44 / 56

第44話 境界

夏休みの家族層をターゲットにしたイベントは、連日予想を上回る人気を博していた。 「本日のアート教室のテーマは、『日本画のコースター作り体験』です。芸術大学の先生が丁寧にレクチャーして下さいますので、是非お楽しみくださいね」 この夏、本谷(もとや)の会社で請け負った百貨店の催事スペースの一画。 買い物ついでに誰でも手軽に楽しめるようにと、美術に親しめる簡単な創作体験を日替わりで用意した。 「おにーさん、これ、むずかしい?」 小さな男の子が、本谷のズボンをくいくいと掴む。 それを見て、近くに居た両親が慌てて頭を下げた。 「お兄さんがびっくりしちゃうよ!こっちに来てなさい」 「かまいませんよ」 本谷は優しく告げると、にっこりと微笑んだ。 アート教室ということで普段のスーツとは違い、動きやすい軽装の上からスタッフ用エプロンというスタイル。 そのまま長身を(かが)め、膝をついて男の子と目線を合わせる。 「パパとママを、びっくりさせてあげましょうね」 「……うんっ!」 「やだ!よく見たらお兄さんかっこいい!よ〜し、ママも頑張るぞ〜!!」 微笑ましそうに家族を見守る本谷。 その本谷を上司の古河(ふるかわ)リーダーと、百貨店の上層部数名が見つめていた。 「あちらの青年が本谷くんですね。若いのによく気が付いて、接客も親切丁寧。ウチが欲しいくらいの人材ですね」 「実は先日から彼の対応の良さについて、度々お客様より店にお褒めをいただいているんですよ。なるほどと言わざるを得ない美青年ですね。イベントも好評ですし、御社には本当に助けられております」 接客サービスが売りの百貨店側からの信頼獲得に、古河リーダーは鼻が高い。 「何よりのお言葉です。本谷は何でも人一倍のめり込むタイプなので、驚かされることも多々ありますがねぇ……。しかし私としても、長年この仕事をしておりますが、彼ほどひたむきな若者を知りません」 その言葉には、上司としての深い愛情が垣間(かいま)見えた。 「あの子の誠実さは、これからもあの子自身を助けるのだと思っていますよ」 本谷が先程の男の子とハイタッチをする様子を、古河リーダーらは遠くから眺めた。 (――みんな本当に楽しそうだ。良かった) 次々にお客様を見送り、本谷は家族についてふと想いを馳せた。 (今年のお盆は仕事で忙しく過ぎそうだし……。今度、おじいさんの所にも顔出さなきゃな――) そしてすぐに、琥珀(こはく)の顔が浮かんだ。 いつもながら、隙あらば琥珀のことをひたすら考えてしまう。 「琥珀はどうしてるんだろう……家族」 ふと、琥珀の身の上について案じた。 自分から詮索はしないと言ったものの、あの店で働いていることを、琥珀の家族は知っているのだろうかと疑問に思う。 琥珀のことが大好きで何よりも大切なのに、働く理由も、過去も、プライベートなことはまだ何も知らない。 本当にこのままでいいのだろうか――。 自分の中で強くなる思いが、下手をすると勝手に駆け出してしまいそうになる。 その度に、(わきま)えるべきだと必死で心に蓋をする。 (とりあえず今日は土曜日だから、明日が楽しみだな!!そうだ、またお土産を何か選んでおこう……。前は和菓子だったから、今度は洋菓子かな〜?) ついニコニコしてしまうのが、本谷自身にも分かった。 琥珀に会えるのは1週間に1度だけ。 本当はもっと一緒にいたいけど、会うことが許されるだけでも奇跡に近い。 それに最近、琥珀の方から触ってほしいと強請(ねだ)るのだからたまらない。 (琥珀の体についても、男同士のセックスについても、自分なりに調べ尽くせたし!!) もちろん琥珀を今すぐどうこうしようなどとは思っていない。 それでも琥珀がもっと気持ち良くなるにはどうしたら良いか、それを常に考えている。 自分にできることなら、なんだってしてやりたい。 「というか、いけませんね!!集中集中!!」 我に返った本谷は仕事中であることを思い出し、直ぐに頭を切り替えた。 「――野郎3人でこんな店、また目立ってどーすんだ」 樫原が、気まずそうに声を殺して言った。 店内で休憩がてらお茶でも飲もう。 そう思ってミヤビと琥珀に選ばせたカフェは、 よりによってフルーツパーラーだった。 「店員さんが気ィ遣って奥の席にしてくれたじゃないっすかー!琥珀が女の子に見えるからセーフだし、みんなスイーツに夢中で気にしてないですって♡」 メニュー表を見ながら、ミヤビは何食わぬ顔で答えた。 「俺だけアウトだろ!タバコも吸えねぇし。よし。俺は喫煙所で休んでっから、お前らゆっくり食ってろよ」 「え……、樫原さん?」 ソファでミヤビにくっついたまま、琥珀が不安そうに見上げた。 「何だ琥珀」 「樫原さんも一緒じゃないんですか?!」 「ウッ、そんな顔すんな。し、仕方ねぇな。まぁ琥珀が一緒がイイってんならよぉ」 子犬のような目で縋られて、樫原は思わず気を許した。 「オレ、このおすすめパフェにしよ〜♪」 「……あ、じゃあ俺も」 「コーヒーより紅茶の気分かも!決まり〜♪」 「俺も……紅茶で」 「お前ホントにそれでいいのか?好きなの頼んで、ミヤビに一口貰えばいいだろ」 遠慮がちに強張る痩せた肩を、樫原とミヤビが見つめた。 「琥珀?メニューわからない?」 「えっと、その……、ただ一緒がいいなと思っただけです」 「なんだよー!カワイイんだから♡オレとお揃いな♡同じ味を共有しようなー♡」 ミヤビに抱きしめられて、琥珀は安心したようにはにかんだ。 しばらくして、カラフルなフルーツが豪華に乗ったパフェと、アールグレイが2つずつ。加えて樫原が渋々頼んだコーヒーが届いた。 「わぁ……ッ!」 辺りのテーブルを見回しても、明らかに自分たちのパフェが1番豪華に違いない。 10種類近いフルーツと、3色のアイスクリームがキラキラと輝いている。 「琥珀、早く食わねぇと溶けちまうぞ」 「……これ、ほんとに食べていいんですか?」 「何言ってんだ。残さず食えよ」 「……!!」 バニラアイスが絡んだマンゴーを(すく)って、一口頬張る。 「あ、甘いッ!すごいッ!!」 美味しいと嬉しいが交互に訪れ、固まったり瞳を輝かせたり、琥珀の表情が忙しい。 それを見た大人2人は、素直さに思わず吹き出した。 「やっと元気が出てきたな」 「……?」 「なんか落ち込んでたし、ずっと緊張してるもんね。最初にはぐれてからずっと、オレにくっついてるし♡」 2人の優しい笑みに、琥珀は困ったように頬を赤らめた。 「だって、こんな贅沢初めてで。それに俺なんかがこんな場所、来ていいのかなって……」 「そういやぁお前、元は母子家庭だったよな。思い出して辛いか?」 「羨ましいとかではないんです。ただ、今日たくさんの楽しそうな親子連れを見て……少し。自分には誰かと一緒の楽しい思い出が無いから、ちょっと寂しくて」 琥珀は両の手を組み、小さく握った。 「まぁオレも、物心付いた時から両親ヤク中なんで家族の思い出とかねぇっすね。家族愛とか、知らずに育ちましたから」 「ミヤビさん……」 「俺も自慢じゃねぇが、訳あって両親とは口すら訊いたことねぇくれぇだしな。ハナから家庭すらねぇよ」 「……」 2人について、知らないことばかりだ。 琥珀は小さな事で傷付く弱い自分を責めた。 「まぁ、寂しいのは健全な証拠だな、琥珀」 「え……?」 「思い出なんざ適当にしてたってできるもんだろ?今……とかな」 珍しく照れ臭そうに樫原が言った。 「わぁ♡樫原さんの口から、思い出って!良かったね琥珀♡」 「……!!」 「うるせぇ。今すぐ忘れろ」 「もぉ〜冗談ですよー♪でもホントに、オレは嬉しいよ?樫原さんと琥珀と過ごす今が」 その言葉に、泣きそうになる。 「不思議だな。カタギのお前と、こんな風に過ごす時が来るなんてよ。自分の家族より一緒にいるぞ俺は」 「オレだって。懐いてくっついてきてくれるし、同じモンまで食べてくれるんすよ?弟になってくれて嬉しい。琥珀は……?」 (こら)えていたはずの涙は、いとも簡単に溢れ出た。 出会ってからまだ半年も一緒にいないのに、確かに感じる、血の繋がらない家族以上のあたたかさ。 「……はい。俺も……幸せ……です」 皮肉にも、突然降り掛かった過酷な運命は激しい痛みとともに、独りでは絶対に得られないであろう多くの幸福感をもたらした。 それまで嫌いだった神様に、琥珀は初めて感謝した。 「――じゃ、俺はタバコな。琥珀はトイレだからすぐ戻るだろ」 「はーい♪オレここで座って待ってるっす」 トイレからの帰り道、一人で店内を歩いていたら、目の前を小さな子ども達を連れた家族が通りかかった。 ほんの数分前まで切ない気持ちで眺めるのも辛かったその姿も、今やっと微笑ましいと思える。 「あー!あっちであそびたーい!」 子どもの一人が騒ぎ出し、琥珀もつられて目線をやった。 行きには気が付かなかったが、何やら小規模な催事スペースに人が群がっている。 吸い込まれるように近付くと、中心に一人背の高い男性の姿が見えた。 「どうぞ、ご案内いたします」 聞き覚えのある声に、耳を疑う。 「え?!本谷さんだ――!!」 琥珀は衝撃でその場に立ち尽くしたが、見つかることを恐れて()ぐに近くに設置してあった看板に身を隠した。 (そ、そういえば次の仕事、百貨店でお世話になるとか言ってたかも……!!でも、え?!ココだったの!?) 好奇心が、焦燥感に勝る。 琥珀は見つからないように身を隠したまま、そっと本谷を眺めた。 「あれ?お客様、今日も来てくださったんですね。連日ありがとうございます」 (……ん?) 「はい、お呼びですかお客様。仕上がった作品はお持ち帰りいただけますよ。え?私のお持ち帰りしたい?!そ、それはいけませんよぉ……?」 (な、何それ――!!)

ともだちにシェアしよう!