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第34話 庇護
目の前で、天使のような少年が息をしている。
先程まで自分の胸の上で泣いていたのだが、ゆっくり会話を交わすうちに、少しずつ緊張が解けてきたようだ。
恥ずかしいのか顔は逸 らしたままだけど、自分の問いかけに素直に応じてくれる様子が可愛い。
そのか弱さに、庇護 欲が掻 き立てられた。
あまり強く力を込めないよう気を付けて抱きしめながら、一緒に過ごす1分1秒を噛み締める。
甘いものが好きで、辛いものと苦いものと人混みがキライ。
音楽も好きで、趣味は一人でラジオを聴くこと。
ちなみに今朝はお気に入りのメロンパンを食べた。
そんな他愛もない話を聞けることがとても嬉しい。琥珀 はその身が置かれる環境以外、至って普通の男の子だった。
「琥珀って、素敵な名前ですね。何か由来があるのかな?」
「ん?名前?ああ……ほら、分かる?」
琥珀が逸らしていた顔を持ち上げ、躊躇 いもなくこちらをキョトンと直視した。
「わあッ!」
(美少年の顔が!!急にッッ!)
至近距離で大きな瞳に見つめられ、思わず顔が熱くなる。
「あ、ごめん、びっくりした?逆光だから分かりにくいかも。目の色がちょっと黄味がかってるんだ。それが琥珀色だから……って」
「ほ、ホントだ!色素が薄い気はしてたんですけど、よく見ると確かに琥珀色ですね!……すごい、なんて綺麗なんだろう」
「ッ!そんな、大袈裟だよ」
まるで宝石のような澄んだ瞳にうっとりしていると、琥珀はせっかく寄せてくれた顔を再び胸に埋 めてしまった。
(この子、すごく恥ずかしがり屋さんだなぁ)
時折りプルプルと体を震わせている様子に内心キュンとしながら、落ち着くまで頭を撫でる。
「……ねぇ、お兄さんは、なんで俺なの?」
消えそうな小さな声が、ポツリと落ちた。
「え?」
「店の人に聞いた。お兄さんからどうしてもって俺を指名してくれたんだって。俺、まだトレーニング中だから、店の判断でしかお客さんを回されないんだ」
腕の中で、琥珀の体が少しだけ萎縮した。
戸惑うように言葉を絞り出す。
「店の人がお兄さんなら大丈夫って判断したんだろうけど、お、俺なんかで……良かったのかなって……」
「そんなこと」
不安そうに小さくなる体を撫でて、話そうか迷っていたことを打ち明ける。
「実はね、私たちはじめましてじゃないんですよ」
「……えッ?!どういうこと?」
琥珀がガバリと起き上がり、目を丸くした。
「ハハ。その様子だとやっぱり覚えてないですよね。あの時キミは動転した様子だったし」
「え?!あの時っていつ?!俺お兄さんとどこかで会ってたの?!」
それまでで1番大きな声が、部屋の中に響いた。
「春に写真展へ来てくれたでしょう。あの会場、私の会社が運営していたんです」
「しゃしん……展?あッ!」
「あの時、倒れたキミに手を噛みつかれたのが私です」
「……ひッ!!」
「あはは、別に怒ってないですよ」
思い出したと言わんばかりに青ざめていく琥珀を見たら、可笑 しくてついつい笑ってしまった。
「ご、ごめん!ごめんなさい!あの、俺あの時色々あって……えっと、その……」
「大丈夫だから。気にしないで」
「お、俺に何か賠償させる目的でここへ来たってことですか?!どうしよう……えっと、えっと、うわああ……どうしたら!!」
あたふたと取り乱して謝罪を繰り返す琥珀の様子が面白い。
だけど、そのうち焦りすぎてプスンと壊れてしまうんじゃないかと不安になった。
薄い体を再び抱き寄せて、なんとか宥 める。
「大丈夫。そんなこと思ってるわけないです。う〜ん、これを言ったら逆に引かれてしまうのかな……」
「な、なに?言って!!言って!!」
「ええと……」
真剣にこちらを見つめる琥珀につい本心が揺らぎ、秘めていた想いが溢 れ出す。
「――私はキミに一目惚れして、キミを探してここに辿り着きました」
「え……?」
琥珀は元々丸い大きな目を更に見開いて、口を開けたままポカンと固まった。
「あっ、いきなりすぎました!!今のは忘れて下さい!」
「……」
(ただでさえこの仕事に怯えているのに、自分まで恐怖を与えてどうする!!)
事実といえど、口を滑らせたことを悔いながら、慌てて取り繕う。
「わああ、えっと!その、間違えました!!でも、気になったんです!キミのことが!!興味が湧いちゃって」
「……俺に?」
「そう。監視員だからね!ああ、そうそう!聞こうと思ってたんです。花の写真のこと!」
「花?」
「オレンジ色の花の写真です。目を留めていたでしょう?あの日キミが唯一見上げた作品でした」
「あ……あの、百合の花……」
「そう!百合の花!お花が好きなのかな?」
琥珀は少し俯 いてから、ゆっくりと話し出した。
「……タイトルが、気になったんだ」
「タイトル?確か『私を……』でしたよね。抽象的なものなのに、どうして?」
「……愛して……だと、思ったんだ」
「へ?」
「何かを訴えかけてるように見えたから!勝手に俺がそう感じただけ!ああもう恥ずかしいよ」
琥珀は顔を赤らめ、布団の中に隠れてしまった。体が薄いので、一見どこにいるのか分からない。
「そんな、何も恥ずかしことなんてありませんよ!鑑賞は自由です。たとえ作品の保持者は決まっていても、作品の目の前に立つ間だけは、その人だけの物なんですから」
「……」
「あああ、せっかくリラックスしてきてたのに、もう嫌われちゃいましたか?」
「……嫌ってない!ていうかお兄さん、それ聞くためにわざわざ追いかけて来たの?」
「え、ま、まあ……」
「娼館 に?」
「き、キミと、仲良くなりたくて!!その……話が、したかったから」
「……」
本当は、好きだからに決まっている。
そう伝えようとするも、怖がられることを恐れて何も言えなくなる自分がいた。
今すぐに嫌われるくらいなら、呆れられても引っ張って関係を繋ぎ止めたい。
「信じられない!どんだけ熱心な監視員なのさ!」
「ハハハ……ハァ」
「変なお兄さん。せっかくイケメンなのに、勿体ないね」
(ほ、褒められた……!)
「ああ、ほらほら、時間が来ちゃうんだけど。ホントに話して終わっちゃうよ」
琥珀がふとベッドサイドの時計を見て、気まずそうに言った。
「私は構いませんよ。話そうって提案したのは私なんですから」
「嘘でしょ!?お兄さん馬鹿なの!?高い金払ってそれって欲無さすぎでしょ?」
今日は琥珀に会えて、こんなに話せた。
それだけで胸がいっぱいで、これ以上の幸福を今はまだ考える余地もない。
「じゃ、じゃあせめて……ん」
「――ッッ!」
頬に、フニッとした柔らかいものが当たった。
一瞬の出来事に、思考が止まる。
「噛み付いたお詫び。仲良くなりたかったんでしょ。こんなんじゃ全然サービスになってないけど」
「あ……ああ……ああ!!」
「お兄さんは怖くないから、初めて自分からできた。そうだお兄さん、名前なんていうの?」
「も、本谷 です」
「ふ〜ん、本谷さん」
(わあああああ!一気に進展が!!)
突然の不意打ちに昇天し、思わずキスされたのと反対側の頬を抓 る。
「俺、楽しかったよ。久しぶりに普通に人と話せた気がする」
「あ、あの……あの……」
「どうしたの?」
「絶対絶対、私はなんとしてでも必ずまたここへ来ますッッ!!」
「……ぷっ、あはは!本谷さん、気合い入れすぎ」
ふわりとゆるんだ琥珀の顔から、初めての笑顔が溢 れる。
そのあどけない愛らしさに、これまでの葛藤と苦しみが癒やされていった。
この子の笑顔を護りたい。
ずっとそばにいて、ひたすらに愛したい――。
心の底からそう願い、最後にもう一度、華奢な体をぎゅっと抱きしめた。
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