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第45話 迷子
「あ……?電話?……おう、なんだ」
「樫原 さん!!何呑気 にタバコ吸ってんすか!!琥珀 が一向に戻って来ないんで、オレ探して来ます!!」
「……あん?」
珍しく必死なミヤビの声に顔を顰 める。
普段から琥珀の携帯は、組が取り上げているため連絡手段を持たない。
それでも、強がりな割には怖がりで臆病な琥珀のことだ。これまでだって逃げ出したことは一度も無いし、それができないことは本人が1番よく分かっている。
「そこらへんで迷ってんじゃねぇのか?」
琥珀自ら逸 れるはずなどあるわけない。
樫原は冷静にタバコを吸い続けた。
「万一誘拐でもされてたらシャレになんねぇっす!!」
「はぁ?誘拐だぁ?オイオイ落ち着けよ。どうせアイス食って腹でも壊したんじゃ……」
「あんな可愛いのが1人でヒョコヒョコ歩いてたら危ないでしょう!!しまった〜!一緒に行くんだった〜!」
「おいミヤビ……ッ、切れた」
樫原は溜め息を吐 き、仕方なく喫煙所を後にした。
「――あのぉ、お兄さんはここの百貨店の従業員さんなんですかぁ?」
「いえ、私は外部の者でして、こちらに居られるのは夏休みの間だけなんですよ」
「えー!期間限定なんですか、残念〜!」
先程からずっと、本谷 の周りには女性客が絶えない。
(す、すごいアプローチされてる……!)
看板に隠れてひっそりと見守る琥珀は、複雑な表情を浮かべていた。
(薄々感じてたけどさ……本谷さんって、普通にかっこいいもんな……)
高身長に加えて、端正な顔立ち。
それでいて親しみやすいのは、物腰柔らかで優しい人柄が滲み出ているからだろう。
初めて娼館 以外の場所で眺めたよく知るその青年は、いつも笑顔を絶やさない本谷そのものだった。
(そりゃモテるに決まってるよ……)
「本谷さん、こちらもお願いします!」
「今後のスケジュールなんですが……本谷さんにお伺いしたくて、宜しいでしょうか?」
それに、親しまれているのはどうやら客だけではないようだ。
信頼の大きさを象徴するように、スタッフの視線の中心には常に本谷がいた。
若手ながら現場で舵 を取り、その活躍ぶりには文句の付けようがない。
(なんで娼館 なんかに。来る必要ないじゃん……)
充実した様子に琥珀は思わず圧倒され、本谷の存在を遠くに感じていた。
「――オイ、琥珀」
「……ッ!!」
低い声に名前を呼ばれ、思わずギクリと肩が強張る。
慌てて振り返ると、そこには気怠 そうに佇 む樫原がいた。
「なにしてんだお前、そんなとこで」
「あっ、えと、その……なんかやってるなぁーって思って」
「……」
視線を逸 らし、明らかに動揺する様子。
樫原は不審に思い、琥珀が眺めていた視線の先を凝視した。
「アート教室……。これ、やりてぇのか?」
「ッ??ち、違いますよ!」
樫原は少し考え込んでから、琥珀の頭を撫でて告げた。
「お前、どーせまた我慢してんだろ。来いよ」
「えッ?ちょと、樫原さん!?」
軽々と腕を引かれ、イベントコーナーへ連れて行かれる。
(えええッ!待って!!そっちはダメなのに!)
「2名様ですね、どうぞこちらへ」
「おう」
「……あ……ああ……」
女性スタッフに案内されて、2人はすんなりとブース内へ入ってしまった。
「ううッ!」
「こら。なに隠れてんだ。すんません」
「いえいえ。緊張してるのかな?大丈夫かなー?」
「樫原さんッ……俺、体験どころじゃ……」
小さな声は、樫原に上手く届かない。
「お前そんなにシャイだったのか?ホラ見ろ、お前よりずっと小さい子どもがみんな楽しそうに作ってんぞ」
「……!!」
(なんで?!なんで樫原さんこんなに乗り気なの?!どうしてこんなことに……!)
もう逃げられない。
琥珀はとりあえず顔を隠そうと、必死に樫原の腰にしがみついていた。
「それではこちらがお使いいただく岩絵具です。膠 と混ぜてお好きに塗ってくださいね」
「ほぉ」
席に着くと、女性スタッフが次々に画材や筆を用意した。
「オイ琥珀、なんか本格的だぞ」
「……」
樫原に話しかけられるが、それどころではない。
「琥珀!ホントにどうしたんだ?体調悪いのか?いつまで俺にくっついてやがる」
「んー!」
(名前を呼ばないで〜!!)
左右に頭を振る琥珀を見て、樫原は細い体の脇に手を入れ持ち上げようとする。
「ったく、何が怖いんだぁ?よっと……」
「んー!」
「コラ!暴れるな、分かったから顔上げてくれよ」
「そちらのお客様は、大丈夫でしょうか?」
(……ッ!)
頭の上で響く一際優しいトーンに、心臓がドクンと大きく脈打った。
(本谷さんの声だ!!き、気付かれるッ!!)
琥珀は樫原の股の上に伏 したまま、ギュッと腕に力を込めた。
「おう兄ちゃん、悪 ぃな。恥ずかしいみてぇでよ」
「ふふ。そうでしたか。ゆっくりで大丈夫ですよ。プロの先生が巡回に参りますので、色々アドバイスしてもらってくださ……あれ?」
本谷の言葉が、一瞬詰まった。
「ん……?」
「あ、いえ、気のせいです!すいません、どうぞ楽しんでいってくださいね」
「おう。そうさせてもらうぜ」
「本谷くん」
近づいて来た別の男性スタッフが、本谷の名前を呼ぶ声が聞こえる。
「本谷くん交代だよ。お疲れ!」
「あ、もうそんな時間ですか!お疲れ様です。ではあと宜しくお願いします」
交代。そう聞こえた後、本谷はブースから去っていったようだ。
「琥珀。時間なくなるぞ」
「ひあっ!」
樫原の厚い掌 に尻の敏感な部分を撫でられ、思わず体を起こした。
周りは人気 が無くなっていて、ようやくまともに息をした。
「は、はぁぁぁ……」
どうやら気付かれずに済んだらしい。
琥珀は胸を撫で下ろし、全身の力が抜けて呆然 と天井を仰いだ。
「琥珀、見ろ!俺意外とセンスあるぞ」
「え……」
「――やってみると楽しいモンだったよなぁ。お前の描いた花も上手ぇじゃねぇか」
満足そうな樫原は、琥珀の頭のを撫でてイベントブースを後にした。
「あ!!あー!!!いたーーッ!!!!」
「ヒィッ!」
突然聞こえた大声にハッとする。
「あ、ヤベェ。忘れてた」
興奮した様子のミヤビが駆け寄った。
「樫原さんなんで電話出ねぇんすか!!オレめっちゃ必死に探し回ってたんすからねー!!!」
「わ、悪かった」
「もう最悪店内放送で迷子の呼び出ししてもらおうかと思いましたよ!!」
「19歳だ。やめてやれ」
「琥珀〜!!も〜!!誘拐されたかと思ったじゃんかぁぁぁ!!!」
ミヤビは所構わず琥珀を強く抱き締めた。
頬擦 りした後、額に何度もキスをする。
「わ、わあ!す、すいませんでした!」
「あれ?何、それ?」
琥珀が手にしたコースターには、オレンジ色の花が描かれていた。
専用のガラスプレートに入っていて、そのまま使うことも、飾ることもできる仕様だ。
「つ、作ったんです。樫原さんと、今そこで」
「えええ!何2人だけで思い出作りしてんすか!オレだけ仲間外れじゃ〜ん!」
悔しがるミヤビを見て、琥珀は照れ臭そうに小さく笑った。
「見ろ。オレの描いた、昔飼ってた犬だ!」
「え……無駄に上手ッ」
「おい引くな。ビビリですぐ人の後ろに隠れるヤツでよ。なんか琥珀見てたら急に思い出したんだわ」
「ヤクザが描いた絵にしてはあたたかみがあるっすね」
「だろ?まぁ琥珀の方がビビリだけどな」
「もう、樫原さん!」
「ハイハイ。帰るぞー」
琥珀は体験コーナーをもう一度眺めて、薄っすらと頬を赤らめた。
世界を隔てる境界は無色で、見えないけれど確かにそこにある。
関わってはいけない。
知らない方がいい。
だけど本当はすぐにでも会いたい。
自分が、犬でさえなければ。
「そうだ、明日、会えるんだ」
琥珀は今日が土曜日だということを思い出し、葛藤の闇に埋もれようとする心を掬 い上げた。
明日会っても、この事は言えない。
きっとこのまま、誰にも言えない。
琥珀はコースターをギュッと握りしめ、小さく歩き出した――。
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