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第4話

俺には腐れ縁の友人がいる。 名前にちなんでチャクラ王子とかもてはやされ調子こいてんのは業腹だが、実際世渡り上手というか抜群に要領がいいのは認めざるえない。履歴書の特技欄に「処世術」と堂々記入できるレベル。 なんたって名門K大卒、インドに留学経験あり、二十代半ばの若さで年収ン千万を叩き出すイケイケ個人事業主。さらに付け加えるなら、高級タワマン四十四階で下々を見下ろしセレブな一人暮らしを満喫中。 どうだこの華々しい経歴、俺みたいな凡人は後光に目が眩みひれ伏したくなる程ご立派だ。 当人に言わせりゃアウラと書いて魂の品格が違うらしい。 高名な拝み屋として知られる祖母の七光りを蹴散らす破竹の快進撃を続けてきた、名実ともにサクセスストーリーの主役にふさわしい逸材といえる。 余談だが唯一の肉親の祖母とは絶縁済み。以前から険悪な仲で、学費は中坊の頃からやってる株転がしで稼いだんだそうだ。見かけによらず苦労人な王子様……そんなギャップが女心をくすぐるのか、既婚未婚問わず依頼人とねんごろになんのが趣味。単に手癖が悪くて無節操なだけか。 というわけで、本日も寝取られ亭主が異議申し立てにやってきた。 「いらっしゃ、ぶ」 弾け飛ぶ勢いで開け放たれたドアから、額に青筋立てた男が乱入する。おかげで鼻っ柱を打ち付けた。 「俺の女房に手ェ出したエセ霊能者はお前か!」 真っ赤になった顔面を押さえへたりこむ俺をよそに、男は怒り狂ってる。第一声からしてキマってた。茶倉はソファーにふんぞり返り茶をしばいていた。 コーヒーを一口啜り、繊細な装飾が施されたウェッジウッドのカップをソーサーに戻す。 「どの女房?銀座でカフェ経営しとる理恵子さんか池袋で古着屋やっとる智ちゃんかインテリアショップ仕切っとる愛梨さんか」 「吉祥寺の歯科衛生士のまりなだよ!」 全部ハズレ。掠ってすらいねえ。 旦那がソファーを蹴飛ばす「五十万」白磁のティーカップをぶん投げる「八万」本場イタリア産ゴブラン織り絨毯にコーヒーが染みる「二十一万と七千」ガラスの灰皿を振り抜く「十二万とんで千二百」「金額以外に言うこたねェのかよ守銭奴!」破壊された調度の値をいちいち呟く茶倉、素晴らしい記憶力の無駄遣いだ。反射神経がとびぬけてるのがまた憎たらしい。 「どわっ!?」 インド土産のガネーシャ像が宙を飛び冷や汗をかく。咄嗟に頭を引っ込めた俺の背後で茶倉がナイスキャッチ、テーブルに置き直す。 「ガネーシャは商売繁盛の神様。粗末に扱うたらバチあたる」 「なめてんのか、まりなは俺の女房だぞ!」 「まりなさんはあんたのもんちゃうし、自分で抱かれたい男選んだだけやろ」 知ってた、茶倉練は地雷原の上でタップダンスする男だ。赤信号の横断歩道で反復横跳びする命知らずと言い換えてもいい。 アルマーニの胸ぐら掴まれた茶倉は眉一筋動かさない涼しい顔。「アンタが風俗に入れあげて女房ほかすんが悪い」と開き直り、火に油を注ぐと見せかけ、得意な詐術もとい話術を用い丸め込んだ。具体的にどうしたのかというと…… 男の鼻先にピンと人さし指を立て、含み笑いで押し返す。 「ほな取引しまひょ。アンタに現代人のゴッドファーザーの異名をとる絶倫、チンギス・カンの霊を下ろしたる。コイツはモンゴル帝国を築いた英雄で、生涯で3千人以上の妻を娶り2千人以上の子どもをこさえたいわれとる。今じゃ1千6百万人の子孫が大陸股にかけ散らばっとる世界史公式ビッグダディ、憑いて突いてツキまくりモテモテ間違いなし、チンチンギンギン漢略してチンギン・漢の爆誕じゃ」 盛大に両手を広げ宣言後、声を潜めて耳打ちする。 「バイアグラより効く」 旦那が生唾を飲む。 結果、インチキセールストークの勝利。流暢な謳い文句にだまくらかされ、上機嫌で帰って行ったアホな背中を忘れられない。 「ちょろ」 悪魔の角としっぽを生やしケケケと見送る茶倉を引き気味に一瞥、詐欺師が儲かるわけだと諸行無常を噛み締める。 「―で、下ろしたの?」 「種馬の霊を」 「人ですらねえ」 「馬力がのォてすぐへばる嘆いとったからちょうどええやろ」 その後馬並の下半身を得た旦那がハッスルした事で夫婦関係は改善され、茶倉は妻と旦那双方から恩人と仰がれた後日談が付く。 教訓、正直者は損をする。 世の中は不条理だ。 数日後、事務所には新品のソファーとテーブルと絨毯が運び込まれた。 模様替えを終えたオフィスをご満悦で闊歩し、茶倉が歌うように自慢する。 「インテリアの弁償代きっちり回収したで」 「だから数えてたのか……」 「器物破損の現行犯に算盤弾く理由なんてそれしかないやん」 茶倉が鼻白む。 「古い。せめて電卓にしろ。馬憑かせたのばれたら訴えられるぜ」 「真夜中に起きて冷蔵庫のにんじん齧る位可愛いもんや、知り合いの医者に夢遊病て診断書かせる」 「ガンジーもダルシムに覚醒するレベルの邪悪」 「世の中物言うんは賄賂。ソファーは買い替え時さかい、ちょい盛った」 「犯罪だかんな?チャーミングなカミングアウトじゃねえぞ?」 人さし指と親指で控えめに度合いを示す茶倉に突っ込む。反省の色は一切ない。清々しいまでにない。絶頂でヒヒーンと嘶いたら絶対バレると思うんだが……。 「ていうか修羅場になるってわかってんのに通すなよ、タワマンのセキュリティガバいぞ」 「ドア開けたんお前やろボケ、使えん助手やな」 「じゃあテメェで接客しろ!」 「女房が世話んなった礼したい言われたら追加料金もらえるかと勘違いするやん」 「礼は礼でもお礼参りじゃねえか」 ツッコミ疲れしてため息を吐いた直後、懐からか細い鳴き声が漏れた。茶倉が胡乱げに片眉を跳ね上げる。 「何仕込んどる。見さらせ」 「強制猥褻!」 茶倉が俺のシャツを大胆に捲り、丸っこい毛玉を没収する。 「……猫」 「見りゃわかんだろ。優しく持てよ」 観念して認める。茶倉に首ねっこを掴まれぶら下げられているのは茶トラの子猫だ。 「どこで拾てきたん」 「タワマンの駐輪場。腹すかせて鳴いてたから」 「苦情来るで」 「別にペット禁止じゃねーだろ」 「餌付けなら外でせえ」 「四十四階と往復すんの骨折れるし直接連れてきた方が早いじゃんかよ」 「親は?」 「見当たらなかった。迷子かも」 「畜生にやるもんないで」 「魚肉ソーセージやかにかま、シーチキン缶は?」 「きもっ、なんでうちの冷蔵庫の中身把握しとんねん」 「家主に代わってスーパー成城に買い出し行ったからだよ!てか魚肉ソーセージかにかまシーチキン缶なんてどこで買っても一緒だろが、なんでもあってすげーな成城!」 褒めてんだか貶してんだかわからんツッコミを勢い余って入れたのち、薄情極まる茶倉の手から子猫を取り返す。 「よーしよしよし。お兄さんにいじめられて可哀想にな、怖かったなー」 「ニャー」 野良にしちゃ人懐こい。捨て猫か、もしくは俺以外のヤツにも餌もらってんだろうか。頬ずりしてくる子猫の喉をこちょこちょくすぐり甘やかす。茶倉はこの上ない渋面。 「ゴブラン織りに毛玉吐いたら三味線にしたるよって」 「冷血ブルジョワジー」 「なんとでも言え」 「成金。タラシ。銭ゲバ」 「痛くも痒くもない」 「たこ焼きにマヨネーズかけるとか邪道、いてっ!」 おもいきり頭をはたかれた。 「大阪生まれかてたこ焼きにはソースとマヨネーズかけるわアホんだら、紅しょうがとカツ節と青のりも忘れんな」 「人によりけりだろ!?」 「ほなからあげにレモン絞るんは正道か?たけのこきのこ戦争の最中にも同じこと言えるん?」 「きのこのヘタとりゃたけのこじゃん……」 往生際の悪さ全開の抗議は全スルーし読みかけの雑誌を開く。仕方なく冷蔵庫を開け、平皿に注いだミルクを子猫にだす。 「たんと飲めよタメゴロー」 「オスなん?」 「確認済み。小さくても立派なタマが付いてた」 「タメゴローてどんなセンス」 「昔飼ってた猫の名前」 「死んだ畜生の名前付けんな」 「柄がよく似てる、生まれ変わりかも。お前は?何て付ける?」 「トラッキー」 「阪神タイガースのマスコットじゃねえか」 「ほな真弓か江夏か掛布」 雑誌から顔も上げず即答する。タイガースファンめ。 小4の頃車に轢かれて死んだ飼い猫をしみじみ偲び、ミルクを啜るのに夢中なタメゴローをなでる。 次いでビニールを剥いた魚肉ソーセージを与えた所、よっぽど腹ぺこだったのか凄い勢いで齧りだす。 茶倉が雑誌をめくるタイミングに合わせ、意を決し切り出す。 「なあ茶倉」 「飼わん」 「最後まで聞け」 「ここは俺の家、俺が家主。飼うなら自分のアパートにせえよ」 「ペット禁止だもん」 「動物は汚ゥてうるそォて嫌いなんじゃ。特に猫」 「なんでだよ可愛いのに」 「あちこち毛玉吐き散らかすのにぞっとする」 「いや、俺も初めて見た時たまげたけど……」 「ノミダニ沸くし」 「猫背にコロコロかける」 「誰が躾けるん。お前?」 「通いで……」 「帰った後はどないする?俺が面倒見るん?やなこっちゃ」 「生類憐む心を知れよ!」 「犬公方でも下りたんか」 無理言ってるのは重々承知だ。しかしここで引く訳にいかない。 魚肉ソーセージをぺろりとたいらげたタメゴローを抱えて茶倉に詰め寄り、懸命に交渉する。 「飼い主が見付かるまで少しの間でいいから、な?だめ?」 「あかん」 「じゃあTSSのホームページに里親募集の広告打ってくれ。捨てられた子猫をほっとけないチャクラ王子、好感度アップ間違いなし。子猫とイケメンの組み合わせあざとくて萌えるだろ、刺さる層には刺さるはず。お前のファンの綺麗で優しいお姉さんやセレブ妻が引き取ってくれるはず」 力強く訴える俺。悩む茶倉。円らな目を潤ませるタメゴローは動物愛護団体のポスターを飾れる愛くるしさ。 「招き猫は福を呼ぶ縁起もん、客寄せにゃもってこい。絶対ガネーシャより効き目あるって、こっちのが可愛いし。マスコットキャラ世代交代の節目だよ」 タメゴローの前脚を持ち先っぽで招く。暑苦しい説得。直後、生温かい液体がシャーッと迸り…… 「うわっ!?」 「臭。寄んな」 茶倉が鼻を摘まんで追い立てる。なんて友達甲斐ないヤツだ、見損なった。待てよ、干されたガネーシャが怒ったのか?一旦タメゴローを下ろし、むきになってズボンを拭く。 「観葉植物の鉢植えあんのに」 「枯れたら責任とれ」 「猫砂撒いて簡易用トイレにしちゃだめ?」 「石灰と重曹買ってこい」 「わ~埋める気満々」 「猫ちゃうで。お前」 後始末に追われてる最中にスマホが鳴った。液晶に表示された名前はそこそこ長い付き合いの男。即座にボタンを押し耳元に掲げる。自然と愛想よい声がでた。 「もしもし理一です。松本さん?先月ぶりですね~元気でした?はい、俺の方は相変わらず……はは、また飲みに行きましょうよ。え?茶倉にっすか」 知人からの電話に困惑し友人の横顔を観察。むっちゃ聞き耳立ててる。 「はい……なるほど……でも高いっすよ?ぶっちゃけ暴利っす、悪いこと言わないんで他当たった方が」 「待てこら」 「事実だろ」 スマホを手で覆い振り向く。茶倉はご機嫌斜めだ。仕方なく説明する。 「俺の知り合いの松本って人がお前を見込んで依頼したいって」 「TSSで働いとること漏らしたんか」 「先月飲んだ時ぽろっと。ノリで」 「口も尻も軽ゥて救えん」 「守秘義務あんなら前もって教えとけ」 「お情けで雇ったらんかったら路頭に迷っとった無職の分際で偉そうに。貸せ」 不意を突いてスマホを奪い取り、1オクターブ高いよそ行きの声をだす。 「只今お電話代わりましたTSS代表の茶倉練です。理一くんからお話伺いました、彼の知人だそうで……はい、はい。なるほど……事故物件?はあ……雑居ビルの二階に。他のフロアは?そうですか、皆さん引き払ってしまった……」 怜悧な知性を帯びた双眸が背後に切られた窓の方を向く。眼下には近代的な摩天楼。思案げに頷いて唇をなぞり、もったいぶった返事をする。 「わかりました、お引き受けします。理一くんのご友人の頼みを無視できませんからね」 その後通話を終えたスマホを無造作に投げてよこす。俺はといえば、現金すぎる豹変ぶりにあっけにとられていた。 「どなたですか?」 「俺や俺」 「依頼人が野郎でも愛想よくできたんだな」 「だてに表情筋鍛えとらん」 「サンキュ」 「お前の知り合いとやらに興味あるだけ」 ふてくされ頬杖付く茶倉。切れ長の双眸が辛辣に細まり、端正なくちびるが毒を吐く。 「人伝に仕事もってくる根性がせこい。友達割引通じる思たんかいな」 松本さんを悪く言われムッとする。擁護しようと口を開きかけ…… 「ニャー」 タメゴローが机の脚で爪を研ぐ。茶倉が目を吊り上げて叱り飛ばす。 「三十五万!」 「猫に請求すんな!」 俺と茶倉が足を運んだのは日本最大の繁華街、新宿二丁目某所の雑居ビル。 助手に運転させた車から降りるなり、率直すぎて失礼極まる第一印象を延べる。 「卒塔婆みたいやな」 けばけばしいネオンが照らすラブホと二十四時間営業のコンビニに挟まれた細長い外観は、くすんだ外壁と相まって確かに卒塔婆に似ていた。 「無茶ぶりして申し訳ない、受けてくれて本当に助かりました」 二階フロアのエレベーターホールで俺たちを待ってたのは、ポロシャツにコットンパンツを着崩した三十路の男。細くうねるソバージュの髪を脱色し、遊び人っぽい雰囲気を出している。右目の泣きぼくろがチャームポイントだ。 「はじめまして、松本弘です」 外面の良さに定評ある茶倉が鉄壁の笑顔で切り返す。 「TSS代表茶倉練です。理一くんの知り合いだとうかがいましたが」 「ええ、彼とは飲み友達でして……」 松本さんが横目で合図を送ってよこす。正直に話すかどうするか迷い、下手に隠し立てしても無駄だと開き直り咳払い。 「二丁目のゲイバーで知り合ったお仲間。五歳上」 「知り合いは知り合いでも尻と尻合わせるほうか」 「誰がうまいこと言えと」 「寝たん?」 「ばっ!?」 身も蓋もなさすぎ。 「~もうちょっとオブラートにくるめよ……」 「セフレなん?」 「そうだよ!」 俺はゲイだ。しかしなりたくてこうなったんじゃない、聞くも涙語るも涙ののっぴきならない事情がある。 というのも、思春期に悪霊に掘られまくり前立腺を開発されちまったのだ。ケツ掘るだけなら指でも玩具でもいいだろというのは素人のご意見で、本物でしか味わえない躍動感や肉感がある。あるったらあるのだ。 気まずい沈黙を破ったのは、人たらし検定一級に余裕で合格できそうな如才ない笑顔と挨拶。 「改めまして自己紹介を。理一くんのセフレ一人目、茶倉練です」 スマートに名刺をさしだす茶倉に「ご丁寧にどうも。三人目です」と松田さんが会釈、握手を交わす。 「三人目……」 冷えゆく微笑と反比例し硬度を増す侮蔑の眼差し。物理的に痛い。俺はいたずらに手を動かし、しどろもどろ弁解する。 「すっごい淫乱だと思ってる?思ってるよな?聞け、わけがあるんだ。本命できたヤツとセフレ続けんの後ろめたいじゃん、だからキープしてんの、体の相性重視の割り切った関係。松本さんもそのへんちゃんとわかってっし」 「持久力じゃ一番です」 「さよかさよか。俺が勃たんでも代わりがおるんか」 「それとこれは別だろ、お前とは仕方なく」 「たまったもんヌいとるだけやしな」 やべ、墓穴掘った。案の定茶倉は機嫌を損ね、俺を完全にシカトして松本さんと話し始める。 「理一くんとは高校の同級生らしいですね、びっくりしました。茶倉さんといえばメディアで頻繁にお見かけする有名人じゃないですか」 「ただの腐れ縁です。松本さんは何のお仕事をされてるんですか」 二階フロアの入口は赤いカーテンで仕切られ、怪しい雰囲気を放っている。 横のボードには若く可愛い青年たちの写真が貼ってあった。松本さんが照れ臭そうに頭をかく。 「ゲイ専用風俗『チュッパチョップス』を……」 俺のセフレの一人、松本さんの依頼。自分の店が入ってるビルに出る、赤ん坊の霊をなんとかしてほしい。 まだ開店前でキャスト不在の二階フロアの奥、俺と茶倉を営業所に案内しパックの茶を淹れる。 立ちっぱなしも何なんで勧められるがままパイプ椅子に掛け、話を聞く体勢に移行。 「先月上旬頃からでしょうか、ビルに入ってる店の連中が異変を訴え始めたんです。通気口から赤ん坊の泣き声が聞こえるとかで」 「心当たりは?」 「個人的にはさっぱり。生粋のゲイですからね。とはいえ二丁目にあるビルですし、店を始める前の事までわかりません。風俗嬢が堕ろした水子やコインロッカーに捨てられた赤ん坊……いくらでも挙げられますよ」 不快そうに唇をひん曲げる。俺も同じ顔をしてるはず。一同の視線が壁にもうけられた通気口に集まる。ビルで働く人間曰く、赤ん坊の泣き声はあそこから聞こえるらしい。 茶倉が慎重に念を押す。 「四階建てですよね」 「はい」 「他のフロアの方々も聞いたんですか」 「証言は皆似通っています。一階ガールズバー、三階ファッションヘルス、四階の創作居酒屋……通気口の奥からか細く弱々しい、今にも息絶えそうな泣き声が聞こえてくるんです」 赤ん坊の霊が通気口の中を這い進む光景を思い描き、ぞくりとする。 パイプ椅子に掛けた松本さんががっくり肩を落とす。 「もともと入れ替わりの激しいビルだったみたいなんですが、変な気配を感じるようになったのはここ最近です。他のフロアの店は撤退しました」 「超常現象発生から一か月足らずで?随分決断が早いですね」 「築五十年のボロですし、今回の事がなくても移転を考えてる店は多かったですよ。界隈じゃ一番古いんじゃないかな?口さがない連中は卒塔婆ビルとか呼んでます、見た目がぽいでしょ」 「ほらな」 「え?」 「こちらの話です。電話じゃ事故物件とおっしゃってましたが、何か関連する事件があったんでしょうか」 「何十年も前に店の子と客が別れる別れないでもめて、刺したとか刺されたとか」 「死んだ?」 「そこまでは。俺も噂だけで」 松本さんの愚痴に応じて室内を検分する。天井に取り付けられた扇風機の羽はヤニで汚れ、壁には不気味なシミが浮き出ていた。お世辞にも清潔で快適とは言い難い環境。 沈没船から脱走を企てるネズミよろしく、他の店がこぞって逃げだすのもわかる。 「うちの店員も怖がっちゃって仕事になんないんです、ヤッてる最中に変な声聞こえちゃ興ざめでしょ」 「お客さんも聞いてるんですか」 「聞こえる人もいればいない人もいます。やっぱ霊感のあるなしが関係してるんでしょうか」 「一概には言えませんが……その可能性はあるでしょうね」 言葉を濁す茶倉を遮り、エレベーターの到着音が響き渡る。 両手に分かれ開いたドアから出てきたのは、髪をビビッドなピンクに染めた細身の青年。 「おはよーございまーす」 「ケイくんおはよ。珍しく一番乗りだね」 営業所に顔を出した青年が松本さん・茶倉・俺を見比べ、また茶倉に立ち戻る。 「嘘っ、マジでチャクラ王子呼んだんすかパねえ!知り合いの知り合いってフカシじゃなかったんすね、見直したっす」 「松本さん店の子にまでぺらぺらしゃべってたんすか……」 「いや~有名人が知り合いの知り合いってレアで自慢したくなっちゃって」 パイプ椅子に腰かけた茶倉を指し、ミーハーに騒ぐ青年……ケイを、松本さんがいそいそ手招きする。 「ちょうどよかった、証言してよ。仕事中に例のアレ聞いたんだろ」 「えっ……まあハイ、いいっすけど。一瞬だけだしあんま参考になんないっすよ」 うってかわって及び腰でやってきたケイに向き直り、茶倉が質問。 「泣き声を聞いた時の詳しい状況を聞かせてもらえませんか」 「え~と、先週の火曜……でしたかね。俺を毎回指名してくれる常連さんがいて、90分コースで入ってたんですよ。オーナーも知ってるでしょ、猫田さん。本名は横田さん」 「なんで猫田さんとおっしゃるんですか?」 「そりゃもー狂ったみたいに猫好きだからですよ、何回スマホで撮った飼い猫自慢された事か。見ますあの人のSNS、YouTubeに動画も上げてるんです」 ケイが苦笑いでスマホを操作、猫田氏のSNSとチャンネルを見せてくれた。液晶を流れてくのは猫と戯れる夫婦の2ショット。女の方は腹がデカい。思わず顔をしかめちまった。 「奥さんの妊娠中にゲイ風俗通い?」 「よそに女こさえるよかマシ」 茶倉のフォローになってねえフォロー。ふとタワマンに留守番中のタメゴローを思い描く。餌とミルクは余分に用意してきたが、寂しがっちゃないだろうか? 視線を感じて顔を上げりゃ、茶倉が人の神経を逆なでするぬる~い笑みを浮かべていた。 「『うちの子のほうが可愛い』って顔」 「猫は遍く可愛い」 「で、どうします?一応許可はとってあるんで、他のフロアも見て回れますけど」 松本さんの話じゃあと一時間で営業が始まるらしい。今日位休めばとも思うのだが、予約が入ってるのでそうもいかないそうだ。客商売は大変だなあと同情する。茶倉が人さし指を曲げて俺を呼ぶ。 「理一。天井裏」 「見て来んの?俺が??」 語尾を跳ね上げ確認をとる。茶倉がにっこり微笑む。猫かぶり検定一級に合格できそうな笑顔。 「全フロアの従業員が聞いとるっちゅーことは、個人やのォてビルに憑いてはる可能性が高い。通気口は天井裏に繋がっとるやろ」 「やだよ、赤ん坊のミイラ見付けちまったらどうすんだよ」 「パシリに拒否権はない。いけ」 泣く泣く腰を上げエレベーターに赴く。隣に気配を感じて目を上げると、松本さんが同情を込め苦笑いしていた。 「なんというか……話に聞いてた通りだね」 「こき使われてんでしょ」 「巻き込んじまってすまない。この手のトラブルは初体験で、咄嗟に浮かんだのが理一の顔だった」 敬語から砕けたタメ口に変わる。二人で会うときはこんな調子だ。まあ、頼られるのは悪い気がしない。茶倉は少し離れた場所で通気口の位置関係を調べてる。 鬼上司が見てない隙に、声をひそめておねだりする。 「全部終わったらおごってくださいね」 「その後は」 腰に回された手がジーパンの尻をまさぐる。くすぐってえ。最近ご無沙汰な尻穴がむずむずしてきた。茶倉の目を盗んで俺もまた手をのばし、松本さんにじゃれ付く。 「わかってるくせに」 さすがにキスする度胸はない。エレベーターの扉が開く。戯れに咽喉をくすぐる指から逃れ、乗り込む。 「行ってくる」 理一が四階へ去った後、松本とふたりきりになった茶倉は二階フロアの通気口をチェックしていた。ケイは控室に待機してる。 「ふん」 通気口は幅50センチ、高さ50センチ程。赤子や幼児ならいざ知らず大人の侵入は不可能だ。 次いで営業所の窓の鍵を解錠する。隣接する建物の間に細い路地。殆ど離れてない。ラブホの外壁に取り付けられた配管がすぐ近くまで迫り出し、そこを野良猫が伝ってる。老朽化著しい雨樋の一部は外れ、卒塔婆ビルに橋を架けていた。 開け放った窓から顔をだし周囲の状況を把握、ある推測を立てる。結論から言えば、茶倉が出向くまでもない木っ端仕事だ。理一を天井裏に送り込んだのは嫌がらせにすぎない。 「お代わり淹れましょうか」 「お気遣いなく」 松本に愛想よく答える。背後に気配が来た。 「理一君とは随分親しい間柄なんですね。お互い遠慮ない物言いでした」 「長い付き合いですからね」 「茶倉さんの事務所で雇ってあげてるんでしょ?」 「依怙贔屓じゃないですよ。囮に使えて便利なんです」 理一は世にも稀なる霊姦体質だ。高校時代の体験を経て霊感に覚醒したは良いものの、自力で祓うことができず憑かれる一方で今も穢れをためこんでいる。これには線路脇の花束や轢かれた犬猫の死体を無視できない本人の性情も多いに関係している。即ち、お人好しは付け込まれるのだ。 「霊に同情するんはアホですよ。一銭にもならん負債が膨らむだけ」 「貴方の事を血も涙もない守銭奴だと言ってました」 「他には」 「本当は優しい」 「は?」 目を据わらせて振り向けば、松本が露骨な誘いをかけてきた。 「どうです、彼がいない間にセフレ一号と三号で親交を温めませんか」 「そっちの趣味ないんで」 「理一くんとは関係を持ってるのに?ずるいな」 松本がうっそりほくそ笑み、茶倉を壁際に追い詰める。 「テクじゃ負けてないですよ。抱かれるのが初めてでも気持ちよくしてさしあげます」 顔の横に手を突き、近付く。 「コレ目当てで呼んだんか。回りくどい」 「困ってるのは事実ですが、お祓いだけが目的ならもっとリーズナブルな業者に頼みましたね」 「アイツの人の良さに付け込むんは悪霊だけやない」 実際の所、松本は計画的だった。マスコミやテレビ、ネットで顔が売れた有名人・茶倉練。 その彼が今も交流の続くセフレの昔馴染みときて、お近付きになりたい下心が働いたのは想像に難くない。 松本が茶倉の尖った顎に手をかけ、上を向かせる。 「あの茶倉練が助手兼任の元同級生とデキてるなんて、世間的には大スキャンダルじゃないですか。大幅なイメージダウンに繋がりかねない」 「脅迫か」 「一回試してみるのも悪くない」 「穴兄弟は願い下げ」 冷ややかに笑って拒む茶倉にのしかかり、華奢な手首を締め上げる。相手が口を開くのを遮り、隅の通気口を意味深な視線で示す。 「卒塔婆ビルは築五十年、あちこちガタがきてるって話しましたよね。フロア間の音も結構響くんですよ。たとえばあの通気口……今叫んだら、四階や天井裏に筒抜けです。理一君はどうおもうでしょうね」 茶倉の表情が強張るのを見逃さず追い討ちをかける。 「助けを求めるなら止めません、どうぞご自由に。上司の面目は丸潰れでしょうがね。理一くんは優しいから、大事なお友達が悪戯されようとしてるのを知ったらすっとんでくるんじゃないかな」 人さし指が会陰をなぞり、突っ張った生地越しにぐりぐり窄まりをほじくる。 「ッ……」 不快に汗ばむ手が背広をはだけ、シャツのボタンを外していく。最初にセフレと名乗ったのは失敗だった、アレで同類だと見なされた。茶倉はノーマルだ、ゲイではない。 よしんばゲイであったとしても、会ってからまだ一時間も経たない男に抱かれたくない。 「自分の店で……節操なし、やな」 性急な前戯に吐息が上擦る。口を手で押さえ喘ぎを殺す。艶めかしい衣擦れに続き、腰に回された手が素肌をまさぐりだす。耳たぶを甘噛みされた。ぢゅくぢゅく孔にねじこまれる濡れた舌。 「ッく、ぁ」 「大きな声出すと理一くんがやってくるよ」 首筋を這い回る舌に追い上げられ、吐息に蒸れる手のひらを噛む。松本は茶倉より上背があり体格が良い。 本気で暴れたら振りほどけるだろうが、それ以上に今してる事を理一に見られたくない。 「ホンマ、すきもん」 シャツが淫らに開き、薄い胸板と赤い突起が覗く。無骨な指が乳首を抓り、引っ張り、ねちっこく揉み潰す。 根元から搾り立てられた乳首が感度を増し、繰り返し唾を嚥下する喉仏が物欲しげに蠢く。 ぐちゅ、唾液の泡が潰れる音と共に舌が入ってくる。顔を背けるのは許されず、敏感に蕩けた粘膜をかきまぜられる。 「んっ、ぐ、はぁ」 痛いほど舌を吸い立てられる間も乳首をいじる手は止まらない。気付けば茶倉は観念し、おずおず舌を絡めていた。 辛抱たまらなくなった松本が茶倉の片足を抱え上げると同時に、異変が起きた。 「何だこれ」 茶倉の背中一面に刻まれた痕。通気口の隘路に殷々と反響する濁った声。 「アンタは勘違いしとる。ここにおるんは赤子ちゃうで、化猫や」 トン、軽く松本を突き放す茶倉。手早くネクタイを締め直し、シャツの乱れを整える。 ガリガリガリガリ、通気口の中で異音が響く。何かが爪を立てているような、死に物狂いに引っ掻いているような音。 「理一を利用してええのは俺だけや」 「ま、待て!今のは冗談だって許してくれよ、ちょっとした悪ふざけじゃないか!嫌っていうならやめる、もうしないって約束するよだから」 何かが凄まじい速さで通気口を下りてくる。茶倉が腕を組んで壁によりかかり、呟く。 「にゃ~お」 通気口から飛び出した黒いかたまりが、床に尻餅付いてあとずさる松本にとびかかる。 卒塔婆ビルに絶叫が響き渡った。 「松本さん!?」 蜘蛛の巣と埃にまみれた服をはたき、天井裏から脚立へ下りる。 エレベーターを呼び出すのも惜しく階段を駆け下りて営業所に直行すりゃ、松本さんが頭を抱えて震えてた。 「一体……」 「卒塔婆ビルの赤ん坊の正体がわかった」 茶倉の声に振り向き、驚く。壁の上部に穿たれた通気口の枠が外れていた。ハンカチの敷布の上に寝かされてるのは、茶褐色に干からびた猫のミイラだ。 「コイツが迷い込んどったん」 俺と同期して営業所に飛び込んだケイが、あんぐり口を開ける。 「そういや猫田さんが言ってました、卒塔婆ビルの近くでよく野良猫を見かけたって。一階の子が時々餌付けしてたみたいだけど」 「出てこれなくなっちまったのか」 通気口の中で飢え渇きに苛まれ、声だけと成り果てなお助けを求め続けた猫に同情する。 「通気口の中は妙な具合に音が響く。せやから猫と赤ん坊を間違えた、身重の女房ほっぽって風俗通いしとる後ろめたさも一因やな」 「お祓いはすんだのか」 アルマーニのスーツは埃だらけだ。茶倉自ら通気口に手を突っ込み、遺体を回収したのがわかった。 拝み屋の孫がケイに聞く。 「綿棒持ってます?」 営業所のシンクの蛇口をひねり、水道水を含ませる。綿棒の先端が湿ったのを確認後、ミイラの口元に近付けていく。 にゃあ、と一声猫が鳴いた。同時にミイラを見下ろす。 「これで大丈夫。遺体は埋めるか焼くかしてください」 茶倉の声が優しく聞こえたのは、くだらない感傷のせいだろうか。最後にお湿りをもらったミイラの顔は安らいで見えた。 「ありがとうございます、マジ助かりました。けど猫には可哀想な事しちゃいました、もっと早く気付いてたら助けられたのに」 何故か放心状態の松本さんを引き立てお礼を述べるケイに、茶倉が提案する。 「保護猫ボランティアに興味があるなら、いい子を紹介しますよ」 ケイの交渉が実り、タメゴローは猫田さんにもらわれることに決まった。野良猫の亡骸は手厚く葬られたそうだ。 「また駄目だ、繋がんねえ」 数日後。 TSSのオフィスでスマホをいじりながらぼやけば、椅子にふんぞり返った茶倉が気のない素振りで聞いてきた。 「誰?」 「松本さん。おごってくれるって約束したのにさー」 「フラれたんか。かわいそ」 「全ッ然心がこもってねえ」 茶倉はスマホを横にして動画を見ていた。興味を引かれ手元を覗き込む。猫田さんちの子になった、元タメゴローが映ってた。 「元気そうだな」 来月には赤ん坊が仲間入りするそうだ。一抹の寂しさを噛み締め、末永く健やかでいてくれと祈る。 「やんちゃで困っとるらしい。名前はチョビ」 「犬じゃん。てか茶倉、俺が天井裏探索してる間に何があったんだ。あれ以来松本さん人が変わっちまってさ~」 「化猫に食われかけた」 「お前がいたのに?」 「俺がいたから、な」 おもむろに立ち上がり、パワーストーンの数珠を巻いた右手で頬に触れる。 「そろそろやな。除霊しよか」 俺は茶倉に逆らえない。何故ってそりゃ、コイツとヤるのが一番ダントツぶっちぎりで気持ちいいのだ。言われるがままソファーに仰向けりゃ、テーブルに飾られたガネーシャ像が視界に飛び込んできた。ご立派な鼻。 「……ガネーシャ様が見てる」 「見せ付けたろ」 「ンな趣味ねえ」 インド人を右に。ガネーシャは後ろに。

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