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第5話
「ここか」
緊張気味に正門を見詰める。
錆びたゲートの遠景には恐竜の化石めいたジェットコースターの骨組みが聳え、赤と青に塗り分けられたレトロな観覧車がたたずんでいた。
「狂った大富豪が主催するデスゲームの舞台っぽい」
「お前の武器はしゃもじな」
運転席から降りた茶倉の茶化しがシリアスな雰囲気をぶち壊す。
「攻防兼ねるフライパンにチェンジ。しゃもじてどうたたかえってんだ、百均で普通に買える殺傷力高ェのよこせ」
「ほなオリーブオイル」
「床にローショントラップ仕掛けろってか」
「油売らずに知恵絞れ」
「うるせえもこみち呼んでこい」
正門には人力で回転する三本レバーがあった。これを押して入場するらしい。小学校の遠足の記憶が甦り若干テンションが上がる。
入口の上には『|宛乃原《あてのはら》遊園地』の看板が斜めに傾いで掛かっていた。長年風雨に晒され劣化し、文字の一部は読めなくなってる。
茶倉が無表情に感心する。
「噂通り、死ノ原遊園地になっとる」
「よりにもよって……」
狙ってんのか、と突っ込みたくなるほど不吉な字欠け。赤錆に浸蝕されたカートゥーンタッチのうさぎと空飛ぶ風船のイラストが、禍々しい雰囲気を醸し出している。
茶倉が足元にへばり付いたチラシを拾い目を通す。
「宛乃原遊園地のマスコットキャラ、バニーのバニラちゃんやて」
「安直なネーミング」
ビラにはバニラちゃんのきぐるみが赤い風船を持ち、観覧車をバックに手を振る写真が刷られていた。『キミも宛乃原遊園地でボクと握手!』と、パクリっぽいキャッチフレーズまでふられてる。
「待てよ、ボクってことはオス?バニラくんじゃねえの」
「ボクっ娘かもしれん」
乾いた青空の下に広がる遊園地は蔦と草に埋もれ荒廃し、半ば自然に帰りかけていた。
看板に描かれたカートゥーンタッチのうさぎと空飛ぶ風船は色褪せ、薄ら寒さを引き立てる。
俺たちTSSが今日ここを訪れた目的は、もちろん廃墟巡りや肝試しじゃねえ。
俗に虎穴に入らずんば虎児を得ず、阪神タイガースに入らずんば道頓堀にドボンせずというが、幽霊をイタズラ半分に刺激する恐ろしさを日々痛感している俺がそんな軽はずみなまねするわけねえ。
宛ノ原遊園地こと別名死ノ原遊園地を訪れたのは、もちろん仕事で依頼されたから。
遡ること三日前、俺はTSSのオフィスにて一人せっせとハロウィンの飾り付けに勤しんでいた。
期間限定ダッツ片手に、プラスチックの匙を咥えた茶倉が顔をしかめる。
「そのデカブツどっから仕入れてきたんや」
「世話んなったお礼だって、日水村の菊池さんが畑でとれたの送ってくれたんだ」
「まだ交流続いとったんか、ジジババ受けだけは安定やな」
「訂正しろ、犬にも好かれる」
宅配便には菊池さん夫妻と桑原のじっちゃん、行儀よくお座りしたゴンの写真も添えられていた。みんな元気でやってるみてえで安心した。とはいえ俺は一人暮らしで、とてもじゃないけど食いきれねえ。てな訳で、ジャック・オ・ランタンに生まれ変わった。
「固くてくりぬくの大変だった」
「職場に持ってくんな。邪魔」
「わかんねーかなア手作りの温かみが、無機質なオフィスに季節感を持ち込む粋な心意気が」
「死体が埋まった畑でとれたかぼちゃよォ飾れるなサイコパス、人の心とかないんか」
「食い物に罪はねえ。ハロウィン終わったら煮付けにする」
ジャック・オ・ランタンを棚の上に飾る俺に「好きにせい」とだけコメントし、パンプキンキャラメル味のダッツをちびちびなめる。
「うまい?」
「まあまあ」
「一口くれ」
「乞食か」
あーんと口を開けりゃ裏拳で額をひっぱたかれた。ひでえ。
折角なので一口サイズのチョコやキャンディを詰めた籠を、机の真ん中に置いておく。
直後にドアが開いて依頼人が訪れた。
「三時に予約した|宛乃原緑《あてのはらみどり》です」
「お待ちしてました、ソファーへどうぞ」
「失礼します」
茶倉が完璧な接客スマイルを貼り付け、年の頃四十代前半の痩せぎすの女性を誘導する。
「どういったご用件でしょうか」
「私の父が二十五年前まで経営していた、宛乃原遊園地の件です」
「ああ……」
察したらしい茶倉が控えめに頷くも、その手のネタに疎い俺はきょとんとするっきゃない。
「宛乃原遊園地の件って?」
「検索してみ」
「うい」
スマホの検索窓に「宛乃原遊園地」と入力した所、「閉園」「都市伝説」「殺人うさぎ」と物騒なサジェストが並んだ。
「茶倉さんは心霊専門のトラブルバスターとお聞きしました、そこで折り入ってご相談があります。宛乃原遊園地を徘徊する、うさぎのきぐるみを捕まえてほしいんです」
敷地を囲むフェンスには「来月取り壊し予定地 立ち入り厳禁」の文句と共に、安全帽を被った作業員がお辞儀する看板が括り付けられていた。
「先方にゃ話通してあるんだよな」
「できるだけ穏便にっちゅーんがむこうさんの意向」
「マジで出んの。デマじゃなく?」
生唾を飲んで聞く。
茶倉がゲートの向こうに鋭い一瞥を投げ、断言する。
「なんぞけったいなんがおるで」
茶倉練は俺の腐れ縁のダチでTSSの代表取締役、巷じゃチャクラ王子とかいうこっぱずかしい愛称でもてはやされてるイケイケバリバリの霊能者だ。
当然除霊はお手の物で、その土地や家屋の権利者から心霊スポットの掃除を頼まれる事もよくある。
宛乃原さんかく語りき、遡ること一週間前に大学生の男女五人が宛乃原遊園地を訪れた。
目的は肝試し。
いうまでもなく不法侵入。
酔ってハイになってた若者たちは、深夜の遊園地の様子を動画サイトで生配信した。
宛乃原遊園地は二十五年前に経営不振と少子化の影響で潰れ、長い熟成期間を経て県内有数の心霊スポットに育った経緯がある。
しかしながら当園で事件や事故が起きた記録は一切ない、なんで人が死んでねえのに心霊スポット化しちまったのか謎である。
話を戻す。
件の大学生一行は、B級ホラー映画なら序盤で死亡フラグが立ちまくるアホな行動をトレースした。
早い話がカップル同士でいちゃ付き、ティーカップを蹴り壊し、回らない木馬の上でウェーイと小躍り記念撮影した。
茶倉の隣でスマホを操作し、問題の動画を再生する。夜の遊園地が映し出され、ドアップのチャラ男が手を振る。
『ウェーイみんな見てるー?俺たち今ね~奈良県最大の心霊スポットの死ノ原遊園地にきてま~っす』
『真っ暗で超不気味~あれ?』
『どした』
『今、観覧車のゴンドラ動かなかった?』
『は?動くはずねーだろ、電気来てねーのに』
『だよね。見間違いかな』
茶髪の女の子が首を傾げる。カメラが観覧車に向き直り、てっぺんのゴンドラをズームアップする。暗闇にぼんやり浮かび上がる赤いゴンドラが不気味だ。
次の瞬間、思いがけない出来事が起きた。
『きゃっ!』
ゴンドラに嵌めこまれた窓の向こうに、人の形をした影が過ぎった。女の子が短く叫ぶ。若者たちが殺気立って逃げ惑い、カメラが激しくブレる。
『今の見たか、絶対いたよな』
『人間?んなはず……』
『だって壊れてんでしょ、乗れるわけないじゃん。そもそもこんな真夜中にアタシたち以外の誰が』
『また!』
『いやああああああっ!』
茶髪の女の子が引き攣り顔で指さす先では、窓に張り付いた人影が地上を睥睨していた、否、人じゃねえ。てっぺんのゴンドラに乗り込んでたのは、うさぎのきぐるみだった。
『なんだありゃ冗談キツいぜ』
『早く逃げよ、捕まったらマジヤバい!アイツじっとこっち見てる!』
前歯が出っ張ったうさぎのきぐるみが、窓に顔を押し付けていた。
その片手に酷く場違いなものが握られている。赤い柄のチェーンソー。既に人を切り刻んだのか、ジグザグの刃は血まみれ。
絶叫。悲鳴。怒号。大学生グループが一斉に逃げ出し、ライブ画面は暗転して断ち切れた。
この動画は凄まじい速さで拡散され、夜の遊園地に出没した謎のうさぎきぐるみの正体を暴きに、怖いもの知らずの冒険野郎どもが押しかける事態となった。
動画を閉じてスマホをしまい、疑い深げに呟く。
「やらせじゃねえの」
「検証済み」
「変質者のイタズラって線は」
「どないして止まった観覧車に、それもてっぺんのゴンドラに乗り込んだっちゅーねん」
「瞬間移動の入れ替えトリック?」
「物理法則飛び越えとる」
となると、心霊現象の可能性が高い。茶倉が遠くにチラ付く観覧車に顎をしゃくる。
「サツはまともに取り合ってくれん。動画も捏造扱いで話にならん」
警察は生きてる人間の犯罪を取り締まるのが仕事、幽霊は守備範囲外。
「来月にゃブルドーザー乗り入れて更地になんだろ」
「キャンプ場に生まれ変わる予定」
「心霊スポット跡地に家族連れが泊まりに来るのか」
「噂ですんどるうちはよかったけど、証拠画像が出回ってもたら重い腰上げなあかん。下手打ちゃ再生計画が立ち消える」
「営業中からオーブや怪しい影が目撃されてたんだろ、他にもゴンドラが勝手に動くとか木馬回るとか色々」
「一、浮遊霊の吹き溜まりになっとる。二、不法占拠者が電気盗んどる」
「じかに確かめんのが手っ取り早いか」
宛乃原さん曰く、ここは親父さんの夢と思い出が詰まった場所らしい。彼女自身も何度となく足を運んだそうだ。
「父の実家は大変貧しく、幼い頃から遊園地に憧れていたそうです。大人になったのち資金をやりくりしどうにか開園に漕ぎ付け、俺の夢の城だとことあるごと私や母に自慢しました」
「微笑ましいですね」
「学生時代にバイトした経験もあるんです、門限にうるさく娘に厳しい父が自分の遊園地ならばと特別に許してくれて」
「子供の頃から訪れてたなら庭も同然でしょうね」
「老朽化が著しく危険と行政に警告をうけましたし、廃墟マニアだとか心霊ツアーだとか県内外から忍び込む人が後をたたないので取り壊し自体はやむをえません。ですが父と私の思い出が詰まった遊園地が心霊スポットの汚名を着せられたまま均されてしまうのは心外です。お願いします、チェーンソーうさぎを捕まえてください」
バニラちゃんの中身が悪霊か人間かは不明だが、ンな身の上話を聞かされちまった以上ほっとけねえ。
「宛乃原さんは来ねェの」
「はずせん用事があるらしい」
「留守番か。そっちのが安心だな」
たとえ関係者でも、女を危険に巻き込むのはできるだけ避けたい。
「地雷踏み抜いた連中がチェーンソーの餌食になんのも寝覚めが悪ィし、はりきっていくぞ」
「くちゅん」
小さくくしゃみした茶倉にやれやれムーブでホッカイロを貸す。
「ほら」
素通り。
「人の親切スルーすな」
「二十万のアルマーニにホッカイロ仕込めるかい」
「格好付けちゃって」
三本式回転レバーをくぐる際、茶倉が得意げにほざく。
「もの知らずに教えたる。遊園地の入口によォあるこれ、ターンスタイルゲートっていうんやで」
「仕入れ先はグーグル先生?」
「小説」
「どんな」
「廃遊園地に集められた男女七人が謎の主催者にデスゲームをしいられるスプラッタホラー。地上百メートルのジェットコースターレールで死のロングウォークするクライマックスが最高やった」
「聞くんじゃなかった」
浅はかな好奇心を悔いる。茶倉は悪魔の顔で嗤ってた、憎らしいことに。
ターンスタイルゲートを抜けると同時に本音を零す。
「営業中に来たかったな」
「ええ大人が遊園地ではしゃぐな」
「デートで来た事ねえの」
「一緒にすな」
「なんで富士急ハイランド行ったこと知ってんだよ」
「図星か」
ゲートの内側の空気は別物だ。鳥肌立った二の腕をこする。
「なんか感じる?」
「もっと奥行かなわからん」
「デスヨネー」
しかたなく付いていく。昼だからまだマシだが、夜になりゃ相当怖いはず。
ロココ調の装飾が施されたメリーゴーランド、虚ろな眼窩をさらす骸骨を船首に取り付けた海賊船、パステルカラーのティーカップ、ベッドメリーのような回転ブランコ……時代遅れの感が否めないアトラクションの数々が童心を呼び覚まし、薄気味悪さとノスタルジーが入り混じる、不思議な高揚に包まれ廃墟を進んでく。
「茶倉さ~遊園地の乗り物でなにが一番好き?」
「その質問答えなあかん?」
「だんまりは気詰まりじゃん。テンション上げ上げ薩摩揚げ、ガンガン頑張れがんもどきでいこうぜ」
「がんもどき応援し隊か」
一瞬黙り込み、前を向いたままそっけなく聞いてきた。
「富士急のツレ、松本?」
「あたり!正解者の茶倉くんにはホッカイロを、あっ」
ぺっと弾かれた。
「もったいねー」
「セフレと遊園地デートか。仲良しで結構なこっちゃ」
「松本さんが知り合いに割引券もらったってゆーから……いいだろ別に、絶叫マシーン好きなんだよ」
知らず言い訳っぽい早口になる。いや待てなんでうしろめたさを覚えなきゃいけねーんだ、俺と松本さんがそーゆー間柄なのは了承済みだろ?
「今度はお前の番。さっきの質問の答え」
「ノーコメント」
モザイク煉瓦貼りのプロムナードを逸れ、こぢんまりしたゲーセンの隣にある、殺風景なコンクリ平屋建てへ歩いていく。
どうやら従業員用の事務所兼更衣室らしい。ドアは鎖を巻かれ封鎖されてるものの、割れた窓を跨げば簡単に入れる。
戯れにゲーセンの中を覗けば、ゲームの筐体が埃を被っていた。遮光カーテンを張り巡らしたプリクラのブースもある。
「二十五年前からあったんだ」
「グーグル先生曰く1995年に開発されたらしいで」
「俺がはいはいしてた頃じゃん」
「女子高生が象足ソックス穿いてた頃や」
「時代を感じる」
「はよ来い」
茶倉にどやされ方向転換、枠を掴んで窓をくぐる。
床一面にばら撒かれたガラス片を踏み砕き、空き缶やスナック菓子の袋その他資材が散らかった室内を見回す。壁には色褪せたポスターやシフト表、従業員の写真が貼られていた。
「前列中央の眼鏡が園長で二列目右端が宛乃原さんかな」
面影あるからすぐわかった。日付のプリントは三十三年前、閉園した年。「最後の記念撮影か」
面映ゆげに微笑む宛乃原さんの斜め後ろには、うさぎの被り物を脇に抱えた、筋骨逞しい体育会系の青年が映ってる。
ハッとして動画を再生、一時停止。ゴンドラに映りこんだうさぎをズームアップし、写真の青年と照らし合わせる。
「コイツが持ってんのバニラちゃんの生首だ」
「中の人か」
「てこたあ殺人うさぎの正体は」
「段階すっとばして結論に飛び付くな」
白い歯まばゆい爽やかな笑顔を一瞥、茶倉が片っ端から机の引き出しやロッカーの扉を開け、ごそごそ中身を漁り始める。殺人うさぎの正体に繋がるヒントをさがすのだ。俺も相棒にならい、反対側の並びのロッカーを開けていく。
ふと顔を上げ、一番端っこのロッカーの扉が外れかかってるのに気付いた。
「このロッカー備品庫だ」
机の引き出しを開けた茶倉が止まり、こっちに移動する。
ロッカーの中は意外に奥行きがあり、段ボールにごちゃごちゃがらくたが詰め込まれていた。試しにしゃがんであさってみる。
「パイプオルガン・お手玉・竹馬、サンタの付け髭ととんがり帽子……クリスマスのイベント用?」
「宛乃原はんは野外ステージでよお催し物したていうとったな」
茶倉が小鼻をヒク付かせ、すぐさま顔を背ける。
「臭っ」
「鼻の粘膜が繊細」
「よお平気やな」
「部活終わりの防具の匂いで慣れてっから」
「えばんな」
さらに発見があった。ロッカーの内壁に男女2ショットのプリクラが貼ってある。
「バニラちゃんの中の人と宛乃原さんだ。付き合ってたのか」
「付かず離れず微妙な距離感ちゃうか」
「友達以上恋人未満?初々しい」
宛乃原さんが遊園地を手放すのを渋る理由が腑に落ちた、ここには甘酸っぱい青春の思い出が詰まってるのだ。
続けざま箱の底に手を突っ込んだ所、固い感触が当たる。
「げっ!」
出るわ出るわ段ボールから大量の凶器が発掘された。
「待て待てマジで殺人鬼が潜伏してんのか、したら俺たちの手におえねー」
「貸せ」
「危ねっ、切れるぞ!」
茶倉が斧をひったくり、刃の上にツーと指を滑らす。
「ハリボテやん」
「だよなー!」
「完璧だまされとったくせに」
「はなっから見破ってたよ、逆に試したの」
「富士急の絶叫マシーンの名前と同じ位演技力終わっとる」
「俺は好きだぞ、一周回って開き直った命名センス」
「帰りはホテルでお楽しみか。ベッドからトンデミ~ナでドドンパか」
「正式名称はド・ドドンパ、区切るんだよ」
「どうもええわ」
「妙に突っかかるじゃん。別にいいだろ、仕事でミスった訳じゃねーしオフの日誰と遊ぼうが。ひょっとしてまぜてほしかった?」
茶倉がにっこり笑い、俺にピストルを向ける。
反射的に両手を挙げて降参するも引鉄が引かれ、甲高い破裂音に次いで万国旗と紙屑が舞い上がった。
緩やかな螺旋を描き、顔面と足元に紙屑が降り注ぐ。
「大体わかった」
ロッカーに貼られたプリクラを剥がし、回れ右する茶倉に慌てて付いていく。
更衣室を出た矢先、冷たい風が吹いてきた。思わず腕をバッテンにし顔を庇えば、ギギ、ギギと異音が響き渡る。観覧車の方角。
嫌な予感に抗えず薄目を開ける。
錆びたゴンドラが軋み、不協和音を奏でながらゆっくり回る。てっぺんのゴンドラには七番とペイントされていた。
「茶倉、あれ」
七番のゴンドラの中に誰かが、いや、何かがいる。人に似てるが人じゃない長い耳を持ち、デフォルメされた前歯がせり出した……
「バニラちゃんだ!」
一週間前に大学生グループが見たヤツだ。うさぎのきぐるみは屈んで何かをしていた。
観覧車には電気が通ってない、永遠に停止してる。宙吊りの密室と化したゴンドラはどうあがいても搭乗不可能。もちろん下りるのも無理。
「一体どうやって……」
「いくで」
直後に茶倉が走り出し、正気に戻った俺も続く。観覧車の麓に辿り着いて仰ぎ見れば、七番のゴンドラからうさぎが消えていた。
「飛び下りたのか?」
「観覧車の窓は事故防止で一定以上開かん仕様や」
「ならどこに、ッ!」
突然上半身が前傾する。観覧車乗り場の段差に躓いたらしい。
「あっぶねー」
「よそ見すな」
「俺のせいじゃねえ段差が悪いんだよ。横っちょの黒いシミ見ろ、前にもコケてコーラかなんか零したヤツがいる証拠だ」
モザイク煉瓦の一点を指して訴え、硬直。茶倉のすぐ後ろにチェーンソーをひっさげたうさぎが歩み寄っていた。
まんまるい目。頬っぺに生えたヒゲ。極端に尖った出っ歯。
カートゥーンの世界から抜け出してきたような二足歩行は、現実に目の当たりにするとちぐはぐで不気味でしかない。
コッテコテにバタ臭い面構えのうさぎが、血のこびり付いたチェーンソーを茶倉の脳天に振り上げる。
「ッ!」
咄嗟に腕を掴んで引き寄せる。間一髪、茶倉がいた場所をチェーンソーが薙いだ。
『出テケ……』
頭に直接思念が流れ込んでくる。憎悪、怒り、殺意、地のはてまでも獲物を狩り立て追い詰める凄まじい執着心。負の感情をごった煮したどす黒い坩堝に飲まれかけ、茶倉と一緒に走り出す。
「物理攻撃で来るとか聞いてねーぞ、中身は生きてる人間なのか」
「殺しても死なへんのはどっち?正解はCMのあとで」
狂ったようにチェーンソーを振り回すバニラちゃん。エンジンが掛かってないのは恩の字だが、剥き出しの刃だけで十分脅威。俺より体力がない茶倉はすでに汗みずく、息が切れて苦しそうだ。
「っは、は、理一待て肺が限界」
「とっととお祓いしろ!」
「急かすなだあほ、物には順番ってもんがあるんや」
言ってるそばから突撃してきた。狙いは茶倉。やむなしと判断、見捨て……るわけにもいかず全速力で戻り、地面に転がる鉄パイプをひったくる。
気合一閃、バニラちゃんが振り下ろした刃に鉄パイプを噛ます。
「逃げろ!」
廃墟の遊園地でちゃんばらごっこの幕が上がる。
バニラちゃんはただ無造作に振り回してるだけ、軌道さえ見切っちまえば躱すのはたやすい。
物騒な形状の刃を鉄パイプで弾き、流れるように巻き取り、後ろに跳躍して間合いをとる。
キュートな見た目に反し、バニラちゃんはめちゃくちゃタフだった。
「っは、は」
スタミナ切れを待ってたら先にこっちがへばっちまうと確信、逃げに回る。茶倉はどこだ?はぐれちまった。幸い遊園地は身を隠すアトラクションに事欠かねえ。
ティーカップの底に伏せ息を殺す。ボーパルバニーの足音が接近してくる。チェーンソーの刃が縁にガツンと当たり、バニラちゃんの逆さ顔が覗き込んできた。
『メッケ』
「畜生!」
紙一重で斬撃を避け、隣のメリーゴーランドをめざす。
円形装置の上に停止した馬や馬車の間をすりぬけかいくぐり、ポールダンサーのように支柱を掴んで回り、きぐるみの胸板を蹴り飛ばす。
「よっしゃ!」
バニラちゃんは危なっかしくよろけたものの、残念ながら尻餅付くまではいかない。しぶてえ。
優雅にたてがみ靡かす馬の背から背へと飛び移り、鉄パイプの先端を突き付ける。
「悪霊?人間?」
悪霊なら茶倉に投げるが、人間だったら俺の踏ん張り所だ。バニラちゃんが肩幅に踏み構え、チェーンソーを掲げる。
『ゴミヲ捨テルナ……』
「ポイ捨てなんかしてねーよ人聞き悪いウサ公だな!」
『捨テタ……ホッカイロ……』
ぎくり、茶倉がホッカイロ弾いたのも不法投棄にカウントされてるわけ?
直後に足元がぐら付き、今まさにチェーンソーを振り上げたバニラちゃんの方へ倒れ込んだ。
「うわああああああああ!」
じたばたもがくも遅く、鉄パイプを握ったまんまきぐるみを押し倒す。違和感を感じた。バニラちゃんの生首が転々とはね、固唾を飲む。きぐるみの頭部の下は空っぽだった。
「理一!」
頼もしい声に顔を上げりゃ茶倉がすぐそこにいた。
首なしバニラちゃんがのっそり起き上がり、チェーンソーをもたげる。すかさず鉄パイプを水平に固定、刃を受け止める。
「往生せい!」
俺たちの間にスライディングで割り込んだ茶倉が、ラグビーのタックルよろしく生首をかっさらい、額の真ん中にプリクラを貼り付ける。
次の瞬間、首と別れた胴体の中から濛々と黒い煙が噴き出す。
「かび?」
「息止めんかて死なん」
俺の前にきぐるみが突っ伏し、実にあっけなく無力化された。黒い煙が霧散するのを見届け、鉄パイプを下ろす俺に茶倉が告げる。
「お疲れさん」
「意味わかんね、なんでプリクラで成仏すんの」
「本人に聞け」
茶倉の発言に面食らうも束の間、観覧車の支柱の後ろから観念しきった様子で女が出てきた。
宛乃原さんだ。
「バレちゃいましたか」
「尾行しとったな」
「申し訳ありません」
宛乃原さんが素直に頭を下げ、悲哀と諦観を主成分とする、複雑な色を湛えた瞳でバニラちゃんの生首を見下ろす。
「話、聞かせてくれますか」
俺の申し出を了承し、皆でメリーゴーランドに移動する。レプリカの白馬に横座りした宛乃原さんは、一気に老け込んだように見えた。
「殺人うさぎの中の人は知り合いなんすか?最初から正体知ってたんならどうして俺たちに」
「過去のあやまちと向き合うのが怖かったんです」
唇を噛んで俯き、金色の塗料がくすんであちこち剥げたポールをなでる。
「彼の名前は山田俊哉くん、バニラちゃんのスーツアクターでした。ご存じでしょうか、きぐるみの中ってとっても暑くて辛いんですよ。すごく蒸れて汗をかくし、夏場はこまめに水分をとらないと、熱中症で倒れることも珍しくありません。だけど俊哉くんは一言も弱音をこぼさず、お客さんを笑顔にできるこの仕事が好きだって、みんなが思い出作りに来る宛乃原遊園地が好きだって言ってくれたんです。そんな所に惹かれました」
過去形。
「俊哉くんが好意を持ってくれてるのには気付いてました。一目惚れに近かったそうです。でも……当時の私は男性と交際した経験がなくて、正直彼のアプローチに戸惑いました」
「両想いだったのに?」
「ぐいぐい来られると女は引くんや。特に処女は」
最後は辛うじて聞きとれる程度の小声だった。
宛乃原さんが苦笑する。
「父はとても厳しい人で、嫁入り前の娘の交際に反対していました。実際二・三歳しか違わないとはいえ、当時は私もまだ高校生でしたし、相手が従業員で大学生っていうのもネックでした」
しかし俊哉さんは諦めず食い下がり、根負けした宛乃原さんは条件を出す。
「二十五年前の十月、宛乃原遊園地をまるごと使ったイベントが行われました。ボーパルバニーハントです」
茶倉がスーツのポケットから一枚のビラを出し、かぼちゃの馬車に並んで腰掛けた俺に回す。
机の引き出しに保管されてたせいか思いのほか傷んでねえビラには、オレンジと黒のハロウィンカラーでお知らせが載っていた。
バニラちゃんに捕まらず見事逃げきった来場者には、賞品として割引券が贈呈されるらしい。
「俊哉さんも出たんですか」
「チェーンソーの刃は安全なものに取り換えてありました。血糊はフェイクでエンジンもかかりません」
「斧にしなかったのは」
「ハンデの意味もあったんだと思います。あるいは殺人鬼ジェイソンを意識したんでしょうか」
「ジェイソンがチェーンソー使うのは後付けのイメージで映画じゃ斧しか使てへん、勉強不足やな」
余計な一言を投下しまくる茶倉の足を踏む。宛乃原さんさんがほんのり頬を染め咳払い。
「進めてください」
「……十月三十一日の閉園後、こっそり居残って追いかけっこしたんです。日付が変わるまでに私を捕まえたら俊哉くんの勝ち、望み通り付き合ってあげる。その代わり私が逃げきったら二度と付き纏わないで、って」
トリックオアトリート。
お菓子かいたずらか、恋の成就か永遠の別れか。
俊哉さんは宛乃原さんが持ちかけた賭けにのり、閉園後の遊園地を走り回った。きぐるみとチェーンソーはハンデ、じゃないと彼女に勝ち目がない。
「まさかあんな事になるなんて」
不幸な事故だった。
観覧車乗り場の段差に躓いた拍子に被り物がすっぽぬけ、俊哉さんが頭を強打したのだ。
俊哉さんが亡くなる瞬間に居合わせた宛乃原さんはパニックに陥り、血相変えて事務所に駆け戻るや父親に電話した。
先に救急車か警察を呼んでいれば、この後の展開は違ったかもしれない。
「車で駆け付けた父に手伝ってもらい、俊哉くんの遺体をトランクに詰めました。帰り道で転んだと見せかけ、外に放置したんです」
もし俊哉さんに息があれば、迷わず救急車を呼んでいたと信じたい。
現実はそうはならず、俊哉さんは打ち所が悪く即死し、園長とその娘は遺体を敷地外に捨てたのである。
「どうしてそんな……内緒で居残った末の事故なら労災は下りねーだろうけど、汗水たらして尽くしてきた従業員の死体をうっちゃるなんて」
「しかたなかったんです、宛乃原遊園地は父の全てだったから……園長の娘と従業員が夜の遊園地で追いかけっこした挙句事故が起きたなんて、世間様にばれたら営業を続けられないじゃないですか。私だってホントはいやだった、くだらない嘘なんか吐きたくなかった!俊哉くんの事だって嫌いじゃなかったのにお父さんが許してくれないから、園長の娘が従業員と付き合うなんて恥ずかしいって言うから!」
頼む緑、お前さえ黙っていれば丸くおさまる。そもそもお前と山田が勝手なまねをしたのが悪い、自業自得だ。
父さんはお前のためを思って言ってるんだ、夜の遊園地で若い男と遊んでたのがばれたら将来に傷が付くぞ。大丈夫、遊園地付近の道は街灯が少ないし夜ともなれば人や車も通らない。山田はバス通勤だったから、バス停近くで転んだことにすればいい。
そうして山田俊哉の死は本人の不注意による転倒事故として処理され、あっというまに忘れ去られた。
「考えたな。事故物件っちゅーんは部屋で変死があった場合にかぎる、面した通りは対象外。バイト帰りに転んで死んだらそれはただのツイてへん男の話」
「事故があった事と死体さえ隠しちまえば、体裁はたもてんのか」
「けどまあ、幽霊にその理屈は通じんな。連中は原則自分が死んだ所に出るさかいに」
結果俊哉さんは地縛霊と化し、閉園後も二十五年の永きに亘り、縛り付けられる羽目になった。
「バニラちゃんは俊哉さんが動かしてたのか」
「備品庫にきぐるみないからおかしいて思た」
「まだ追いかけっこを続けてるんですね」
宛乃原さんが深々うなだれる。
「遊園地が潰れるまで、そのあとは父が死ぬまで待ちました。父の他界を待って自首しようと考えたんです」
「ジブンが殺したんちゃうやろ、死体遺棄の罪に問うにせよ未成年で従犯じゃしょうもない」
「彼のご遺族に顔向けできません。もとはといえば私が始めた賭け、きちんと謝罪して賠償金をお支払いするべきだったのに」
早く楽になりたい。
自分だけ幸せになるのは許されない。
過去のあやまちを清算したい。
そんな矢先に例の動画が出回り、宛乃原さんは重大な決断を下す。
「事故の真実が明るみに出ても現行法で裁かれないのはわかってます。私を罰することができるのは俊哉くんだけ……」
二十五年の沈黙が強いた罪の意識に耐えかねた宛乃原さんは、俺たちが真相に辿り着くのを待ち、俊哉さんの霊と引き合わせるくれるように願い出る心算だった。
「オフィスをお訪ねした時点で言ってしまおうか迷いました。でもどうしても言えなかった。真実を告白するには二十五年の時間はあまりにも長すぎて、失いたくないものが増えてしまった」
スマホの待ち受けには高校生位の女の子が映っていた。若い頃の宛乃原さんによく似ている。
「娘のナナです。彼氏と初遊園地デートしたとかで、たっぷりのろけ話を聞かされました」
それが最後の一押しとなり、TSSのドアを叩いたのか。
「どうする?」
俺の質問には答えず腰を浮かし、茶倉がどこかへ行く。宛乃原さんと目配せを交わして続けば、再び観覧車の前に来た。
「なんで俊哉の霊は七番ゴンドラにおった?理由があるはずや」
「てっぺんで見晴らしいいから」
「お前に聞いてへん」
「七……私の一番好きな数字」
宛乃原さんが大きく目を見開く。
「俊哉くんにどの数が一番好きか聞かれた事があります。私、たしか七番って言いました。生まれ月、ラッキーセブン。ちょうど観覧車の下で、ふたり並んで座って。あの日はハロウィンでした」
『付き合えなんて無理強いしない。俺が勝ったら一回だけ、一緒に観覧車に乗ってほしい』
うろこ雲を敷き詰めた秋空に映える観覧車、てっぺんに位置する七番ゴンドラの窓辺が青年の姿を透かす。
「俊哉さんは宛乃原さんを憎んでるんじゃねえ。まだ好きだから見守ってたいんだ」
もうすこしで手が届いた、大好きな君を捕まえられた、きぐるみ越しに抱き締められた。
窓辺に立った青年が寂しげに微笑み、遠く隔てられた片割れに手を振る。
宛乃原さんが純情な少女に戻って指を曲げ、はにかむように泣き笑いし、かすかに振り返す。
じんわりこみ上げる熱いものを持て余し、無言で立ち去る茶倉に並ぶ。
「大丈夫かな」
「きぐるみん中には邪念がたまっとったさかいに、キレイに散らしたから問題ない。想いを遂げられんかった無念と未練、信頼しとった園長にゴミ扱いされた悔しさ、こぞって遊園地荒らし回るアホどもへの怒り。それが悪霊化のトリガーになった」
「|ど《・》|も《・》って、俺はホッカイロポイ捨て野郎のとばっちり食っただけなんすけど」
「三秒以内に回収せなな」
「きぐるみが自立歩行するとか信じらんねー」
「日本には反物の付喪神かておる、人間の血と汗と涙とその他色々な汁がしみたきぐるみに魂宿ってもおかしゅうない。付け加えれば人がたのもんには念が宿りやすい、人形信仰は世界各地に広がっとる」
「うさぎじゃん」
「首から下はほぼほぼ人やろ」
「半分神様だから観覧車にワープできたってか、ご都合主義な設定だなオイ」
「それか観覧車の骨組みよじのぼって扉こじ開けたか。どうせ中は空っぽ、落ちた所で死なへんし首が飛んでもぴんぴんしとる」
「さっさと祓わなかったのは」
「依頼人が見てるとこでやらな意味ないやん」
「先に言えよ、俺がどんだけ」
「お芝居は苦手やろ」
おっしゃる通りぐうのねもでねえ。茶倉がなげやりに付け足す。
「アレは霊体の残りかすみたいなもんや。ほっといても悪さはできんしじき消える」
「上澄みって言え」
別れを済ませる時間を二人にもうけてやった茶倉は、本当は優しいヤツだ。
ちらっと振り返りゃ、宛乃原さんはまだ観覧車の下に立ち尽くしていた。
二十五年越しの想いが報われ、恋人とひとときの逢瀬を楽しんでるのだ。
そしてまた、愛する人がいる日常に帰っていく。
「……宛乃原さん、俊哉さんの遺族にホントの事話すかな」
「さあな」
たぶん話す気がした。根は善良な人だ、正式に謝罪せずには人生を歩めない。
「親父さんが死体遺棄までして守ろうとした遊園地も、事故から一年もたず潰れちまうんだもんな」
「守るもん間違えたんやろ」
「諸行無常」
またしても風が吹き抜け、観覧車のゴンドラがかすかに揺れる。メリーゴーランドと海賊船、ティーカップに回転ブランコも軋む。
虚を突かれた。
「電気、来てないんだよな」
「そうきいた」
アトラクションを縁取るネオンが長い眠りから覚めたように瞬き、メッキの剥げた木馬が不規則に上下動しながら緩慢に廻り始め、回転ブランコのゴンドラがゆっくり上昇していく。
ティーカップが優雅に円舞し、海賊船がダイナミックに揺れ、空中に組まれたレールの上をジェットコースターが駆け抜けていく。
「俊哉さんは浄化されたんだよな、なのに何で勝手に動くんだよポルターガイスト的な超常現象かカップや木馬も付喪神化しちまったの、レールをぐるぐる走ってんのはジェットコースターの幽霊!?」
しがみ付いて怯える俺に対し、茶倉は毒気をぬかれた様子で回転ブランコの残像が描く放射線を見詰めていた。
木馬が前脚を蹴立て嘶く。
回転ブランコの屋根が右に左に傾いで、宙に浮遊するゴンドラが長大な弧を描く。
酩酊。
高揚。
在りし日の残像と残響がめまぐるしくさんざめき、錆び付いたアトラクションが最も愛されていた頃の輝きを取り戻す。
何分何秒続いたかわからない。
終わってみりゃあっけない白昼夢の余韻に浸り、しばらく呆然自失する。
茶倉が肩を竦めた。
「気にすな、ハロウィン限定の粋なサプライズや」
「幽霊式エクトプラズマ発電が?」
俺の頭ん中じゃおばけが奴隷の如く鞭打たれ、ぎっこんばこんレバーを回している。もちろん監督は茶倉で、俺は何故かおばけの列に加わり倍ぶたれていた。
「回転ブランコ」
やべっ、ばれた?
「なに驚いとんねん、自分が振ったネタ忘れたんかい」
「ああ、好きなアトラクションな。回転ブランコかあ~へぇ~」
「きしょ。ニヤニヤすな」
「可愛いじゃん」
「小さい頃二・三回だけ乗った。びゅんびゅん風切って回るんが気持ちよかった」
「一人で乗ったの」
「最初の一回はおとんおかんと。二回目以降は俺だけ。前来るたんびおとんがカメラのシャッター切って、おかんがひらひら手ぇ振って、恥ずかしゅうてかなわんかった」
それは多分、茶倉にとって数少ない幸せな思い出。まだ両親が健在だった頃の記憶。
「むかしは貧乏だったさかい、あんま行けんかった」
「そっか」
回転ブランコに興じるガキの頃の茶倉を想像して口元が緩んだのは、某海外ドラマで聞きかじった諺を思い出したから。
「メリーゴーランドに乗った子供はなぜ一回りするたび親に手を振るのか、なぜ親は手を振り返すのか。それがわかんなきゃ人間を理解できないらしいぜ」
「作家の名言借りパクしてドヤんな」
「今はUSJでもディズニーでも行き放題だな」
「おごらんよ」
「ケチ」
「絶叫マシーン相席は唾とんできそうやし」
憎まれ口を叩く相方にへそを曲げ、余ったホッカイロを投げ渡す。
「回転木馬の二ケツは?」
数回揉んだホッカイロを背広のポッケに移した茶倉が、不敵な笑みを刻んで妥協案を示す。
「俺が前な」
以来、死ノ原遊園地にボーパルバニーは現れてない。
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