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第44話 境界
夏休みの家族層をターゲットにしたイベントは、連日予想を上回る人気を博していた。
「本日のアート教室のテーマは、『日本画のコースター作り体験』です。芸術大学の先生が丁寧にレクチャーして下さいますので、是非お楽しみくださいね」
この夏、本谷 の会社で請け負った百貨店の催事スペースの一画。
買い物ついでに誰でも手軽に楽しめるようにと、美術に親しめる簡単な創作体験を日替わりで用意した。
「おにーさん、これ、むずかしい?」
小さな男の子が、本谷のズボンをくいくいと掴む。
それを見て、近くに居た両親が慌てて頭を下げた。
「お兄さんがびっくりしちゃうよ!こっちに来てなさい」
「かまいませんよ」
本谷は優しく告げると、にっこりと微笑んだ。
アート教室ということで普段のスーツとは違い、動きやすい軽装の上からスタッフ用エプロンというスタイル。
そのまま長身を屈 め、膝をついて男の子と目線を合わせる。
「パパとママを、びっくりさせてあげましょうね」
「……うんっ!」
「やだ!よく見たらお兄さんかっこいい!よ〜し、ママも頑張るぞ〜!!」
微笑ましそうに家族を見守る本谷。
その本谷を上司の古河 リーダーと、百貨店の上層部数名が見つめていた。
「あちらの青年が本谷くんですね。若いのによく気が付いて、接客も親切丁寧。ウチが欲しいくらいの人材ですね」
「実は先日から彼の対応の良さについて、度々お客様より店にお褒めをいただいているんですよ。なるほどと言わざるを得ない美青年ですね。イベントも好評ですし、御社には本当に助けられております」
接客サービスが売りの百貨店側からの信頼獲得に、古河リーダーは鼻が高い。
「何よりのお言葉です。本谷は何でも人一倍のめり込むタイプなので、驚かされることも多々ありますがねぇ……。しかし私としても、長年この仕事をしておりますが、彼ほどひたむきな若者を知りません」
その言葉には、上司としての深い愛情が垣間 見えた。
「あの子の誠実さは、これからもあの子自身を助けるのだと思っていますよ」
本谷が先程の男の子とハイタッチをする様子を、古河リーダーらは遠くから眺めた。
(――みんな本当に楽しそうだ。良かった)
次々にお客様を見送り、本谷は家族についてふと想いを馳せた。
(今年のお盆は仕事で忙しく過ぎそうだし……。今度、おじいさんの所にも顔出さなきゃな――)
そしてすぐに、琥珀 の顔が浮かんだ。
いつもながら、隙あらば琥珀のことをひたすら考えてしまう。
「琥珀はどうしてるんだろう……家族」
ふと、琥珀の身の上について案じた。
自分から詮索はしないと言ったものの、あの店で働いていることを、琥珀の家族は知っているのだろうかと疑問に思う。
琥珀のことが大好きで何よりも大切なのに、働く理由も、過去も、プライベートなことはまだ何も知らない。
本当にこのままでいいのだろうか――。
自分の中で強くなる思いが、下手をすると勝手に駆け出してしまいそうになる。
その度に、弁 えるべきだと必死で心に蓋をする。
(とりあえず今日は土曜日だから、明日が楽しみだな!!そうだ、またお土産を何か選んでおこう……。前は和菓子だったから、今度は洋菓子かな〜?)
ついニコニコしてしまうのが、本谷自身にも分かった。
琥珀に会えるのは1週間に1度だけ。
本当はもっと一緒にいたいけど、会うことが許されるだけでも奇跡に近い。
それに最近、琥珀の方から触ってほしいと強請 るのだからたまらない。
(琥珀の体についても、男同士のセックスについても、自分なりに調べ尽くせたし!!)
もちろん琥珀を今すぐどうこうしようなどとは思っていない。
それでも琥珀がもっと気持ち良くなるにはどうしたら良いか、それを常に考えている。
自分にできることなら、なんだってしてやりたい。
「というか、いけませんね!!集中集中!!」
我に返った本谷は仕事中であることを思い出し、直ぐに頭を切り替えた。
「――野郎3人でこんな店、また目立ってどーすんだ」
樫原が、気まずそうに声を殺して言った。
店内で休憩がてらお茶でも飲もう。
そう思ってミヤビと琥珀に選ばせたカフェは、
よりによってフルーツパーラーだった。
「店員さんが気ィ遣って奥の席にしてくれたじゃないっすかー!琥珀が女の子に見えるからセーフだし、みんなスイーツに夢中で気にしてないですって♡」
メニュー表を見ながら、ミヤビは何食わぬ顔で答えた。
「俺だけアウトだろ!タバコも吸えねぇし。よし。俺は喫煙所で休んでっから、お前らゆっくり食ってろよ」
「え……、樫原さん?」
ソファでミヤビにくっついたまま、琥珀が不安そうに見上げた。
「何だ琥珀」
「樫原さんも一緒じゃないんですか?!」
「ウッ、そんな顔すんな。し、仕方ねぇな。まぁ琥珀が一緒がイイってんならよぉ」
子犬のような目で縋られて、樫原は思わず気を許した。
「オレ、このおすすめパフェにしよ〜♪」
「……あ、じゃあ俺も」
「コーヒーより紅茶の気分かも!決まり〜♪」
「俺も……紅茶で」
「お前ホントにそれでいいのか?好きなの頼んで、ミヤビに一口貰えばいいだろ」
遠慮がちに強張る痩せた肩を、樫原とミヤビが見つめた。
「琥珀?メニューわからない?」
「えっと、その……、ただ一緒がいいなと思っただけです」
「なんだよー!カワイイんだから♡オレとお揃いな♡同じ味を共有しようなー♡」
ミヤビに抱きしめられて、琥珀は安心したようにはにかんだ。
しばらくして、カラフルなフルーツが豪華に乗ったパフェと、アールグレイが2つずつ。加えて樫原が渋々頼んだコーヒーが届いた。
「わぁ……ッ!」
辺りのテーブルを見回しても、明らかに自分たちのパフェが1番豪華に違いない。
10種類近いフルーツと、3色のアイスクリームがキラキラと輝いている。
「琥珀、早く食わねぇと溶けちまうぞ」
「……これ、ほんとに食べていいんですか?」
「何言ってんだ。残さず食えよ」
「……!!」
バニラアイスが絡んだマンゴーを掬 って、一口頬張る。
「あ、甘いッ!すごいッ!!」
美味しいと嬉しいが交互に訪れ、固まったり瞳を輝かせたり、琥珀の表情が忙しい。
それを見た大人2人は、素直さに思わず吹き出した。
「やっと元気が出てきたな」
「……?」
「なんか落ち込んでたし、ずっと緊張してるもんね。最初にはぐれてからずっと、オレにくっついてるし♡」
2人の優しい笑みに、琥珀は困ったように頬を赤らめた。
「だって、こんな贅沢初めてで。それに俺なんかがこんな場所、来ていいのかなって……」
「そういやぁお前、元は母子家庭だったよな。思い出して辛いか?」
「羨ましいとかではないんです。ただ、今日たくさんの楽しそうな親子連れを見て……少し。自分には誰かと一緒の楽しい思い出が無いから、ちょっと寂しくて」
琥珀は両の手を組み、小さく握った。
「まぁオレも、物心付いた時から両親ヤク中なんで家族の思い出とかねぇっすね。家族愛とか、知らずに育ちましたから」
「ミヤビさん……」
「俺も自慢じゃねぇが、訳あって両親とは口すら訊いたことねぇくれぇだしな。ハナから家庭すらねぇよ」
「……」
2人について、知らないことばかりだ。
琥珀は小さな事で傷付く弱い自分を責めた。
「まぁ、寂しいのは健全な証拠だな、琥珀」
「え……?」
「思い出なんざ適当にしてたってできるもんだろ?今……とかな」
珍しく照れ臭そうに樫原が言った。
「わぁ♡樫原さんの口から、思い出って!良かったね琥珀♡」
「……!!」
「うるせぇ。今すぐ忘れろ」
「もぉ〜冗談ですよー♪でもホントに、オレは嬉しいよ?樫原さんと琥珀と過ごす今が」
その言葉に、泣きそうになる。
「不思議だな。カタギのお前と、こんな風に過ごす時が来るなんてよ。自分の家族より一緒にいるぞ俺は」
「オレだって。懐いてくっついてきてくれるし、同じモンまで食べてくれるんすよ?弟になってくれて嬉しい。琥珀は……?」
堪 えていたはずの涙は、いとも簡単に溢れ出た。
出会ってからまだ半年も一緒にいないのに、確かに感じる、血の繋がらない家族以上のあたたかさ。
「……はい。俺も……幸せ……です」
皮肉にも、突然降り掛かった過酷な運命は激しい痛みとともに、独りでは絶対に得られないであろう多くの幸福感をもたらした。
それまで嫌いだった神様に、琥珀は初めて感謝した。
「――じゃ、俺はタバコな。琥珀はトイレだからすぐ戻るだろ」
「はーい♪オレここで座って待ってるっす」
トイレからの帰り道、一人で店内を歩いていたら、目の前を小さな子ども達を連れた家族が通りかかった。
ほんの数分前まで切ない気持ちで眺めるのも辛かったその姿も、今やっと微笑ましいと思える。
「あー!あっちであそびたーい!」
子どもの一人が騒ぎ出し、琥珀もつられて目線をやった。
行きには気が付かなかったが、何やら小規模な催事スペースに人が群がっている。
吸い込まれるように近付くと、中心に一人背の高い男性の姿が見えた。
「どうぞ、ご案内いたします」
聞き覚えのある声に、耳を疑う。
「え?!本谷さんだ――!!」
琥珀は衝撃でその場に立ち尽くしたが、見つかることを恐れて直 ぐに近くに設置してあった看板に身を隠した。
(そ、そういえば次の仕事、百貨店でお世話になるとか言ってたかも……!!でも、え?!ココだったの!?)
好奇心が、焦燥感に勝る。
琥珀は見つからないように身を隠したまま、そっと本谷を眺めた。
「あれ?お客様、今日も来てくださったんですね。連日ありがとうございます」
(……ん?)
「はい、お呼びですかお客様。仕上がった作品はお持ち帰りいただけますよ。え?私のお持ち帰りしたい?!そ、それはいけませんよぉ……?」
(な、何それ――!!)
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