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第17話 モクレンと僕と、もう一人

「ルキー、ご飯だよー」  大きな声で名前を呼んだのに返事がないってことは、また本に夢中になっているに違いない。困った子だなぁと思いながら本の部屋をのぞいたらモクレンもいた。二人して何か話しているみたいだけど、難しすぎて僕にはさっぱりわからない。 「モクレン、ルキ、ご飯だよ」 「あぁ、ごめん」  本を置いたモクレンが僕のほっぺたにチュッとした。そうしたら「ぼくも」とルキが手を伸ばす。「かわいいなぁ」って思いながら屈むと、反対側のほっぺたにチュッとしてくれた。 「ご飯食べよう」 「食べたら、散歩にでも行こうか」  モクレンの言葉に「そうだね」と頷く。今日は天気がいいしポカポカだから、散歩をしたら気持ちよさそうだ。 (どこがいいかなぁ。森も楽しいけど、ポカポカなら丘の上も気持ちよさそうだなぁ)  そんなことを考えていたら、ルキが本をギュッと抱きしめたのが見えた。 「本を読むほうがいい」 「だーめ。ルキは本ばかりでしょ? たまには外に出ないとヒョロヒョロになっちゃうよ?」 「ぼくは植物じゃないから、光合成は必要ないよ」 「難しいことを言っても、だーめ。ご飯を食べたら散歩します!」  困ったような顔をしているルキの頭を撫でてから、持っていた本を優しく没収した。  真っ白な卵から産まれたのは、頭の両側に銀色の角がある小さくてかわいい子だった。角持ちなのはきっと僕の影響で、真っ黒な髪の毛と目はモクレンそっくりだった。  生まれたときは僕の両手に体が載るくらい小さかったのに、一年と少しで歩き回れるくらい大きく育った。それどころか神様の本も読めるし、いまみたいにおしゃべりだってできる。  角持ちが歩けるようになるのは生まれて二年くらいしてからだから、ルキはとても成長が早い。背丈はまだ僕のお腹くらいだけど、あっという間に大きくなるような気がする。 (これも神様の種だからかなぁ)  普通の角持ちや羽持ちじゃこうはならないから、きっとそうに違いない。やっぱり神様ってすごい。 「母さん、変なこと考えてる」 「変なことなんて考えてないよ。ルキは大きくなるのが早いなぁって思っただけだよ?」 「違う。父さんの種のこと考えてた」 「ルキフェル!」  何を言い出すのかと思って慌てて「めっ!」と叱った。生まれて一年と少ししか経っていないのに、ルキは難しい言葉も口にする。成体になるまで種なんてわからないはずなのに、それも知っていた。 「ルキフェル、そういうことは言わないの」  種って言葉だけでお尻がムズムズする。そんな状態を子どもに知られるのはさすがに恥ずかしい。それにルキにはまだ早すぎる内容だ。そう思って「めっ」と叱ったら、かわいい眉毛がしゅんとした。 「ルキ、わかった?」 「わかった」  ルキにルキフェルって名前をつけたのはモクレンだ。僕も気に入っているし、ルキって呼び方も気に入っている。それなのに、ルキ自身はそうでもないらしい。 「父さん、僕の名前がルキフェルなんて、やっぱりどうかと思うんだけど」  ほら、また同じことを言い出した。どうしてそんなことを思うのかわからないし、何が気に入らないんだろう。 「せっかく神様だと思われているんだし、いいかなぁと思ったんだけどなぁ」  モクレンの答えもいつも一緒だ。“ルキフェル”っていうのは神様の本にも載っている有名な名前だって教えてもらった。僕ならそんな有名な名前が自分の名前なんてすごいなぁと思うだけなんだけど、ルキはいつも少しだけ困ったような顔になる。 「ルキは、ルキフェルって名前が好きじゃない?」  思わず聞いてしまった。 「そんなことはないけど」 「僕は好きだけどなぁ」 「……ぼくも好き」  好きって言ったルキの顔が赤くなる。こういう顔をすると子どもらしくて、やっぱりかわいい。 「さぁ、さっさとご飯を食べて散歩に行こう!」  今日は僕が朝ご飯を作った。といっても、お世話係のアルが出してくれたパンに、やっぱりアルが出してくれた野菜や肉を挟んだだけのサンドイッチだ。それなのにモクレンもルキも「おいしいよ」ってニコニコしてくれる。それが嬉しくて、僕は何度もサンドイッチを作っている。  サンドイッチを三人で食べたあと、ルキはモクレンに手伝ってもらいながら着替えた。服は自分で着られるけど、角に巻きついた髪の毛は一人ではどうにもできない。それをモクレンが綺麗にしてくれるんだけど、僕も毎朝同じことをしてもらっている。 (モクレンとルキが並んでいるのもかわいいんだよなぁ)  二人をニコニコ見ながら、頑丈で大きな水筒に熱々のお茶を入れた。気がついたら、水筒を持って行くのが僕たちの散歩になっていた。  塔の近くにある森の前を通り過ぎて、柔らかい草が広がる小高い丘に向かった。そこは僕たちのお気に入りの場所で、海を見ながらお茶を飲むと最高に気持ちがいい。 「あ! 海の中に馬がいる」  草の上に布を敷いてお茶を飲んでいたら、陸に近い海の中に馬の頭がいくつも見えた。海を泳ぐ馬なんて初めて見た。 「あれはケルピーかな」 「けるぴー?」 「父さん、トリトンかもしれないよ」 「とりとん?」  モクレンが言った名前も、ルキが言った名前も知らない。 「なるほど、集合体としてのトリトンか。たしかに馬のような姿で描かれていたっけ」 「ケルピーも馬の姿だって書いてある本が多いけど」 「うーん、専門外だからわからないけど、でも、どっちかだろうね」  二人の話は難しくてよくわからない。だけど神様の本に海を泳ぐ馬のことが書いてあるってことはわかった。 「神様の本って、何でも書いてあるんだね」  それだけたくさんのことが書いてあるなら、ルキが夢中になるのもわかる気がする。 「そういえばこの前見た、なんだっけ。獣の顔にくちばしがあって、足が鳥みたいなの」 「母さん、キキーモラだよ」 「そう、それ。それも神様の本に書いてあったんだよね? 僕は初めて見たけど、神様の本には何でも書いてあるんだなぁ」 「まるでここが神様の本の中身みたいだ」って笑ったら、モクレンもルキも少しだけ変な顔になった。 「どうしたの? 僕、また変なこと言った?」 「いいや、まそらはかわいいなぁって思っただけだよ」 「ぼくもかわいいと思う」 「ちょっと、ルキまでかわいいとか言わないでよ。さすがに恥ずかしいから」  お母さんなのに、子どもにまでかわいいって言われるのは恥ずかしい。 「かわいいものはかわいいんだから、正直に言うのはいいことだ。それに、まそらのかわいさがわかるなんてさすがルキフェルだと思うよ」 「だって、母さんはかわいいよ?」 「うんうん、たしかに」  二人して頷き合っているのを見ると、なんだかモクレンが二人になったような気がしてきた。ルキは顔もモクレンにそっくりだし、角がなかったらモクレンを子どもにしたようにしか見えない。 (きっとモクレンくらい大きくなるんだろうなぁ)  僕みたいに小さすぎるよりは絶対にいい。そこは全力でモクレンに似てほしいと思っている。 (あ、でも大きくなったら一緒には寝られなくなるのか)  いまはモクレンと僕と三人並んで寝ている。どんなに動き回っても落ちないくらい大きなベッドだけど、さすがにモクレンが二人になったら窮屈だ。  ルキは一年と少しでこんなに大きくなった。ということはこれからどんどん大きくなっていく。あっという間にモクレンくらいになってしまうに違いない。 「うーん、それならルキ用の大きなベッドを用意しないとなぁ」  そうつぶやいたら、隣に座っていたルキが腕をクイクイ引っ張った。 「母さん、ぼく、そんなにすぐには大きくならないよ」 「一年ちょっとでこんなに大きくなったんだから、すぐかもしれないよ?」  それにルキは神様の種だから普通の角持ちとは違うはずだ。やっぱりいまのうちにベッドを用意してあげよう。どんなベッドがいいかなと考えていた僕は、いいものがあったことを思い出した。 「そうだ! モクレンが昔寝てたっていう、あの筒みたいなベッドはどう?」  そう言ったら、二人ともピタッと動きが止まった。 「まそら、あれは駄目だ。何があっても絶対にあれに触っちゃ駄目だよ?」  モクレンが怖い顔をしている。つまり、あれは触ったらいけない神様の道具ってことだ。僕は「わかった」ってしっかり頷いた。  神様の塔には、僕が触ったらいけない神様専用の道具がいくつもある。その中の一つが、いま僕が言った筒の形をしたベッドだってことだ。見つけたとき、変な形をしたベッドだなと思った。ゴロゴロできないくらい狭いうえに蓋までついている。  モクレンは、その筒のベッドで百五十年も寝ていたらしい。他にもモクレンみたいに筒で寝ていた神様が五十人くらいいたはずだけど、目が覚めたときにはモクレンしかいなかった。  どうして他の神様がいなかったのか、モクレンもわからないって話していた。「状況からして、セッケイジョウのみすでこーるどすりーぷにジサが生まれて、俺だけ目覚めるのが遅かったんじゃないかな」ってことらしいけど、僕にはさっぱりわからなかった。 「ぼく、自分でベッド作れるから大丈夫だよ」 「そっか」  笑顔も背丈もまだ子どもだけど、ルキはまるでモクレンみたいだ。神様の本も読めるしモクレンと難しい話もできる。モクレンのようにお世話係のアルも上手に使えるみたいだから、僕が心配する必要はないのかもしれない。  やっぱり神様の種はすごいなぁなんて思いながらルキの頭を撫でていたら、「母さん」って黒い目が僕をじっと見た。 「なぁに?」 「ベッドよりも、ぼくは兄弟がほしい」 「兄弟?」 「うん。たぶん母さんはもう、次の卵が産めると思うんだ」 「卵?」  ルキの頭を撫でていた手で、今度は自分のお腹を撫でる。 「それに父さんは確実に種付けできるし、母さんも準備が整ってる。絶対に産めるよ」 「ルキフェル。子どもが種付けとか言うもんじゃない」  モクレンが「こら」って言うと、ルキが「でも」と言い返した。 「父さんは失敗しないでしょ? それに母さんも分泌液がたくさん出てるみたいだし、絶対に卵が産めるよ」 「え? 分泌液って」 「母さんからいい匂いがするから、すぐにわかった」  真っ黒な目で僕をまっすぐに見上げながら、ルキがそんなことを言った。  卵を産むってことはモクレンに種をもらうってことだ。それはお尻の奥にモクレンの雄の証を入れて、卵の部屋でブチュブチュするってことでもある。 (……どうしよう、お尻がキュンキュンしてきた)  ルキが生まれてから、僕はモクレンとえっちなことをほとんどしていない。したとしても、ルキが寝ているときに雄の証を触りっこしたり、ペロペロ舐めあったりするくらいだ。  それなのに、僕の体はえっちなことをすぐに思い出した。雄の証が入ってくるのを思い出して、お尻からヌルヌルがトポッと漏れる。 「ほら、また出た」 「ルキフェル」 「だって父さん」 「きみはもう少し情緒を学びなさい」 「……はい」  ジョウチョが何かはわからないけど、ルキがしょんぼりしているってことはきっと大事なことに違いない。でも、ルキはまだ子どもだ。難しいことは少しずつわかっていけばいい。そう思って「ルキはいい子だよ」と抱きしめながらモクレンを見上げた。 「僕、ルキに兄弟をあげたい。だから、僕に種をたっぷりちょうだい」  そう言ったら、今度は僕が「こら、まそら」ってモクレンに叱られてしまった。

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