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第25話 思慕

「くっそー。こんなこと初めてだぜ。まさかのお預けかよぉ!」 「せっかく受付まで同行してもらったのに、すみません」 ぷりぷりと不満を垂れる小さな男の横で、戸惑いながらにこりと微笑(ほほえ)む。 晴れの日が続いた6月の初旬。 日中の暑さとは裏腹に少し気温の落ちた夕暮れ時の歓楽街は、人の流れが活発だった。 「有名店ってのは知ってたけどさ、適当に行って入れるモンだと思ってたよねー!やっぱり需要があるんだな。ま、予約とれただけラッキーか!」 本谷嗣巳(もとや つぐみ)は、最近親しくなった西園寺恵(さいおんじ めぐむ)と共に、例の雑居ビルの9階を後にした。 恵に聞いた男娼風俗店、いわゆるゲイ風俗は確かに存在していた。 一見お洒落なオフィスラウンジで係員に通行証をかざすと、VIPのみが入れる会員制サロンの個室待合へと案内される。 この通行証はグループへの投資の見返りに発行され、この場所以外に、会員制クラブやショーなどにも客として出入り可能になるらしい。 恵と本谷は待合に通された所で、店員らしき男性から丁重(ていちょう)に謝罪の意を述べられた。 なんでも全キャストのスケジュールが2ヶ月先までいっぱいで、それ以降の予約を押さえて欲しいとのことだった。 『2ヶ月先ぃ?そんなに待てないよー!遊ぶのはもとやん1人でいいんだからさぁ、なんとかなんねーのぉ?!』 『そうですね、保証はできかねますが、西園寺様のお願いを聞かないわけには……。キャンセルが発生した場合には、最優先でご案内致します』 『キャンセル待ちぃ?!そんな悠長(ゆうちょう)に待ってられないんだよもとやんは〜!耐えられなくて死んじゃうよぉ〜!ねぇねぇ何とかしてよぉ〜〜!!』 今思い出しても恥ずかしい。 恵が本谷のためにと駄々を()ね、もうすぐデビューの新人が加われば増員の見込みがあるからと、3週間先の予約を無理矢理もぎ取った。 「めーたん、私はめーたんのことを知れば知るほど恐縮なのですが……」 「なんか言ったぁ?ハァ〜3週間かぁ、まぁ2ヶ月待つより良かったなぁ!」 隣りに並ぶ同い年の男は、実は自分が仕事で散々お世話になっている、現代美術作家の孫だと判明したばかり。 しかも自らを風俗王と自賛(じさん)し、VIP専用エリアで優遇まで受けている。 「あの……投資って、一体どれくらいするものなんですか?」 「ん?金額か?まあ大体、海外製の高級車が数台買えるくらいかな。僕はモノを増やすのは好きじゃないから、サービスを買ってるわけ」 (こ、高級車……!!しかも数台?!……なんかもう怖い……!!) 「予定も無くなったし、もとやん今日この後時間あるだろ?また行こうぜ!居酒屋!」 本谷と恵は、一旦ただの飲み友達へと戻った。 「――それでさ、もとやんは探してるその子をもし見つけたら、どうしたいわけ?」 ビールを片手に、リラックスした恵が何気なく問いかける。 素朴な質問にハッとした本谷は、思わず自分でもその先を見据(みす)えていなかったことに気が付いた。 「そっか、確かにどうしたら……。元気な姿を一目また見たいってことばかりに囚われて、自分がどうしたいかなんて、考えてもなかったな」 「……もとやんはさ、ゲイの自覚が無いって言ってたじゃん?恋愛対象は女の子なのか?」 「い、一応女性と付き合ったことはあります。でも、自分に好意を向けられても、恋愛というものがよく分からなくて……。好きになろうと努力はしたんだけど……」 「好きにはなれなかった……と。それ、やっぱり女の子には興味がないってことじゃない?」 苦笑いする本谷を、恵が一蹴(いっしゅう)する。 「でもさ、よりによってもし本当にその子が店の子だったら、お前これから苦労しそうだよなぁ。割り切って遊ぶだけならまぁいいんだけどさぁ」 恵は、衝動のままに片思いを続け、おまけに明らかに人の良さそうな本谷の身を案じた。 「……?めーたんは、割り切って遊んでるってことですか?」 「ん?僕はね、風俗を悪い所とも底辺とも思ってないのよ。確かに利益のために搾取(さくしゅ)はされるけど、精一杯生きてる子がいるのも事実だから」 あっけらかんとして、恵が答える。 「捨てたモンじゃねーよ。ああいう世界の一瞬に光る強さとか、楽しさとか、人情みたいなものは確かにあるんだ」 「へぇ……なんか、すごいね。私には遠い世界だ」 「ま、それはさておき、僕はいかに沢山の女の子とイチャイチャするかを生涯のテーマとして(かか)げているからな。あはははは!!」 (け、結局単にモテたいだけ……?!) ――ただいま。 胸の中でそう(つぶや)くのは、本谷の癖だった。 一人暮らしの部屋の中は、相変わらずアート関係の書籍と、展覧会の資料に(あふ)れかえっている。 掃除は好きでよくしてはいるものの、一度何かを調べ始めるととことん突き詰めてしまう性格が、書類の山を常に築き続けた。 シャワーを済ませ、髪を乾かす。 居酒屋を出て恵と別れてからもずっと、少年に会ってどうしたいかという問いが頭から離れない。 ベッドに横たわると、少年の骨格の残像が(よみがえ)った。 自分好みの薄くて細い、バランスの良い体。 吸い付くような肌の質感、あどけない顔つきに、少し上気した頬。 必死で目に焼き付けた美しさが、今でも鮮明に浮かび上がる。 自分の腕に収まりながら不安そうに震える体、何かを訴えるような、潤んだ瞳。 手に噛みついた時の、舌の柔らかさ――。 「……?!」 不意に感じる下半身の熱に、自分でも驚く。 (なか)ば作業的にしか行ってこなかったを、性的な興奮とともにこなし始める自分がいる。 「……んッ……ハァ……んんッッ……!」 本谷の端正な顔立ちが、快感に屈して少しずつ(とろ)ける。 高揚する体の衝動を押し殺し、乱れる髪を(いと)わずシーツに埋もれてその呼吸を早めた。 (ああ、ダメだ……もぅ……止まらないッ……) 少年に惹かれ、心から美しいと思った。もっと近くで見てみたいと思った。 ただ、好きでいるだけでいい。元気でいてくれれば、それを見ているだけでいい。 そのはずなのに――。 「……うッ……ハァ……ハァ」 今日、あの店の入り口まで行ってしまったからだろうか。それともまだ、酔いが()めきっていないからだろうか。 普段は覚えない熱に自分を内側からじりじりと()がされ、性器を(しご)く手の動きが、次第に早くなっていく。 会いたい。触りたい。抱きしめたい。 キスをして、それから――。 頭の中が、少年で埋め尽くされる。 「……ん……ああ……ハァ……こ、琥珀ッ!」 パタパタと熱を吐き出すと、どうしようもない背徳感とともに、今すぐ少年に会えない喪失感が襲う。 本谷は肩で息をして、しばらくの間動揺した。 「……も……ダメだ。好きだよ……琥珀……好き……好き……」 今は他に何もいらない。 ただもう一度だけ、あの子に会いたい。 募らせるこの想いを、どうか許してほしい――。 行き場の無い思いが、涙になって(こぼ)れていく。 (かが)めた長身は、シーツの上でゆっくりと沈んでいった。

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