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第28話 琥珀の過去②

――義父(とう)さんは、きっと病気だ。 あれから回数こそ減っていたものの、血の繋がらない父親からの異常なスキンシップは度々あった。 月に数回、部屋に押し入られては体を舐められたり、性器を触ったりされた。 『琥珀(こはく)、ほぉら、気持ち良くなってきたね……琥珀の可愛いココ、くちゅくちゅ音がしてる』 『も……指……やだ……やめて……よ……』 『ほら、ちゃんと息をして……ああ、可愛い……なんていやらしい体なんだ……こっちも今、楽にしてあげようね』 『あ!ああッ!』 そして一通りを終えたところで、我に帰った義父さんは必ずパニックのような発作を起こして取り乱し、その後は記憶を無くすようになっていた。 『あれ?……なぜ、ここに……』 『……義父さん、疲れてたんじゃない?話してる途中で寝ちゃってたよ』 義父さんがそれ以上狂ってしまわないように、俺はその場(しの)ぎの嘘をついた。 そして朝には、本当に何事も無かったかのように、いつもの優しい父の顔に戻った。 義父さんが一時的におかしくなるのは、決まって夜間、俺の前だけだ。母さんや唯斗(ゆいと)に手を出すことは一度もない。 それから初めは続いた暴力も次第に落ち着いていき、ただ単に性的なスキンシップを求められるだけになっていった。 きっと黙っていれば、問題ないんだ。 都合の良い義父さんのことは正直理解し難いけれど、普段の真面目で優しい一面を知っているから、俺は仮初(かりそめ)の幸せを守り続けた。 ――冬休みも近付いた12月。 普段通り保健室で自習をしていたら、先生が「大事な内容だから」と、個別で保健の授業をすると言い出した。 『性教育』 そこで嫌でも知らされる、性被害や性暴力というワード。 授業を終えてから、俺はしばらく放心状態になっていた。 昼休みになって、先生が席を外す。 すると突然吐き気に襲われて、体中の震えが止まらなくなった。 授業で知り得たことがあまりに自分とリンクして、ただただ気持ちが悪かった。 『失礼します。……あれ、先生いないね。って、琥珀、顔色悪いよ?どうしたの?!』 たまたま訪ねてきた男子生徒が慌て出す。 俺の(あご)を掴んで、おでこに手を当てた。 『熱はないけど……、今日はもう休も。ほら、横になりな』 いつも自分に手を焼いてくれる保健委員の水島(みずしま)先輩だった。 ついつい安心した俺は、不甲斐なくもその場で号泣してしまった。 『――琥珀。それは絶対にダメだ。お義父さんが君にしていることは、立派な性的虐待だよ』 悩みを打ち明けた後、先輩にそうはっきりと言われ、自分の身に起こった異常さに現実味が増した。 『他の大人に相談しよう。言いにくいなら、僕が代わりに――』 『や、やめてッ!絶対に、言わないで……!』 こんなことが知られたら、やっと手に入れた母さんの幸せが台無しになる。義父さんの立場だって、それに、唯斗の将来だって……。 一度に色々なことが頭の中を駆け巡り、羞恥心と、無意味な使命感から先輩の救済を断った。 『じゃあ約束。辛い時だけ、僕の家においで』 それからは優しい先輩に(すが)って、本当に耐えられなくなった時だけ、先輩の家に泊まりに行った。 春になり、先輩は卒業。俺は中学2年生に進級した。 『お、アレ見ろよ。朝霧琥珀(あさぎり こはく)だろ?保健室に籠ってるってやつ』 『へー!初めて見るよ。可愛いーじゃん!オレ、会いに行っちゃおうかなー!』 『やめとけよ。他の奴らも面白半分で突撃して、面会禁止って先生に叱られてたぞ』 学年が変わっても、一度形成されてしまった苦手意識を克服することは難しかった。 俺は周囲から特異な目で見られる事がやっぱり嫌で、相変わらずクラスには戻ることができなかった。 それから中学卒業まで、人目を避けるように保健室登校を続け、家では義父さんからのスキンシップに耐えていた。 本当はかなり追い詰められていたと思う。 それでも、先輩という心の逃げ場ができたことで、俺はなんとか自分を保つことができた。 ――高校は()えて、自分を知る人がいない遠くの土地の、寮のある学校を選んだ。 家から離れてなんとか普通の高校生活をスタートできたけれど、悪ノリや容姿いじりは変わらなかった。 『んッ、ちょっと……!いちいち抱きつくな……!』 『よしよーし、お前って可愛い。つか、なーんかエロいんだよなぁ。琥珀が女ならなー!』 『朝霧なら俺、むしろいけちゃうかも!』 同性からの悪戯(いたずら)はしょっ中されたし、教師からも多分セクハラのようなことを言われていた。 だけど、高校では(かろ)うじて気さくに接してくれる寮の友達もいたし、父親に触られた時のような恐怖感は無かったから耐えられた。 中学でまともな思い出を作れなかった反動で、もう二度と登校拒否にだけはなりたくない。 俺は必死に3年間をやり過ごそうとした。 ちょうど高校3年の秋、これまでの負担が(たた)ってか、よりによってそれまで元気だった母さんの体調が優れなくなっていた。 検査の結果、脳の血管に疾患があることが判明し、家族に衝撃が走った。 すぐに今すぐどうこうというわけではなかったけれど、短い入退院を繰り返し、高額な治療費を全て義父さんが(まかな)った。 母さんのことも、まだ小学生の唯斗のことも心配で、俺は極力家にも帰るようになった。 ――けれど。 昼間の献身的な姿とは裏腹に、俺を見ているうちに豹変(ひょうへん)した義父さんは、以前に増して俺に迫った。 『琥珀……ハァ……ハァ……会いたかったよ……可愛い顔をもっと見せなさい……キスして、たくさん()くしてあげようね……』 『……ん、義父さん……痛いよ……』 (義父さんの前から離れなきゃいけない。なんとか自分の力で稼いで、早く一人で生きていけるようにならないと――) 母さんには大学に行けと反対されたけれど、とにかく自立したい一心で、企業への就職を目指した。 誰にも頼らず、支援を受けず、生きていくお金を稼ぎたい。 高校が斡旋(あっせん)する求人案内を眺めては、こんな初任給では足りないと、次第にお金に取り()かれていった。 『朝霧、お前学校を通さず就職先を決めたんだってな。ちゃんとした会社なのか?進路指導室に報告はしておけよ』 先生達の忠告は、その時の自分には全く響いていなかった。 そして気付きもしなかった。 自分がもう、甘い蜜に吸い寄せられていたことに――。 ネットを使って自力で探した求人は、入社後も電話とメールのやりとりだけで、担当者からの定期的な業務指示が下る毎日だった。 金融証券仲介業、いわゆるIFAビジネスをメインとした営業職。 もちろん自分のような社会経験のない高卒の未成年に務まるはずもなく、担当者に言われるままに書類を作る雑務の連続だった。 それでも会社の対応は終始丁寧で、今は大変でもこれから良くなるのだと希望を持てた。 そんなある日――。 『そろそろ朝霧さん専用の顧客向け運営サイトを立ち上げるので、初期投資として40万円用意してください』 『……え?』 担当者の指示に、言葉を失った。 『うちは独立メインの営業体制ですから。40万なんて1ヶ月もすれば倍以上になって回収できるんですよ』 『あ、ありません。そんなお金』 一人暮らしを始めたばかりの自分には、その金額がとてつもなく大きかった。 『ですと、消費者金融でご調達ください。他の社員もそうしております。それができなきない場合、違約金が発生してしまいます』 ここで俺は、違約金を払ってでも、無理矢理逃げ出せば良かったんだ。 それでも孤独と焦燥感に(さいな)まれていたせいで、まともな判断力を欠いていた。 その後は特殊詐欺のような手法であっという間に負債を負わされ、名義を勝手に使われていた。 実体のない、不審な会社。俺は、架空の求人に騙されたんだ。 『この度、我が社は売却される運びとなりました。各人、身辺整理は終了しております。今後一切の連絡に応じることができません――』 電話越しに流れるガイダンスに絶望し、崩れ落ちた。 すぐにその電話すらも繋がらなくなり、収入はもちろん0。手元には、数ヶ月で膨らんだ投資費用の借金と、保証人にされていた業務案件の賠償費だけが残った。 『そんな……どうしよう……』 それはまさに、どん底――。 夢中で走り続けて、気が付けばマイナスの人生に転落していた。 『俺が全て迂闊(うかつ)だった。こんなこと、母さんに言えないよ……』 俺はもう、一人暮らしの家賃が払えないどころか、その日食べる物ですら買えないところまで来ていた。 寝ても覚めてもひたすら痛む頭。追い詰められていく精神。 行き場の無い絶望に、重く深く、支配されてしまった。

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