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第29話 琥珀の過去③

『本当にすみません、先輩――』 初めての就職先で詐欺に()い、数百万の借金を抱えた俺は、中学時代にお世話になった水嶋(みずしま)先輩のアパートに転がり込んだ。 夏の終わり、季節が秋に変わる頃だった。 『琥珀(こはく)が頼ってくれるのは嬉しいよ。で、何があったかは教えてくれないの?』 優しい先輩には、過去に父親の件ですでに悩みを相談していたこともあり、これ以上自分の失態を(さら)すことが怖かった。 ろくな知識も教養も持たず、社会に出て早々に失敗した自分。 それもこんな形で借金まで背負い、情けなくて軽蔑(けいべつ)されるに決まっている。 『話せるようになったら必ず話します。でも俺、義父(とう)さんのいる家には……どうしても帰りたく……な……』 『はいはい分かってるって。責めてないよ。好きなだけ居ていいから、泣くなよ』 『……う……ホントに……すいませ……』 先輩の優しさに、思わずポロポロと涙が(あふ)れた。 卑劣な手で俺を騙した会社に連絡はまだつかないけれど、必ず訴えて返金をもらうんだ。 そう、胸に誓った。 ――それからのフリーター生活は過酷だった。 とりあえず年齢・学歴不問ですぐに雇ってもらえる日払いバイトをいくつか掛け持った。 それでも月々の返済が容赦なくのしかかる。 引っ越し業者に、夜間警備員、工場での軽作業……。 昼夜問わず働き詰めて、クタクタになりつつ先輩のアパートに帰る日々。 『おいそこの若いの、なかなか可愛いナリしてんじゃねぇか。仕事はいいから、ちょっとこっち来ておっちゃんの相手、してくれねぇ?』 男社会の中では、どうしても見た目や年齢でナメられる。 『や……!どこ触ッ!ヤメロよ!!』 人付き合いが苦手な性格も災いし、職場で度々セクハラまがいのことをされて、我慢できずに暴れてしまった。 仕事を見つけ、続かず辞めての繰り返し。 自分が必死になればなるほど、深みにはまっていくようだった。 被害の件は、もちろん警察に相談していた。 それでも、刑事事件として立件したところで、自分の被害を世に知らしめることになるだけで、金銭の回収は難しいだろうと言われてしまった。 なんとか別の手立てを考えないと。 気持ちだけが、焦っていった。 冬の終わりのある日、仕事も無く体を休めていると、玄関の外から(にぎ)やかな声が聞こえてきた。 『ただいま〜琥珀。今日は大学の友達も一緒なんだ。琥珀のことみんなに紹介するよ』 現役大学生だった水嶋先輩は、とても充実した日々を送っていた。 勉強と塾講師のバイトの両立はもちろん、友人が多くいつも楽しそうだった。 『あの……邪魔したくないんで、俺……外に出てます』 『あー!この子が例の中学の後輩くん?ほんとだ、小動物みたいで可愛いね』 『……ッ』 『あっ琥珀!外まだ寒いからあんまり遠くへは行くなよ!』 自分から(あきら)めた大学生という身分に、今更憧れを抱く。 しかも、名門校に通う先輩も、その友人達も皆それぞれ目標をしっかり持ち、とてもキラキラして見えた。 その光が眩しくて、自分が余計に(みじ)めに思えた。 同世代はみんな、夢を持って輝いている。 それなのに俺はなんで、こんなところで立ち止まっているんだろう――。 数時間して、先輩のアパートに戻った。 友人達の姿は無く、テーブルに突っ伏した先輩と、酎ハイの空き缶が目に入った。 『先輩、こんなところで寝たら風邪くよ?』 『……』 『ほら、立って?水嶋先輩』 『んー……琥珀ゥ!!』 『わぁッ!!』 突然酔った先輩に押し倒されて、カーペットに体を打った。 『ッ!痛いよぉ、せんぱ――』 その瞬間、床の上で抱きしめられたまま、先輩の顔が近付いた。 『――!!』 キスをされて、驚きのあまり目を見開く。 『……そのまま動かないで』 先輩の表情も、声色も、いつもと違った。 優しい先輩の初めて見る強い視線。 『ごめん、すぐ済むから』 そう言って、俺に(またが)ったままの先輩が、ズボンをずらして自分の性器を(しご)き始めた。 『……先輩……、なに……して……』 『琥珀が怖がるからずっと我慢してたけど、もう限界。触らないから……許してよ』 次第に息を荒げ興奮していく先輩を、俺はただ見上げていることしかできなかった。 『ああッ!琥珀……琥珀……ッッ!!』 達した先輩の精液が、胸元にポタポタと落ち、思わずぎゅっと目を(つぶ)る。 『ねぇ、そんな顔しないでよ。悪いのは、琥珀だよ?』 『あ、ああ……わあああああッッ!!』 俺はアパートを飛び出して、目的地も決めずに走り続けていた。 みんな自分を、で見ている。助けてくれる人はどこにも居ない。 自分にとって唯一の()り所を、俺は失ってしまった。 知らない大きな繁華街まで来たところで、足が痛くてビルの隙間で動けなくなった。 元々荷物なんてスマホくらいしか無いけれど、服も財布も、全てを先輩の所に置いてきてしまった。 季節はもうすぐ春なのに、まだ少し寒い。それよりもお金が無くて、どうしようもない。 (最後に食べたのはいつだっけ……) 食欲は湧かない。もういっそ、このまま消えてしまいたい。 そう思ったまま、疲れて眠ってしまった。 (今月の返済は、もう間に合いそうもないや。このまま逃げたら、どうなるのかな。もうどうでもいい、どうにでもなればいい――) 『琥珀、次はいつ帰ってくるの――?』 深い眠りの中で、母さんの顔が浮かんだ。 療養中の母さんに、こんな俺はもう会うこともできない。 (もし、俺がこのまま逃げたら……?) 母さんを支えて生きていくはずが、愚かな自分のせいで、多大な迷惑をかけるかもしれない。 (ダメだ……。なんとか、俺が取り返さなきゃゃ……) 『オイ、起きろ―― 高潔そうな低い声が、頭上に響いた。 朦朧(もうろう)としながら(まぶた)を開ける。 するとそこには、スーツ姿の男が自分を見下ろし立っていた。 『なんだ?動けねぇのか?ガリガリだな……おいお前、食ってねぇのか』 『……ううッ』 顔を持ち上げられて、(うめ)き声を上げた。 『ほぉ、体は随分と貧相だが顔は悪くねぇ。なかなか(そそ)るな。家はどこだ。いつからそうしてる』 『……』 『喋れねぇか?まあいい。お前、金が欲しいか?』 『……!』 (うつろ)な視線に宿った一瞬の期待を、その男は見逃さなかった。 『連れて行け』 これが、俺と柚木(ゆずき)の出会いだった。 『――荷物はこれで全てだな。よし、運べ』 『ちょっと、あなた方は誰ですか?琥珀はどこへ行ったんですか?!ねぇ、ちょっと!!』 『悪いが水嶋さん、アイツの身柄はこちらでお預かりします。これまでどーも』 『……ッ!』 先輩とは結局、俺が柚木に連れ去られる形で挨拶もできずに別れた。 柚木は行政に精通した部下を使って、俺の所在を上手く隠した。 その時点で、消費者金融の借金と支払い義務を課せられてた賠償費用は、利息が膨らみ1千万にも及んでいた。 それなのに、到底返せる見込みのなかったその全てを、柚木はものの数分で容易(たやす)く返済してみせた。 俺の実家には、グループの表の顔の1つとして実在するIT系企業の採用通知を送った。 そして柚木の指示で、俺は母さんに『会社の寮に入れてもらったから』と電話を掛けた。 これで俺は皮肉にも、表向きはだけは自分が目標としていた、『自立した息子』になったわけだった。 ただ1つの条件を除けば。 『――あ……ううッッ!離せよ!!ちゃんと働く……!!でもこういうのは嫌だ!!』 『大人しく抱かれていろ。お前はこれからちゃんと働かせてやるよ。その体全てでな』 『犬』になる――。 それが柚木の援助の代わりに、俺が無理矢理背負わされた使命だった。 『お前の体はもう組のものだ。お前の生き方なんざ、俺が決めてやる――。』

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