋がからっぽになったらせっかく見に来てくれたお客さんやお母さんがっかりしちゃうでしょ」
けなげな言葉に胸が痛む。
この子は座敷童子の役目を交代したのだ、女将として旅館を支える母親の為に。
しんみりする俺の隣で、無神経が浴衣を羽織った茶倉がずばり聞く。
「Hを覗いてたんは」
「えっちって?」
茶倉の予定された失言を遮り、できるだけ穏便に訳す。
「裸の男の人と女の人が一緒にいるとこ覗いてたろ」
「お相撲さんごっこにまぜてほしくて」
「あー……」
そうだよな、五歳児だもんな。そうなるよな。
「おにいちゃんたちもお相撲さんごっこしてたよね。下になった方が負け」
「うんそー俺の負け。茶倉山の勝ち」
「誰が力士じゃ」
棒読みで相槌を打ち、女の子の頭をなでようとして空振り。そうか、座敷童子にはさわれないのか。じゃあ気分だけでもとなでるまねをする。
「どうする?」
「ありのままに報告するしかないやろ」
「だよなあ……」
茶倉と向き合い相談中、大粒の涙をためた女の子が切実な表情で訴えてきた。
「お母さんや旅館のひとにはいわないで!座敷童子がいなくちゃみんな困るでしょ!」
この子はずっと母親や旅館で働く人の為を思って、座敷童子のふりをし続けてたのか。
必死さに胸が詰まり、しゃがんで目線の高さを合わせる。
「お母さんにだけこっそり伝えるんじゃだめか?」
頑是なく首を振る女の子。
「今も肌身離さずお守り持って、すっげー会いたがってる」
「……」
「ひょっとしたら座敷童子よりも」
「……言えない」
俯いた目にじんわり涙が浮かぶ。
「お母さんは嘘がきらいなの。お客さんをだますようなことは絶対しない。私が座敷童子じゃないってわかったら、ちゃんとそのことをいわないと気が済まない」
確かに、お客様第一主義の女将の性格上じゅうぶんありえる。裏を返せばそんな女将さんだからこそ、この子が尽くそうとしているのだ。
着物の皺を伸ばしながら茶倉を見る。茶倉は女の子を見てる。女の子がか細い声で懇願する。
「おねがい。ここにいさせて」
茶倉が出した結論は……
「報酬もらえんならどうでもええねん」
帰りの新幹線の車内。
車内販売でゲットした駅弁の釜めしを頬張りながら、対面席の関西弁守銭奴が宣言した。
「身も蓋もねえ」
仕事は無事済んだ。
茶倉は「お相撲さんごっこ中は絶対出てくるな」と厳命し、女の子がそれに応じて一件落着。
ちなみに「なんでお相撲さんごっこにまざっちゃだめなの?」と聞かれ、「相撲は一対一で取り組む神聖な国技。外野が土俵に上がるんは国辱や」と諭していた。
車窓には牧歌的な田園風景が流れていた。
茶倉の報告に大喜びしていた女将さんと、その裾を掴んで控えめに手を振る女の子を思い出し、ポツリと呟く。
「本当にあれでよかったのかよ」
「また悪い癖がではった」
「だって実の親子なのに知らねえまんま」
「俺は仕事をした。あとは知らん」
「まだわかんねーことがある。あの子がただの水子の霊なら、なんで福来館の客は福にあやかれたんだ?」
「思い込み。プラシーボ効果。人間は原因と結果を結び付けたがる生きもんさかいに、単なる偶然を必然にすり替えたがんねん」
真実もわかってしまえばあっけないものだ。
結局福来館を出てった本物の行方は不明なまま、あの子は自ら望んで座敷童子の代わりをし続ける。
「綺麗な服着せてもろて、いっぱいおもちゃもろて、案外今のが幸せかもしれへん」
茶倉の独り言めいた取り成しには答えず、箸で摘まんだ釜めしを噛み締める。
「……時がくれば自然と気付くかもな」
ふと視線を上げれば、向かいの茶倉が頬杖を付いていた。何にと聞かなくてもわかった。
「女将さんが死んだ子の年を数えるのをやめたら、あの子も消えちまうのかな」
「成仏て言え」
「せやな」
「まねすな」
脚を蹴られたので蹴り返す。そういえば名前を聞き忘れたが、別にいいか。女将さんだけが知ってりゃいい事だ。
車窓を眺めるのに飽きたのか、茶倉が割り箸を割って釜めしをかっこみ始める。
「干しあんずよこせ」
「代わりに鶏肉」
「バランとトレードな」
「ブチ殺すぞ」
俺は優しいので、アホが押し付けてこようとするバランを弾いて干しあんずをくれてやる。
茶倉が珍しく「おおきに」と述べ、余計な一言を付け足す。
「寸止めで残念やったな」
「別に」
「帰ったら続きするか」
「コスプレHにドハマり?」
「ドヤるのは浴衣の着付け覚えてからにせえボケカス」
「んだよノリノリだったくせに」
自分を棚に上げた暴言にイラッときたものの、新幹線の車内で口論おっぱじめるほど大人げなくない俺は、釜めしを頬張って言った。
「今度は一緒に温泉入ろうぜ」
返事が来るまで三秒ほどかかった。
「考えといたる」
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