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第7話 骨格
「――本谷 、本谷」
凛々しく厚みのある声が、会議室に静かに響き渡った。
「……っ!」
精悍 な眼差しで見つめられ、本谷は驚いた。
「どうしたんだ?ぼんやりして。もう移動していいぞ。大丈夫か?」
「あ、は、はいっ!」
本谷を心配そうに見つめたのは、上司の古河 リーダーだった。
午前の会議が終わって、11時。周りにいたスタッフは次々と退席し始めており、気がつくと自分だけが取り残されていた。
「すみません、ちょっと考え事をしてしまって」
「ん?なんだ?仕事のことか?悩みがあるなら聞く……と言いたい所だが、残念ながら時間が無いな。次は確か現場だったな。昼まで集中だぞ」
喝 を入れられ、本谷は席を立った。
新人時代から目をかけてもらい、いつも可愛がってくれる上司。
なんとなく仕事に身が入らない今の自分に反省し、足早に監視へ向かった。
展示会場は、今日も穏やかな時間がながれていた。
これから約2時間は、監視業務だ。
『監視――』
それは淡々と、刻々とした時間をやり過ごす仕事。
もちろん事故の無いよう、細心の注意を常に払っている。何か起きてからでは取り返しがつかない、それはいつも胸に刻んでいる。
ただ、人間誰しも無機質な時間は退屈である。できることは限られるが、監視員の数だけ、その時間の過ごし方は様々だろう。
なんとなく空想していたり、どさくさに紛れて作品を鑑賞していたり……。
本谷の場合は、めっぽう人々の観察を楽しんでいた。
もちろん、お客様を不快にさせるようなことがあってはならないので、決して目を合わせず、自然を装う。
無関心なスタッフもいるだろうが、本谷にとっては、来場者の何気ない反応や表情、服装なんかも見ていて飽きない。
そしてとりわけ、人の『骨格』を眺めるのが好きだった。
本谷は実感していた。
自分は物心がついた時から身体のラインが美しい人間に、男女関係なくどうしても目がいってしまうのだ。
自分としては、それも自然界に存在する一つのアートで、造形美に心酔しているのだと思いたい。しかし、おそらく単なる骨格フェチである。
特に細く華奢な骨格に惹かれてしまうようで、仕事でもプライベートでも、人を見ずにはいられない。
バランスの良い、好みの骨格を見つけてしまうと、つい我を忘れて鑑賞に浸る自分がいる。
まるで作品を愛でるように、守るように、自分のものにしたくなってしまうのだ。
そうこう考えているうちに、あっという間に昼休憩の時間になっていた。交代者に引き継ぎを済ませ、展示会場を後にした。
休憩所へと向かう途中、本谷はぼんやりと思い出していた。
『――琥珀 』
あの少年は、確かそう呼ばれていた。
琥珀……琥珀……。
少し珍しい、美しい名前。実際の少年も名前に負けず美しく、まさに自分好みの骨格だった。
少年特有の、あの薄い身体。細い手足……。
少年に想いを馳せ始めたその時、バックヤードで作業をしていたスタッフの声が轟いた。
「も、本谷さん!!危ないっ!」
「本谷ッ!」
「……!?」
「キャー!!」
ガラガラッ、ドサッ――!
突然目の前に資材の山が倒れ込み、本谷の視界が奪われた。
幸いそこまでの重みはなく、慌てた周りのスタッフが、直ぐに取り払ってくれた。
「おい本谷!大丈夫か!!」
見上げた先に、古河リーダーがいた。
女性スタッフ数名と倉庫の整理をしていたらしい。
「……っ!本谷さん、すみません!!やだ、どうしよう!!」
「大変!!起き上がれますか?!」
涙目で慌てる複数の女性スタッフが、本谷の身体を支えた。そのあまりの動揺に申し訳なく思い、気丈に立ち上がってみせる。
「ハイ!全然だいじょう……あれ?」
資材の角で切ってしまったようで、スーツのズボンの左膝が破れ、皮膚から血が垂れた。
「や、やーん!!大変!!直ぐに手当てを!」
女性スタッフ達の表情が、みるみる青ざめる。
「だ、大丈夫ですよ!そんな、皆さん驚かないでくださいよ。ホラ、動けます!痛いけど!」
足を曲げ伸ばししてみせる本谷の笑顔を他所に、ズボンの赤いシミはどんどん広がっていく。
女性スタッフ達から度々悲鳴が漏れ、思わず古河リーダーが告げた。
「本谷、念のため今から病院へ行け。お前が抜けた穴は埋めておくから」
「た、大したことないですよ?……でも、ハイ……分かりました」
古河リーダーの真っ直ぐな眼差しに逆らえず、本谷は病院に向かうことになった。
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