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第26話 涙の理由
「ルールを破って遊んでる奴らが湧 いてます!!そもそも依頼の件数が多すぎじゃありませんか!!」
――広い会議室内に、ミヤビの声が響いた。
グループが所有する高層ビルの最上階。
組の活動拠点のこの場所で、ミヤビと樫原 は会長の柚木 と対峙 していた。
「なんだ四条 。随分と生意気な口叩くじゃねぇの。薬に溺 れて廃人になっていたお前が、ここまで立ち直れたのは誰のお陰だ?ああ?」
猟奇的 な笑みを浮かべた柚木が、席を立ってミヤビの胸ぐらを掴んだ。
脅すように迫られ、ミヤビは思わず顔を背 ける。
「すいません、柚木さん。こいつを責めるのはナシにしてくれませんか。依頼はこれからも守ります。ただ、琥珀 の体では限界があります。せめて依頼中に監視を付けてはもらえませんか――?」
真剣な目をした樫原が、ミヤビを庇 うように割り入った。
「ハッ!どうしたよ。お前ら2人とも、あの犬に肩入れしてんのか?」
柚木が不敵に笑い、窓の外を眺めるように背を向けた。
「男が靡 く男なんて、とんだ才能じゃねぇの。まあ俺の見立て通りだ。良かったな」
「……まさか、それを分かってて組に?」
樫原は、胸騒ぎがした。
「まぁな。一目見た時から確信してたよ。コイツは売れるってな。借金の事なんざ脅して囲う口実に決まってんだろ?手懐 けて、堕 として、使えるだけ使ってやるよ」
「ッ!!じゃあ琥珀が体張って金を返したところで、自由にしてやる気はないってことですか?!」
血相を変えたミヤビが問いただす。
「熱くなるなよ四条。ああそうだ。アイツは一生、組の犬だからな」
「……この野郎――ッッ!!」
「やめろミヤビ!落ち着け!!」
「うッ!樫原さん!!離してください!!」
琥珀を大事に思うミヤビの気持ちはよく分かる。ただし、自分達が何を言った所で柚木の力は絶対だ。
無駄な争いを避ける為、樫原は腕に力を込めた。
「――なぁ樫原ァ。アイツ、もう仕込みいらねぇな?そんなに実践積んでんならもういいだろ。出すかぁ、店に」
恐れていた一言に、その場が凍り付く。
「ちょっと待ってください。琥珀は今そんな精神状態じゃありません。療養だって必要なんです」
「テメェまで俺に楯突 いてんじゃねぇよ!!決めるのは俺だ!!」
樫原の訴えを無視し、怒号を飛ばした柚木が愉 しげに振り返って告げる。
「そうだ樫原ァ、あの犬はお前の言うことなら聞くみてぇだな?お前から言ってやれよ。来週から『デビュー』だってなぁ!それでお前らはお役御免だ!!」
「……!!」
樫原は、その場で硬直し言葉を失った。
「そんな……。樫原さん……!あと1週間もないってことですか……?」
「――食 えるか、琥珀?ちょっとだけでもいいから、栄養を摂れ」
樫原はベッドに寝ていた琥珀の体を支え、ゆっくりと起こした。
丸2日眠っていた体はすっかり熱も下がったが、以前に増して軽く感じる。
昨日、ミヤビと共に柚木に直談判 をしたものの、結局琥珀のためになるようなことは何一つしてはやれなかった。
苦し紛 れに薄く笑ってみせる樫原の顔を、琥珀は不思議そうに眺めた。
「……あの、樫原さん……ミヤビさんは……?」
ベッドから辺りを見回す琥珀が、不安そうに訊 いた。
「ああ、ミヤビなら帰らせたんだ。このところちょっとハードスケジュールにさせちまったからな。何があったかは全部聞いてる。心配すんな」
「……そうですか……俺、ミヤビさんに無茶させたんじゃ……怪我とか……してたら」
自分のことよりも、ミヤビを気にかける健気さに、胸の奥が痛んだ。
「――琥珀!すまなかった!!許してくれなんて言わねぇ!!」
突然樫原に抱きしめられて、琥珀は目を丸くした。
「……お前の店のデビュー、決まっちまった。なんとか引き延ばそうとしてたんだけどよォ。それで俺たちは……お役御免だとよ。ようやく仕込みからは解放されるぞ!そこは喜べ……!な?」
腕の中の琥珀は、ポカンとしたまま固まっていた。
少しして状況を飲み込んだようで、ポロポロと泣き出してしまった。
久しぶりに見るその涙に、樫原の胸が締め付けられる。
「すまねぇ、働くの……怖いよな。泣くほど嫌だよな。俺がもう少し柚木さんに強く言ってやれれば……。ただ、デビューまでもう日がないが、できる限りのことはしてやるから……」
元々不器用で敵を作りやすい琥珀のために、客から愛される方法を、もっと時間をかけて仕込むはずだった。
琥珀が痛がらずに、怖がらずに済む方法も、一緒に探していきたかった。
樫原は自分の無力さを責めながら、琥珀を強く抱きしめた。
「……ち、違 ……」
小さな声が、腕の間から漏れた。
「おやくごめ……んって……樫原さん……に……めいわく……かけ……て、……ごめんな……さ……」
琥珀が涙を流しながら、絞り出すように言った。
震えながら縋 るその姿に驚き、樫原は琥珀の顔を覗 き込む。
「迷惑なんかじゃねぇよ。それに、お前のせいなわけあるか。」
「……う……ひっく……もう……俺、ひとり……こわ……い」
「俺もミヤビも組を辞めるわけじゃねぇよ。お前が望めば、いつでも顔見に行ってやる」
「うぅ……ふぅッ……うっ……うぅ」
「そんな顔すんな。琥珀、お前……辛かったな」
「うッ、ううッ、わああああああん――」
琥珀は嗚咽 が込み上げ、子どものように泣きじゃくった。
それがあまりに激しいので、樫原は思わず琥珀がまた過呼吸になるのを恐れて、焦って涙を拭 いながら抱きしめた。
店に出されることより、迷惑をかけることが辛い。離れることが怖い――。
そう言って泣く琥珀を、樫原は驚きながら、あやすことしかできなかった。
「うっく……樫原さん……今日、優しい。なんで……?俺は犬、だから……ヒック……そんなこと……しなくていい……です」
「バカ!!ほんとに犬だなんて、思ってねぇよ!!まぁ……ちっこくてプルプルしてて犬みたいだなとは思ってっけどよぉ。……ごめん、ごめんな琥珀――。」
――30分程経つと、呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
その様子を確認し、樫原がゆっくりと問いかける。
「……なぁ琥珀。なんで嫌なことされて黙ってたんだ?言えば俺に怒られると思ってたのか?」
琥珀は一瞬泣きそうになり、顔を伏 せて話し始めた。
「じ、自分が傷つくのはどうでも、いい……。怖いけど……樫原さん……の、役に立つのかなって……それで……」
「……琥珀」
「誰かを苦しめるのは、もう……嫌なんです」
この小さな体は、一体どれほどの苦しみに耐えてきたのか、何が琥珀をそこまで追い詰めたのか。
肩入れすることを恐れて避けてきたその背景に、潜むものの正体が知りたい。
樫原は、覚悟を決めた。
「俺はお前のことを何も知らない。聞かないつもりでいたが、お前が良ければ聞かせてくれないか。お前の、これまでを」
琥珀は樫原を見つめ、コクリと頷 いた。
「はい――。」
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