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第33話 交差

――いよいよ来てしまった。 雑居ビル9階のプライベートラウンジを抜け、個室の待合室に入る。 どうやら他の客に鉢合う事がないようプライバシーには考慮されているようだ。高級ホテルのような内装が煌びやかで、どこか場違いな気がして落ち着かない。 「本谷(もとや)様、本日はご来店ありがとうございます」 「ハ、ハイッ!宜しくお願い致します!」 ソファに座る手足に緊張で変な力が入り、店員と目が合わせられない。 「こちらが在籍一覧でございます。本日は7名が出勤しております。すぐにご案内可能なのは、この2名で、年齢は20代、テクニックは両名とも申し分なく……」 「あ、あの、男の子はこれで全員ですか?!」 店員に提示された一覧表をざっと見回して、思わず確認する。 「ええ。全キャストで現在20名程おりますが……、本谷様?」 「……いない」 顔写真入りの一覧に、あの少年の姿は見当たらない。 男娼の線は無い、のか――? 「あっ!」 「どうかなさいましたか?」 一覧の端に、『trial(トライアル)』の文字を見つける。 「こ、この!名前も写真も無い子は何ですか?!」 「ああ、そのキャストはつい最近入店したばかりの新人でして、思いの外デビューが早まってしまったのでトレーニング中でございます」 「……!」 「西園寺様ご紹介の、本谷様のようなグレードのお客様にはとてもご案内できません。若く、見た目も中性的で愛らしいのですが、いかんせんまだ……」 (中性的……?) 「こ、この子!この子でお願いします!!」 「……!よろしいのでございますか?少々難ありで、昨日もスタッフの手を(わずら)わせております。本谷様にはもっと他の……」 「この子でお願いします!!」 店員は少し驚きながら、インカムで他の店員らに連絡を取った。 「本谷様、琥珀(こはく)、入ります」 ――ッ!! その名前を聞き、全身に衝撃が走る。 会える喜びが湧き起こると同時に、琥珀が男娼であることが確定し、頭がグチャグチャになった。 (どうしよう、どうしよう、どうしよう!!) フリータイムの料金を前払いし、更に追加料金が発生するらしい各オプションの説明を受けたが、心臓がバクバクでそれどころでは無い。 (こ、こんな空間で……、あの子に会えてしまうのか?!ずっと心待ちにしてきたことなのに、今更どうしたら良いか分からない!) 心の準備が整わぬまま、店員に案内され部屋の前まで来てしまった。 (か、か、顔大丈夫かな?!汗臭くないかな?!ハァァ、トイレ行っとけば良かった……!その前に何から話す?!どこから話す?!えっと、えっと???) 「本谷様、万一何か問題ございましたら、室内の電話でスタッフまでご連絡くださいませ。琥珀、お客様です。それでは本谷様、お楽しみくださいませ」 部屋の扉が閉められ、店員は去っていった。 ついに、その時が訪れる。 「――!!!」 少年は部屋の奥のカーテンに(くる)まっているようで、姿が見えない。 「こ、こんばんは。あの、えっと……隠れちゃってるのかな?決して怪しいものではありません!」 気が動転し、自分でも何を言いたいのか分からない。 「は、ハハ……えっと」 「……ふっ……ヒック………ぐすっ」 汗を拭きながらヘラヘラ笑っていると、カーテンの隙間から小さな声が聞こえてきた。 「もしかして、そこで泣いてるの?」 ハラリとカーテンを(めく)ると、薄い体を震わせながら、小さく座り込んでいる少年がいた。 「う……ヒック……あ、あう……」 潤んだ瞳が、こちらを見上げる。 「見つけた」 「……!」 勢い余って抱きしめると、少年は驚いたように目を見開いた。 「会いたかった、ずっと」 「……えっ?」 小さな体はとても軽く、想像していたよりもずっと繊細だが柔らかい。 宝物を愛でるように、優しく包み込む。 泣いていたためか少し火照っているようで、温もりを感じる。 (可愛い。可愛い――!) 夢にまで見た少年が、腕の中に収まった。 少年を前にして、果たして自分の自制が効くだろうか。欲望のままに、襲ってしまったらどうしよう。そう心配していた事は、杞憂(きゆう)だったようだ。 可愛い姿を目の前にして、その尊さだけで心が満ちてゆく。 嬉しくて嬉しくて、感動に心が突き動かされる。 「あ、あの……お兄さん?」 少年の震えが止まり、段々と呼吸が落ち着いてきた。 改めて聞く少年の声は、少し(おび)えているようだが透き通っていて美しい。 不思議そうに顔を傾け、身動きが取れずに困っている。 「……うん」 「この店はじめて……ですか?」 「……うん」 少年との再会を噛み締めたくて、抱き寄せた腕を解くことができない。 目を(つぶ)ったまま、ひたすら少年の体温を感じ続ける。 「あの、まだ(おもて)に名前ちゃんと出してもらえてなくて、俺……琥珀です」 「知ってたよ」 「へ?」 「ありがとう。ごめんね驚かせちゃいましたね」 ゆっくりと、小さな体から腕を離す。 琥珀はまだ不思議そうに、こちらをじっと見つめた。 「お兄さん、背高い……ですね」 「ああ、怖がらせちゃうよね、ごめんなさい」 紺色のサテンのパジャマを身に(まと)い、七分の(そで)(すそ)からは、白い手足がスラリと出ている。 以前たまたま病院帰りに目にした時よりも、幾分痩せたようにも見えた。 「あ、ここ、座らせてもらいますね」 「はっはい!どーぞ!」 ベッドに腰掛けると、琥珀もちょこんと隣に座ってくれた。 「あ、あの、シャワーにしますか?それとももう……は、始めた方がいいですか?」 絞り出すようにそう言うと、ぎゅっと目を閉じ恥ずかしそうに頬を真っ赤にした。 その意味を察するが、()えて笑顔で返す。 「それは大丈夫、今日は君に会えただけで十分なんです」 「へ……?そんな、高いお金を払って貰ってるのに、何もしないわけには……ッ!」 「……じゃあ、私の上に乗ってくれますか?」 「上……?」 キョトンとした琥珀を手招きし、ベッドに仰向けになって腕を広げた。 「ここ、来てくれたら嬉しいな」 「……!」 微笑みかけると、一瞬驚いた琥珀が、いそいそとベッドに上がり、ゆっくり身を重ねた。 長身の本谷の胸の上に軽い身体がぺたりとくっつく。 「わあい!幸せだ〜!」 「お兄さん、こんなんでいいん……ですか?」 「ハイ!」 「……へんなの」 琥珀の薄い背中を優しく()でながら問いかける。 「大丈夫?泣いて……ましたよね」 「……!!あっ、その……えと……」 琥珀は急に恥ずかしさが込み上げてきたようで、胸の上で体を強張らせた。 「それと……私には、敬語じゃなくていいですよ。キミの言葉で、話してください」 「……!」 「私なんかじゃ、話しても仕方ないでしょうけどね……」 「そ、そんなことない!誰も聞いてくれなくて……俺……」 琥珀は感情を押し込めるように少し震え、静かに話し出した。 「さ、さっきのお客さんに、強引にされて……それはよくあることなんだけど、写真も撮られちゃって、それで……」 「写真……。それは、怖かったですね」 「ううっ……!怖か……った……!すいません、こんなこと……お客さんに話してッ……うッ……ぐすっ……」 気持ちを吐き出すと、琥珀はしばらく泣き続け、その間ゆっくり背中を撫で続けることしかできなかった。 「……も、平気。ごめんなさい」 なんとか落ち着き、泣き腫らした体でゆっくりと深呼吸をした。 「お兄さんみたいな人、今までいなかったよ。なんか不思議だね。こんなとこ似合わないかんじなのに」 「あはは、私も変なかんじです。でもキミこそ、こんなとこ似合いませんよ」 「俺は……」 琥珀はふと、言葉に詰まる。 「きっと、何か深い事情があるんですよね。気になるけど、詮索はしません」 「……ありがと」 琥珀は(わず)かに笑みを浮かべ、小さな頬を胸板に()り付けた。 その仕草が小動物のようで愛くるしい。 「今日は、このままキミといっぱいお話ししたいな。ダメかな?」 「……!」 琥珀は顔を上げ、色素の薄い瞳を見開き、長い睫毛を(またた)かせてこちらを見つめた。 「いいの……?うん……、うんッ!!」

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