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第43話 緊張
――土曜日の昼下がり。
強い日差しの中、街を行き交う人々はみな真夏の装いで、街路樹の日陰を求めて歩いた。
大通り沿いの商業地域一帯は、夏休みという時期も相まって、学生や家族連れの姿が目立つ。
「ハァァ、駐車場満車なんだもん。歩き疲れたっすよー!店ん中、超涼しー♡ねぇ琥珀、樫原 さんに冷たいモノ奢ってもらお♪」
「……」
「ミヤビ、そんなに歩いてねぇだろ。あと服が先。琥珀 はなんださっきからキョロキョロして」
「香水みたいな匂いが……すごい」
化粧品売り場が広がる百貨店内の1階は、煌びやかな空間がどこまでも続き、高級感が漂っていた。
「俺実はデパートって人生初めてで……やっぱり場違いですッ」
「マジ?!琥珀の初めていただきました♡別に普通だよ?そんなに構えなくて平気だってー♪」
「セレブしか入っちゃダメなんじゃないんですか?!」
「そりゃあ一体どんな常識だ」
これまで全く縁のなかったお洒落な世界は、琥珀にとって見るもの全てが新鮮だった。
非日常に、心がまだ追いつかない。
「あ?やたらと賑わしいな」
店内を進みエレベーターへ向かう途中、軽快なBGMが流れるイベントスペースにさしかかった。
「なんかやってるみたいっすね〜」
ランウェイが設置され、人だかりができている。
どうやら有名ファッション誌が主催する開放型の大きなイベントが行われているようだった。
「す……すごい人。あ!待ってくださいっ」
琥珀は嫌な予感がして、必死に2人を追いかける。
「それでは皆様!大人気読者メンズモデル達によるトークショーをはじめさせていただきます!」
「キャー!!」
司会者が華々しく告げると集まった女性ファンからは大きな歓声が上がり、聞きつけた周囲の客らがさらに押し寄せる。
動揺した琥珀はあっという間に人波に呑まれ、前を行く2人と引き離されてしまった。
「チッ、人が多いな。あ?琥珀は?」
眉間にシワを寄せた樫原が周囲を見回すが、女性客らと身長に大差ない琥珀の姿はすっかり消えてしまっていた。
「え……?樫原さん……?ミヤビさん……?」
迷子になり、思わず半泣きになる。
容赦なく焚 かれるカメラのフラッシュが眩しく、その場で足元が竦 んだ。
「琥珀ちゃ〜ん!こっちこっち!大丈夫〜?」
幸いすぐに人混みの中から、ミヤビが琥珀の細い腕を引き上げた。
「わあッ」
「ヘロヘロじゃん!人酔いしちゃった?はぐれるからオレに捕まってな♪」
八重歯を覗かせ、ミヤビは満面の笑みを浮かべた。
「ねぇねぇ、ちょっと見て……!」
「わぁ!ホントだー♡」
知らないうちに、周囲の女性客らがざわつき始める。
「あの人もモデルさんかなー♡かっこいい〜♡」
「絶対一般人じゃなくない?!ステージの読モよりイケメンじゃん!!脚ながー♡♡」
注目を集めているのは、紛れもなくミヤビだった。
「怖かったね〜琥珀、もう大丈夫だよ〜♪」
意気消沈する痩せた肩を寄せ、ミヤビは琥珀の頬にキスした。
「一緒にいる彼女も顔ちっちゃーい!♡髪サラサラだし色素が薄くてお人形さんみたーい♡」
「ホントだ超可愛い!!美男美女ー♡♡」
ステージに向いていたはずの視線まで、次第に観客席後方へ集まり始める。
異変に気付いた司会者の表情は、焦りに変わった。
「な!しまった、ミヤビ!!」
遠巻きに2人を見つけた樫原もまた、その表情を曇らせた。
「行こっか琥珀♪……ん?」
「そちらの金髪のお兄さん!!芸能界にご興味ありませんか?!是非ウチの事務所にッッ」
行く手を阻 む声に、思わず足を止める。
「ウチが先ですよ!!失礼、我が社は新人俳優を養成しております。あなた様のような素晴らしいルックスであれば、即売り出し可能でございます」
「いやいや、こっちが先にスカウトしてんだよ!!私ども大手モデル事務所の」
「ちょっ、邪魔すんな!!」
メディア席から駆けつけた数人のビジネスマン風の男達が、競うようにミヤビの周りを取り囲んだ。
我先にと名刺を突き出し、振り向かせようと必死にアピールする。
「すいません、オレそーゆーのは無理なんで」
スカウト……?あまりに唐突な出来事に、琥珀はポカンと固まっていた。
「そんな勿体ない!!絶対売り出してみせますのに!」
「オレ今、超忙しいんす。それに……、オレには一生ついて行くって心に決めた人がいるんで」
低いトーンで告げると、スカウト達を冷ややかに一瞥 する。
青く涼しい瞳はその場の全てを惹きつけ、同時に騒音を一蹴した。
「だから、ゴメンナサイ♡イベントの邪魔なんで失礼します」
コロリと表情を変えて、人懐っこく舌を出した。
悪戯 な、それでいて太陽のような眩しい笑顔に、周囲は皆釘付けになる。
「あ、樫原さ〜ん!今行きま〜す♪」
マイペースに伝えると、腕にしがみつかせたままの琥珀と共に歩き出した。
「お待ち下さい!!じゃあせめて、そちらの可愛らしい彼女様はいかがですか?アイドルなど……」
「しつっけぇなぁ」
「……?!」
「琥珀に近づいてんじゃねーよ!!あとコイツはオレの弟!お・と・こ・の・こ!!」
吐き捨てるように叫ぶと、足速にその場を去った。
――そわそわと、落ち着かない。
高層階フロアのサロンで、素人目にも明らかにハイブランドな品々を、次から次へと充 てがわれる。
「ハァ、そろそろ機嫌直せよ」
琥珀の傍 で着替えを手伝う樫原が思わず溜息を吐 くと、膨れていたミヤビは不満そうに項垂 れた。
「だって折角の琥珀とのデート、初っ端から邪魔されたんですもん」
「お前にゃよくあることじゃねぇか」
「う〜!」
「琥珀、着れたか?」
「はい。えと……どうですか?」
「おかしいな。モノは良いはずなんだが、なんか野暮ったいっつーか、服に着られてる感あるっつーか」
人目を避けるために表社会でも通る柚木の名前を出して、外商サロンの別室を陣取った。
特別な顧客しか入ることのできないこの部屋で、販売員選 りすぐりのブランド服を試着する。
琥珀は慣れない状況に戸惑いながら、先程大衆の面前で女の子に間違えられた事など忘れて、粗相のないよう必死だった。
「あ、あの……ミヤビさんは、やっぱりどこにいても目立ちますよね」
「無駄にオーラがあるからな。こいつと並んで一歩外に出ると、やれナンパだ、やれスカウトだ……って毎回すげぇ疲れんだわ」
「ヒドイ樫原さん!オレ悪くないもん!」
「はいはい」
琥珀の抱いてきた思いは、今日で確信に変わった。
「お、俺もミヤビさんのこと、めちゃくちゃカッコイイなって……思ってました……ずっと。ミヤビさんみたいだったら、もっと堂々と生きられたのかな……って……」
たどたどしく伝える琥珀に、樫原とミヤビは目を丸くした。
「琥珀……!!オレのことそんな風に思っててくれたんだ!ちょっと感激なんだけど?!」
「琥珀ぅ、ミヤビのビジュアルに騙されると痛い目に遭うぞー」
「ちょっと樫原さん!!そこ代わって下さいよ!!」
「おう、なんだ急に」
ミヤビは樫原を押し退 けて、琥珀の腕を持ち上げた。
試着中のシャツを捲 ると、穴が足りずに上手く締まらないベルトに加え、激しく布の余ったズボンが露 わになった。
「ひゃ!」
「なにこの見立て。ねぇ、スタッフさーん!」
ミヤビに呼ばれた販売員が、即座に顔を出す。
「いかがされましたか?次のものをお持ち致しましょうか?」
「このブランドの秋まで着れそうな夏物と、新作の秋コレクションってありますか?最近SNSに上がってたやつ。できればカタログも見たいっす」
「かしこまりました。直ぐにお持ち致します」
「あ、言い忘れたっす。全部レディースで頼みます」
慣れた様子でやり取りするミヤビに感心しつつも、琥珀は言われるがままに新たな全身コーディネートを試着した。
「あ……これ、好きかも」
体にフィットした動きやすい着心地に、思わず声を漏らす。
「大変お似合いです、お客様!」
「マジか。レディースがピッタリだな。紳士モンより違和感ねぇぞ」
「……レ、レディース」
「全然おかしいことじゃないよ琥珀。モノによって使い分けないと。琥珀は体のラインが綺麗なんだから生かさないとね」
「琥珀、かっこいいぞ」
樫原の言葉に、琥珀は衝撃を受けた。
「……俺が、かっこいい……?そんなこと、初めて言われました」
確かにシンプルなデザインで、レディースとは言われなければ分からない。
鏡に映る自分の姿は、心なしか自然と姿勢も良くなった気がする。
「――では計12着とオーダーが3着で、お会計こちらでございます」
「……ッ?!」
販売員の叩く電卓に表示された金額に、琥珀は震撼 した。
「じゃあ引き落としで」
「誠にありがとうございます。オーダーの方は出来上がり次第ご連絡致します」
躊躇 なくカードを渡す樫原を見て、ますます動揺は激しくなる。
「樫原さんッ!いくらなんでも高すぎますッ!!買ってもらうなんて、そんな……ッ」
「いーんだよー琥珀♡他にお金の有効な使い道がないおじさんに貢がせてあげてよ〜♡」
「語弊があるぞミヤビ。まぁ元々は組で稼いだ金だ。お前が働く上で必要なモンだし、似合ってる。気にすんな」
樫原はいつになく満足そうに笑みを浮かべ、琥珀の頭を撫でた。
「……は、はい。ありがとうございます」
初めて2人に選んでもらった服。
たとえその用途が仕事着だとしても、嬉しいことには変わりない。
上等すぎて自分には相応 しくないと思いながら、大きな自信を与えられた気がする。
「そろそろ腹減りましたよー!おやつ食べたいっす樫原さーん」
「はいはいちょっと休憩するか――」
まだ少し、胸がドキドキする。
それでもいつの間にか、琥珀の心は温かな感情に包まれていた。
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