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第24話 本音
熱で朦朧 とする琥珀 の体を、ミヤビがそのまま病院へ運んだ。
「極度の疲労と貧血です。2、3日は必ず安静にして下さい――。」
医師からは、低体重が故 に免疫機能が落ちやすくなっていると指摘を受けた。
本来なら食事を含めた生活指導の対象になる検査結果だが、一先 ず点滴と投薬を施 され、病院を後にした。
薬で落ち着き、ベッドの中で静かに眠る琥珀を前に、ミヤビが口を開く。
「アイツらの顔は覚えたんで、後でシメに行ってやりますよ。絶対 ェ許さねェ。全員叩き潰してやる!!」
ミヤビは体をわなわなと震わせ、柳眉 を逆立てた。
「……すまなかった、ミヤビ。お前は大丈夫なのか?」
「俺のことなんていいんすよ!!それより樫原 さん、琥珀に何か言ったんですか?!教えてくださいよ!!」
「……」
眠る琥珀を見つめたまま、樫原は無言で硬直する。
「最近すっかり大人しくなっちまって、元気ねぇなとは思ってたんです!今朝だって全然食ってねぇし。なんか嫌な予感がして迎えに行ってみればッ!!こいつ……何人にヤられてたと思います?!」
ミヤビが声を荒げ、樫原に詰め寄る。
「琥珀が落ち込んでたこと、分かってたんでしょお?!ねぇ!!樫原さん!!なんとか言ってくださいよ!!」
「……ミヤビ、すまねぇ。許してくれ」
全てが致し方なかったとでもいうように、樫原は謝罪を繰り返す。
「ッ!!樫原さん……!!」
信頼する兄弟子の言葉に何かを察し、ミヤビは踏み止 まった。
当たり散らしたい衝動を堪 え、それ以上の詮索 を避ける。
「……琥珀が、意識が飛ぶ前に俺に言ったんです。『樫原さんには言わないで』って」
「……?!」
「それに琥珀、あんな目に遭って、体ボロボロなのに、泣きもしないんですよ……」
「……ッ!!」
「前はもっと、素直に嫌なら嫌って言えてたのに。こんなに弱って……。俺がもっと……早く迎えに行ってれば……!!」
やり場の無い憤 りに、ミヤビの声が震える。
「俺、初めての世話係で……琥珀に会った時からめちゃくちゃ可愛いじゃんって思って。からかって遊んでたけど、組とか関係なく、ほんとに慕って欲しかったんです。でも……、ろくに守ってもやれねぇで、世話係なんて失格ですね……」
「お前は悪くねェ!全て俺の責任だ!自分を責めないでくれ!!クソッ――!!」
樫原の拳が、樫原自身の頬を殴った。
「なんで俺は!!あんなやり方しちまったんだよ!!あいつの身を守る方法が、他にあったはずなのに……!」
頭を抱えた樫原は、後悔に苛 まれながら、自責の念を吐き出した。
「……犬だと言った。こいつを否定して、無理矢理ヤった。こいつが稼げるようにさえなれば、俺はそれでいいと思ってたんだ」
――部屋の中を、静寂が漂 う。
小さな寝息も立てず、まるで動かない人形のように、琥珀は眠り続けた。
柔らかく透けるような髪と、皮膚の薄い、小さな頬。
陶磁器のように白い肌と、まるで少女のような華奢な骨格。
全てにおいて繊細にできたその体は、眠っているとより儚さを際立たせた。
「なぁ……ミヤビ。俺さ、こんな綺麗な生き物、見たことねぇんだよ……」
樫原が、ゆっくりと語り始める。
「そうだ……綺麗なんだよ。外側だけじゃなくて内側も、本当にな」
「樫原さん……?」
「こいつは多分、敵が多い人生だったんだろうな。一生懸命強がってんのがわかる。人に擦 れてないから、その分純粋すぎて、危なっかしくて心配になっちまう」
樫原は琥珀を眺めたまま、穏やかな表情で続けた。
「一度、こいつがまだ俺のところへ来たばっかの頃、訳分かんなくなって泣くしかできねぇでいたこいつを、宥 めるために抱きしめたことがあってな……」
「もしかして、初めて風呂場に連れていった時ですか?」
「そ。んでトイレにこいつを座らせた時。そしたらそれ以来、こいつ、どれだけ嫌がることしても、泣き腫 らした後は必ず俺の腕にしがみついて寝るんだよ。安心した顔で」
樫原が、眠っている琥珀の頭を撫 でる。
「最初はただ、愛情不足で育った可哀想なやつだと思ったよ。あぁ……、酷い目に遭わされてんのに、一丁前に人肌は恋しいんだなってよ」
「樫原さんにくっついて寝られるなんて、琥珀くらいですね」
ミヤビが少し呆 れたように笑い、琥珀の頬を軽くつついた。
「今まで仕込んだ他の奴らは、愛情を持たない俺を、血も涙もない人間だって軽蔑 して、すぐに死んだ目になっていった」
「それは樫原さんが、機械的にしか接してなかったからじゃ。でもまぁ……そうなるのが普通ですよね」
「ただこいつは違った。俺が何をしたところで、真っ直ぐ俺のことを見てたんだ」
樫原は琥珀を撫でる手を止めて、表情を曇らせる。
「こいつにとってこの先は、孤独と絶望しかねぇ。俺に甘えたところで、状況は何にも変わらねぇ。一人で耐えて、それでも生き抜かなきゃなんねぇ!……俺を嫌って、飛び出して行くくらいじゃねえと、この先もつわけねぇんだよ……!!」
声が震え、目頭が熱くなる。
仕込み役の自分には、同情や個人的感情なんて邪魔でしかない。そう思って、淡々と役目を果たそうとした。
甘さは要らない。それが後に琥珀を苦しめると分かっていたから、ようやく懐 き始めた琥珀を敢 えて突き放した。
でも本当は、琥珀が可愛いくて仕方がない気持ちに必死で蓋 をし、目を背けていただけなのかもしれない。
「――結果的に、こいつを苦しめちまったな」
「結局俺たち2人とも、琥珀に絆 されちゃってますね」
2人の手が琥珀の頭と頬を改めて優しく撫でると、眠りながら、今度は琥珀の方から小さくその顔を擦り寄せた。
色素の薄い睫毛が、ほんの少し、ヒクリと動いた。
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