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第35話 無理解

琥珀(こはく)、今日はもう上がりだ。下の部屋に帰っていいぞ」 電話越しに店長から告げられ、琥珀は安堵(あんど)した。 「そうだ、最後に入った背の(たけ)ェ兄ちゃんな、お前のシフトが出てる2ヶ月先まで、毎週日曜のラストを全部押さえて帰ったぞ。さすが西園寺(さいおんじ)様の紹介だな」 「え……?」 「始めて数日にしちゃあ、上出来じゃねぇか。ちゃんと休んどけよ」 「は、はい」 部屋の中で固まる琥珀の心の声が思わず漏れる。 「ウソ……。あのお兄さん……本谷(もとや)さんが、毎週?!よ、予約してくれたってこと?俺、あんなんで良かった?のかな……」 琥珀は店の裏口から出て、昇降口を通って同じビルの7階の自室を目指した。 逃げようと思えば多分いつでも逃げられるのに、それができないのは逃げた所で現状が更に苦しくなることが分かっているからだ。 ラストの1本こそ会話だけで終わったが、1日を終えて、疲れた様子は隠しきれない。 仕込み期間の過酷な依頼とはまた違い、実際に客の相手をするとなると、本当に色々なものが擦り減るようだ。 「早く帰って横になりたいよ……」 そう呟きながら、見慣れた廊下を1人静かに進んだ。 「あれ……部屋が明るい。誰か来てる?」 「――おう。琥珀、頑張ってるか」 自室に戻ると、嗅ぎ慣れたタバコの臭いと共に、低い声が琥珀を柔らかに包み込んだ。 「……ッ!樫原(カシハラ)さんッ!」 「来たぜ」 一見強面(こわもて)風の(たくま)しい男が、ソファから立ち上がった。 「樫原さんだ!!」 琥珀は思わず駆け寄って、樫原の腰に飛びついた。 「こらこら、可愛い反応嬉しいけどよ、まだ離れて5日も経ってねぇじゃねーか」 「うう……だって」 「どうだ?うまくやってるか?」 「……」 突然黙り込む琥珀を見て、樫原はその強そうな見た目とは裏腹に、優しい笑みを浮かべた。 「まあな、最初はそんなもんだ。特にお前はだしな」 しがみつく小さな頭を見下ろして、励ますように告げる。 すると琥珀が対抗するように、樫原を見上げて興奮気味に口をパクパクさせた。 「でき……できた!!」 「あん?」 「じ、自分から……キス……とか、お(しゃべ)りも」 「お前自ら誰かにキス?!マジか。そりゃすげぇ。にわかに信じがたいがエライじゃねぇか」 グシャグシャと勢いよく頭を撫でられ、琥珀は後ずさりしながらぎゅっと目を(つぶ)った。 「ん?琥珀、なんかいい事でもあったのか?」 「……?」 「いつになくちょっと生き生きしてるぞ」 「そ、そんなことは……ない?!です」 「まぁ思ったより元気そうで良かったわ。とりあえず顔見れて安心した。そのうちまた来るから。おやすみな」 「……あッ」 服を(つか)もうとする琥珀を(なだ)めて、ポンポンと頭を撫でた樫原は、そのまま部屋を出て行った。 「もう行っちゃった……」 取り残された琥珀の顔に、寂しさが(にじ)んだ。 翌朝も特に変わりなく琥珀の1日は始まった。 10時頃目覚め、とりあえずシャワーを浴びてゆっくりしてから正午までに店へと向かう。 店では出勤キャスト全てに個室が与えられ、希望に応じて食事も支給されていた。 接客中に着る衣服や必要な日用品類も全て店が取り揃えてくれるので、特に支度もいらない。 自宅から通う他のキャストとは異なり、琥珀の場合ひたすらビルの7階と9階とを往復する毎日だった。 「琥珀、今日は予約を3本お前に回したから。頼むぞ」 「……はい」 恰幅(かっぷく)の良い店長から指示を受け、小さく(うなず)く。 客は大抵2時間以上のロングコースで入る場合が多く、単純な性行為よりも、どちらかと言えばフェチプレイを好む者が大半だった。 『あれやって』、『これやって』と客からの注文は尽きることなく、毎回何度も時計を見ては、早く終われと心の中で唱えていた。 「……よし。あと1本で、やっと終わる」 なんとか今日のラスト1枠を前に、琥珀は自分を奮い立たせる。 明日はようやく休みが貰えているので、それを励みに気合いを入れた。 「琥珀、次のお客様からプレイのオーダーがいくつか入った。必ずこなせよ」 ――ッ!」 店長から電話が入った後、アテンドの店員にオーダー表を手渡され、思わず青ざめる。 明らかにハードなSMプレイのオプションばかりが盛り込まれ、金額が跳ね上がっていた。 「先にできるだけ自分でよく(ほぐ)しておきなさい。痛いのは嫌でしょう」 「……」 「こちらのバッグに使用する各グッズが入れてあります。お代は先程既にいただいていますから、分かってますね?」 「は、はい……」 返事をしたものの、琥珀は足が(すく)んでしばらくその場から動けなかった。 店員に手渡されたバッグの重みに、狼狽(うろた)えることしかできない。 「――あッ!!」 ガチャリと扉が開いて、早々(そうそう)にスーツの男がズカズカと部屋の奥まで入ってきた。 ドサリとソファに腰掛けると、脚を組んでおもむろにネクタイを(ゆる)め、脱力した。 「あー、店員の前で猫被んの疲れたぜ。いいから黙って通せっつの」 「……?!」 入室早々悪態(あくたい)をつく男に、琥珀の警戒心が高まる。 「お前だな。おお、こりゃなかなかだ。名前は?自己紹介してみろよ、新人ちゃん」 「こ、琥珀……です」 「は。そんだけか?やる気ねェな。琥珀だと?随分大層な名前だな。本名か?源氏名か?」 「……どっちでもいいだろ」 「ああん?テメェ、今なんつった」 ヤバイ。そう思った時には、もう手遅れだった。 いきなり男は琥珀に馬乗りになり、バッグを逆さまにして中のグッズを床に全て()き散らした。 「ッ!いやだ……!」 すぐにその中のロープを手に取ると、抵抗する琥珀を押さえつけ、服を()いでその体を緊縛した。 「お客様に対して舐めた口訊いてんじゃねェよ!(しつけ)がなってないなぁ?そんな無愛想で許されると思ってんのか?」 「……うぅッ!やめっ!」 ロープをキツく縛られて、全身に痛みが走る。 懸命に身を(よじ)るも、動く度にどんどん締め付けられて、苦しくなった。 「お前、なかなかいい(ツラ)してやがるし、久しぶりに(いじ)めがいがありそうで嬉しいぜ」 「うあッ」 急に体を持ち上げられて、琥珀が小さく(うめ)いた。 「オラよ、早速恥ずかしいことしてやるよ」 「――ああッ!!」 シャワールームに入るやいなや、男はシリンダーに入った薬液を琥珀の肛門へと押し入れた。 そのまま素手で何発か尻を叩いて、(もだ)える様子を楽しそうに見下ろした。 「ふッ……うッ……ああ」 「もう効いたか?無理矢理全部入れたから腹までパンパンだな。いいザマだ」 「くッ、うう」 「オレは今からお前のご主人様だ。何て言えばいいのか分かるだろ?懇願(こんがん)してみせろよ」 「う、うう……ハァ、ハァ」 「言え」 男は琥珀の頭を殴り、顎を掴んで凄んだ。 「……だ、させて……下さ……い、ご主人……さ……まッ」 「フッ、いい気味だ。オラ、出しちまえ!」 「う、う、あああ」 (こら)えていた涙が(にじ)み、視界が歪んだ。 全く同じセリフを、樫原の腕に抱きしめられて言ったことを思い出す。 腹の痛みから(わず)かに解放されても、恐怖心はジリジリと募っていった。 「――あ、ああ……いッ……痛……い」 全身を緊縛された状態で、床の上で嬲られ続ける。 「こんなのまだ序の口だぜ?SMルームを希望したのによ。お前がまだ新人だからダメだって。せめて楽しませてくれよ」 「んああッ!も……入らない、よッ!」 「ホントは好きなんだろ?こんなとこで働くしか脳のないお前はよォ」 「ひっ、あ……中が……熱……い」 グチュグチュとローションにまみれたアナルビーズを奥まで詰め込まれ、同時に尿道をプラグで激しく刺激される。 張り詰めた性器の根本をキツく縛られ、乱雑に亀頭を踏みつけられた。 「うッ、うう、もう……やめ……んんッ」 (かが)んだ男がディープキスをして、琥珀の敏感になった乳首を力任せに引っ張った。 「あああ、い、痛いよォ!!」 琥珀が痛がって泣き(わめ)くほど、男は(えつ)(ひた)り興奮を高めていった。 「その泣き顔、(そそ)る。もっと感じろよ」 男の腕が琥珀の下半身の緊縛を解き、強ばる細い両脚を左右に割り開く。 強引にアナルビーズを引き抜くと、痩せた体が刺激に耐え切れずビクビクと跳ねた。 「あ……ああ……なん、で……」 「何でだと?テメェを甚振(いたぶ)るのが愉快だからに決まってんだろ。グズグズになりやがって、もうヤッちまってもいいよな?」 男が琥珀の体をモノの様にベッドに投げつけると、小さな体は恐怖に震え出した。 「や、やだ、やだぁ」 「ほらご褒美だ。お前、ホントは男に()られるのが大好きなんだろ?」 「……違ッ……んんッ……あッ!」 男は琥珀に挿入すると、痛がって眉を(しか)める様子を無視して強引に揺さぶった。 「こんなんで(よろこ)んじまって、最底辺の淫乱野郎が!!」 「……うッ……あッッ!」 「お前なんて、体売ることしかできねェ愚かな犬だ!!」 「……ッ……ふッ……」 「そうだ、知ってるか?『琥珀』ってよォ、宝石だけど鉱物じゃねェ仲間はずれのただの化石だろ?」 「ん……ハッ……」 「熱ですぐ溶けちまうし、ダイヤみたいに衝撃にも耐えらんねェ。ただの(もろ)い樹脂なんか綺麗でもなんでもねェよ」 「……ッッ」 「弱くて人権すらねェ半端モンのテメーにピッタリの名前だな!」 「……」 男は不意に動きを止め、琥珀の髪を引っ張り上げて怒鳴り付けた。 「オイ。黙ってんじゃねェよ!!もっと鳴いてオレを楽しませてみやがれ!!」 「……」 男は声を荒げ、既にボロボロの琥珀の体を強く揺すった。 琥珀は目を伏せたまま、唇を噛み締める。 「コイツ……!ムカつくッ!!」 その瞬間、怒りに狂った男が琥珀の頭ごとベッド横の壁に打ちつけ、壁一面に()められていた鏡がガシャンと音を立てて砕け散った。 薄暗い部屋の中でも、血しぶきが散ったのが男の目にもハッキリと映った。 軽い体は、少しの力で簡単に吹き飛んで怪我を負ったのだ。 シーツの上に横たわる痩躯(そうく)の周りに、赤い血溜まりがじわじわと広がっていく。 「う、うわ、うわああああ!ヤベェ!誰か、誰か――!」

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