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第39話 成長
「あの、もう平気です!俺1人で大丈夫ですッ」
「なに言ってる。まだちょっとフラついてんじゃねーか。ミヤビに一緒に入ってもらえよ」
「そうだよ琥珀 ー!背中流してあげるからね♪」
「え……」
額 に切り傷を負って数日が経ち、痛みは殆 ど無くなっていた。
医者からもようやく入浴の許可が降りたというのに、相変わらず続いている過保護なまでの看護に戸惑いが隠せない。
「なになに琥珀、もしかして樫原 さんがいいの?!オレショック〜!」
「バカ言うな。何が楽しくて40手前のおっさんと入りたい奴がいるってんだ。若者同士で仲良く入っとけよ」
「……」
向かい合って浸かる浴槽の中で、自分を見つめる笑顔が眩しい。
「こーはーく♪キモチ?」
普段は後ろで軽く1つに纏 められた金髪が解かれて、はらりと肩にかかっている。
「……気持ちぃです」
「ふふふ、良かった。こっちきて」
黙っていればクールな目元も、今は無邪気に緩み、人懐っこい八重歯が顔を出す。
そのまま長い腕に体を掬 い上げられ、蔓薔薇のタトゥーが入ったデコルテに抱き寄せられた。
「あの……」
「おでこの傷見るだけ。何もしないから」
「ん……」
「どした琥珀?固まって」
(近くで見ると、ミヤビさんってホントにかっこいい……。芸能人って、きっとこんなかんじなんだろうな……)
集団の中でも一際目立つスラリと引き締まったスタイルの良い体。
それに加えて、例えアイドルだと言われても疑わぬほどの爽やかな顔面。
隠しきれない美麗なオーラが、常に人を惹きつける。
ヤクザであることが勿体無いと思うほどに、この人には華がある。
(ミヤビさん、なんでヤクザなんかやってるんだろう……勿体ないなぁ)
「ちょっと琥珀?至近距離でそんなに見つめられると照れちゃうよー」
「あッ!すいません!」
ついつい見惚 れてしまい、焦って視線を逸らす。
「……っとに。こんな可愛い顔に怪我させて、改めてマジで許せねェ」
「ミヤビさん……」
ぎゅっと体を抱きしめられて、湯船がチャプンと波打った。
客の男から受けた仕打ちは、今でも心に鋭く冷たい棘のように刺さったまま、抜けることはない。
あんなに暴力的に虐 げられたのも初めてだったし、まだ辛うじて自分の中に残っていた尊厳までもを踏み躙 られた。
それでもこうしてミヤビさんや樫原さんが俺を大切にしてくれるから、全てを受け入れることができた気がする。
「新人を狙う初モノ好きの奴ってゼッタイいるよな。商業サロンってこと忘れて、威厳を振りかざすタチの悪い奴もいるって聞くし……」
「……はい。俺を殴ったお客さんも、きちんとしたスーツの人で、一見普通だったんです。ちょっとびっくりしました……」
「明らかチンピラみたいなナリじゃ仕事になんないからね。今時ヤクザでも見た目は普通だよ」
「そう、ですか……」
「オレが言った所で他人事みたいに聞こえるかもだけど、今回みたいな奴は多分稀だよ。だから……」
両頬をミヤビさんの掌 に挟まれて、顔が近づく。
涼しげな目元の青みがかった綺麗な瞳が、真っ直ぐに突き刺さった。
「がんばれ、琥珀。オレも樫原さんもついてるからな」
いつもの飄々とした雰囲気とは違うストレートな言葉。
力の籠 った切実な響きに、孤独な心が熱く包み込まれていく。
「ありがとうございます。俺、まだやれます」
「そっか。強くなったね」
まるで俺の成長を噛み締めるように、ミヤビさんは穏やかな表情で微笑 んだ。
「さっすがオレの琥珀ちゃん♪えらいぞ〜!!ちゅ〜〜♡」
「えっ!わあっ!」
抱きしめられたまま頬擦りされて、何度もキスを落とされる。
いたずらな笑顔は、すっかりいつものミヤビさんだった。
「かわい♪琥珀、いい子。ん〜〜♡♡」
「わああ、俺犬じゃないですっ!もうっ!ちょ、ミヤビさんっ!」
頭を撫でくりまわされ、気恥ずかしいけれどどこか誇らしい。
「へへ……俺だって、少しはこなせるように……あれ……なんか、視界が……」
頭が急にフワフワし、体の力が抜けていく。
「ぎゃッ!琥珀?!しっかり!!」
(なんか……もう……ダメ、かも……)
「か、樫原さーん!!ちょっと来てー!!琥珀が逆上 せちゃいましたー!!」
――柔らかい風が、涼しくて心地良い。
「……ん」
視界を塞いでいた冷たいタオルが取り払われると、団扇を持ったまま扇 ぎ続ける男と目が合った。
「おう、大丈夫か」
耳障りの良い低音に、少しずつ意識が覚醒し始める。
「ッたく。ミヤビは何のために琥珀に付き添って風呂入ったんだか。どうせまたお前、オモチャにされたんだろ」
「ッ!樫原さん!……へ、わ、うわああ!」
バスタオルが敷かれたベッドに横たわった体は、裸のままだった。
明るい部屋であられもない姿を晒している状況に、羞恥が一気に込み上げる。
「罰としてミヤビに買い出し頼んだからな。戻ってきたら食えそうか?」
「わああ……!え……?!は、はい!」
慌てて掛け布団で体を隠すも、樫原さんは構わず冷静だった。
「それとな琥珀。店の出勤は次の月曜からでいい。日曜いっぱいはしっかり休んどけ。俺から店長に言っておいてやるから」
「日曜……」
「お前もその方が」
「だ……ダメです!!」
「……あ?」
思いの外大声が出てしまい、自分で自分の必死さに一瞬躊躇する。
「その、日曜日は予約が入ってるはずで……それで……」
「予約?そんなのキャンセルでいいだろ。つか驚いたな。お前が自分からそこまで言うなんて」
「……」
「琥珀?どうした」
店での仕事は嫌だけど、どうしても心に残る一人のお客さんの顔が浮かんでしまう。
(あの人……本谷 さんが、また会いに来てくれるはずなんだ!!)
「なんかあるなら言え」
「は、初めて……接客が……た、楽しいって思えたお客さんが、また来てくれるんです。俺、ちゃんと迎えたくて」
「琥珀……」
樫原さんは、驚いたように俺を見た。
「そうか、分かった。それなら日曜はその予約の客だけ相手しろ。いいな」
「……!はい!!」
(……良かった!)
「琥珀ー!!復活したー?!」
「あ、ミヤビさん」
部屋のドアが開いて、ミヤビさんが勢いよく駆け寄ってくる。
その両手には、ビニール袋いっぱいのコンビニスイーツが携 えられていた。
「ミヤビ、俺のタバコは」
「あー!忘れちゃいましたぁ!禁煙しててくださーい♪」
「ッ!なんだと?」
「琥珀、甘いのいっぱい買ってきたよ♡どれがいい?好きなの取りな」
「わああ!」
美味しそうなデザート類を前に、ついついテンションが高まる。
「よしよし、いっぱい食べな〜♡」
「ミヤビ!もっと栄養付くモン買ってこい。あと琥珀にあんまベタベタ触るな。どんどんペット化してんじゃねぇか」
「……樫原さん?知ってますか?甘いのが好きな子って、甘やかされたい願望が強いらしいですよ?」
「なんだよそれは」
「琥珀にはちゃんとした愛情表現が必要なんです!」
「チッ、琥珀は俺にだって懐いてんだよ。な?琥珀?こっち来い」
(チョコ美味しい……あとこのメロンのも食べたい……!!)
「聞こえてないみたいですよ?」
「んなッ!うるせーよ!!」
「琥珀?おいし?」
「はい!!美味しいです!!ミヤビさんッ!」
上機嫌で笑うミヤビさんの隣で、何故か不服そうな樫原さんに睨まれている気がする。
(ニコチンが切れて辛いのかな……)
「琥珀、もっとゆっくり食べな〜♡」
「……!はいっ!」
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