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第37話 反芻

「みんな今日もお疲れ様。それじゃ、明日からは各自、来週の搬入日までに担当部門を詰めておくように」 「はい!」 終礼が終わり、古河(ふるかわ)リーダーからの激励に数十名のスタッフが元気よく返事をした。 次回の展覧会に向け本格的な最終調整が始まって、緊張感とともに新しい企画への高揚感が高まる。 うちの会社では今後、百貨店内にある催事スペースを借りて、夏休みのファミリー向け体験型展示を運営することが決まっていた。 子ども達が触って遊べるアート空間や、気軽に美術に親しめるワークショップなど、普段より(にぎ)やかになりそうな予感がする。 (うん、企画書をもう少し読み込んでおきたいし、関連作家のプロフィールも調べておきたい。わくわくするなぁ……!) 「あらあら?最近の本谷(もとや)君、嬉しそうだね?」 「お?もしかして、ついに彼女でもできたのか?うちの職場、若い女の子少ないから俺達心配してたんだぞ〜」 先輩スタッフにニコリと笑顔を向けられ、ついつい琥珀(こはく)の顔を思い浮かべる。 「や、何言って!違いますよ!」 「照れちゃって〜!お前、素材はいいけど真面目すぎるからな、あんまり力むなよ〜!」 「ハハハハハ」 「――もう」 1人残った事務所の中で、大切に保管してあった過去の図録に目を通す。 そのページの中には、あのオレンジ色の花の写真が強く輝いていた。 「これを見て、琥珀はこの花が『愛して』と訴えているように感じ取ったのか……」 印刷の上からそっと指で花をなぞり、琥珀の抱いた切ない感情に想いを馳せる。 それはもしかしたら、花を通して浮かび上がった琥珀自身の願いなのではないか。 ふいに胸をキュッと締め付けられて、静かに図録を閉じた。 ヴー……、ヴー…… 「……!」 着信のバイブ音が鳴り、我に返って携帯を取り出す。 「あ、めーたんだ」 「――そりゃ気になりすぎるでしょう!むしろなんで報告ないのよおかしいでしょう!」 (めぐむ)からの突然の誘いで、今日もまた居酒屋に来てしまった。 相変わらず恵は元気いっぱいで楽しそうだ。 「ダチなのに薄情だぞ、もとやん!」 「もちろん、めーたんにはお礼を言いたかったよ!忘れてたわけじゃ……!」 「で?で?店に居たの?例の子はッ!」 その質問に、ついついビクリと体が跳ねる。 「……い、居た……よ。居た……んだ」 まるで自分に言い聞かせるように言葉を絞りだす。 琥珀に再会できた喜びと同時に抱きざるを得なかった不安が、改めて湧き上がった。 「そっか、やっぱり店の子でアタリか。ホントに男娼だったんだな!」 「う、うん」 「まあ、複雑ってかんじ?」 「……うん」 自分が琥珀に一目惚れして、ずっと探してきたことを恵は知っていた。 恋した人が男で、しかもよりによって男娼だなんて、普通じゃきっと考えられない。 話に詰まり、恵の顔すら見ることができない。 いくら恵でも、否定するに決まっている。 「で、良い子だった?その子」 「……!」 「実際会ってどうだったわけ?めちゃくちゃ気になるじゃ〜ん!」 恵は変わらず楽しそうに瞳を輝かせていた。 「と……」 「と?」 「と、て、つ、も、な、く!!可愛かったです」 これはダメだと、自分で気付く頃にはもう止まれなかった。 抑えていた琥珀への愛がとめどなく(あふ)れ出す。 「それが聞いてくださいよ!可哀想に琥珀ったらカーテンに(くる)まってうるうるしてたんですよ!こっちおいでってなんとか震えを止めて、ヨシヨシしてたらちょっとずつ心開いてくれて……!」 「ん?」 「それだけでもう可愛いでしょ?!なんかずっとプルプルしてて……、あ、可愛いっていうのは、仕草だけじゃなくて」 「お?」 「ちょっと痩せすぎですけど見た目もきゅるきゅるしてて可愛いくて、白くて頭がちっちゃくて、睫毛が長くて……まさに天使!!」 「お、おう」 「その子がずっと胸の上で転がってたんですよ!キュッて私の服とか掴んじゃって、たまにぐりぐり顔擦り付けてくれるし、もう可愛いすぎて!!」 「――もとやんお前、ウサギかわんことでも戯れてきたのか?」 「……え?」 琥珀の可愛らしさ全開の初お目見えエピソードを話したつもりが、恵には全く響いていない。 「体はいいわけ?シャワーは一緒に浴びたんだろ?」 「へ?浴びてない」 「なんだよ速攻かよ!じゃあテクニックがヤバかったとか?」 「テクニック?」 「男同士なんだから良いとこ色々試せるだろ!」 「……お互い裸になってもいないんだけど」 「ちょっと待て」 みるみる恵の表情が固まっていく。 「もとやん、まさかエロいことなんもしてねェの?!」 「え?え?!エロ……?」 「そういうことする所だろ!!つかまさか、することなんもしてねーじゃねぇの?!」 「……」 「マジかよ。初回だからってそれで帰ってこれるもとやんがすげぇよ」 「い、一応琥珀が最後にキスしてくれました。ほっぺに」 「子どもかよ〜〜!」 呆れる恵を前に、ヘラヘラと笑うことしかできない。 そもそも琥珀を目の前にしてその姿があまりにも美しく、そんなことを考える余裕が無かった。 「つ、次がありますから」 「次も予約取ったのか!」 「はい、2ヶ月先まで毎週日曜日を。月曜日は休みなんで、夜遅くなっても良いかなって」 「……は?」 「だから毎週日曜日……」 「もとやん、お前……前から思ってたけど、控え目なのか積極的なのかどっちだよ!」 小さな体全体を使って激しい驚きを表現する恵に、ついつい笑みが(こぼ)れる。 「う〜ん、好きなものは宝箱に入れて、ずっと大事に愛でていたい派かな」 「もしかしてもとやん、束縛激しい系?」 「まあ、職業柄?大事なものを護るのは当然かなと……」 「気をつけろよ。ただでさえストーカー予備軍なんだから」 「や、やだなぁ、あはははは……」 乾いた笑いが、テーブルに転がって落ちた。 「それより琥珀がね、甘い物が好きらしくて――!」 恵に話したい琥珀の話は、まだまだ終わらない。

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