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第16話 詮索

「お、おい!本谷は事務所で座ってていいって言ったじゃないか!」 本谷嗣巳(もとや つぐみ)は、慌てた様子で声量を押し殺す古河(ふるかわ)リーダーに耳打ちをされた。 「大丈夫ですって!行ってきます!」 上司の心配を他所(よそ)に、軽快に歩き出す。 本谷は写真展の会場内で、一際笑顔を(きら)めかせ、監視に就いた。 「やれやれ……。足を怪我しとるというのに、なんであんなに眩しいんだ」 先日、病院帰りに琥珀を見かけて以来、本谷の日々は輝いていた。 不注意で負ってしまった怪我の痛みなど、最早消えたに等しい。むしろこの怪我のおかげで運命的な再会を果たしたのだ。 何はともあれ、本谷は格段に元気になっていた。 一目惚れした少年が、まさか自分の割と近い場所で活動しているらしい事実。これだけで、身体の内側から生気が(みなぎ)る。 彼もきっと、この街の気温を感じ、この街の景色を見ているんだな。 あわよくば、また偶然出会えるかもしれない。 今後行う様々な展示を、見に来てくれるかもしれない。 もしかしたら、話すことだって叶うかも……。 「って、だめだ、飛躍しすぎた」 仕事中にも関わらず、まるで恋する乙女のような妄想に(おちい)る自分に焦りながら、姿勢を正す。 「お客様、何かお困りですか?順路はこちらでございます」 必要と見れば、なめらかに声を掛ける。 自分は今、監視中だ。 お客様の動向を見守り、予測し、時に導く。 「ご親切にありがとうね」 お礼を言われ、深々と頭を下げた。 自分たちはただその場に居るだけではなく、お客様とアートを繋ぎ、お客様が求める最上の鑑賞時間をアシストする。それがやりがいだ。 とはいえ、普段からサービス精神は備えていたつもりであるが、いつにも増して接客が楽しい。 目に映るものすべてに柔らかな感情が湧き上がり、寛大になっている自分がいる。 多幸感が己に与える影響は、こんなにも大きいのか。 これがいわゆる『心の余裕』というものか。 そんなことを考えていた。 ――よし。 仕事を終えた本谷には、寄るところがあった。 そう、あのビルだ。 琥珀の後を追って、偶然見つけた歓楽街の雑居ビル。 実はあれから数日、休日にカフェに行く(てい)で出掛け、遠巻きにビルを眺めてみた。 だが、昼間は人の出入りがほぼ無く、配達業者が訪れるくらいで何の収穫も得られなかった。 そこでついに、夕方からなんとなく付近を通り過ぎてみたり、近くに滞在してみたりすることが日課になっていた。 (わ、我ながら、ストーカー予備軍だよな) 28歳、一人暮らし。ここ数年間彼女無し。 何の制約もない男の自由な毎日だが、おそらく大抵の場合、女性の癒しが恋しい年頃だろう。 飲み会で女性を口説いたり、進んで婚活したりしていてもおかしくない。 そんな中で自分はというと、遥かに年下であろう少年にひたすら夢中になっている。 愚かなことは分かっているが、執着してしまう自分の衝動がどうやっても止められない。 本谷は、人々で賑わう繁華街の中心部を過ぎて、ホテル街を進んだ。 飲食店とキャバクラ、ホストクラブなどが数多く点在し、風俗店も軒を連ねるエリアが顔を出す。 正にちょうど、このあたり一帯が輝きを放つ時間だった。 歩道には、会社帰りのサラリーマンや、派手な身なりの若者らの姿が目立つ。 目当てのビルは、すぐそこだった。 幸運にもビルの向かい側には、1階にコンビニの入った建物がある。 翌日が休みの日は、(もっぱ)らこのコンビニの前で、人を待つフリをして時間を過ごしていた。 場所が場所なだけに治安が悪い気もするが、181センチの長身のお陰か、これまで悪い(やから)に絡まれたことは一度も無い。 しかも、一応職場が近いので念のため掛けているサングラスが、多分怪しいオーラを放っているのだろう。一般人にすら距離を取られている気がする。 上から下まで風俗店が入ったそのビルを、手にしたスマートフォンと交互に眺めた。 本谷は、元々アートを取り扱う仕事柄、対象物の調査には余念がない。 この調べ癖がつい出てしまい、ビルに入った店舗について、一通りのことは調べ上げてしまった。 地下、情報無し。1階、JKリフレ。2階、キャンパブ。3階〜6階、ヘルス。7階、情報無し。8階、メンズエステ。9階、オフィス。全て同グループが管理。 見事に風俗店のオンパレードだが、このようなビルが普通に街に溶け込んでいることがすごい。 本谷自身、これまでほとんどこうした店とは縁が無かった。 興味も無かったが特に偏見も無く、いざ調べてみると店のコンセプトも様々で、ビジネスとしてあの手この手で男を引き込もうとする工夫に感心すらしてしまった。 実際に眺めている間、ビルへと男性客がひっきりなしに吸い込まれ、そして出てきた。 展示会で少年を取り囲んでいた仲間達の様子から、少年が何らかの労働をしているのは事実だと思う。 いずれかの店舗の、ボーイか何かだろうかと考えていた。 ――取り止めもない時間が流れる。 次第に夜も更けていき、思考がぼんやりとしてきた。 (はぁ、長居しすぎて腹が減ったな。もう22時半か……) 本谷は時計を眺め、深呼吸をした。 (……帰ろう) 少年は見た目も幼かったし、表立って客目に付く場所には置かないだろう。 だから自分が客としてあのビルを利用した所で、必ずしも会えるとは限らない。 それに今は、女の子と楽しみたいわけじゃない。 きっと少年は、ボーイだとしても裏方のような手伝いでもさせられているのだろう。 本谷の結論に、答えをくれる人などいない。 乾いた空気を身に(まと)い、ネオンの光を横目にビルを離れた。

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