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第48話 友達
どうして私は監視員なんだろう――。
カーテンの隙間から、明け方の空の透き通った朝日が差し込む。
「……なんの権限もない」
琥珀 との愛を確認した日から、本谷 は両思いとなった嬉しさ以上に、すぐに何もしてやれない自分の無力さに焦っていた。
「とりあえず琥珀を守れそうな法律や条例、相談窓口なんかは調べてるけど……」
ヤクザを相手に自分が下手に動けば、組の管理下に置かれた琥珀の身が危ないかもしれない。
調べれば調べるほど問題の難しさに頭が痛む。PCまわりに積み上がった資料を眺め、行き詰まって作業の手を止めた。
「こんなことなら私が最初から警察、いや弁護士とか……、いっそもっと権力があって人の役に立つ職業に就いていれば良かったんだ」
正義感だけでは乗り越えられないことは分かっていた。
それでも、今夜もまた琥珀が知らない誰かに抱かれることを思うと、居ても立ってもいられない。
『これ、挿 れて?もっと……もっと突いて?もっと……いっぱい、しよ――?』
『俺……キモチイ……よ?』
何も知らないような幼い顔をしていても、快楽に抗えず刺激を求める淫らな体。
その無垢で官能的な誘惑を思い出すだけでも、脳天を抉 られる。
「危険すぎる……。敏感になってまた我を忘れて、誰ふり構わず誘ってたらどうしよう……」
涙を溜めてトロトロに蕩 けた琥珀色の瞳と、濡れてヒクつくピンク色の小さな穴に脳内を埋め尽くされる。
「ダメだ。想像以上にツライ……」
ついに思考が回らなくなり、キーボードの上に突っ伏した。
「仕事、行かなきゃ……」
「お疲れっしたー!」
「本谷さん、お疲れ様でした」
「はい。お疲れ様です――」
他のフロアより少し早い催事場の閉錠時刻に合わせて、今日のワークショップを終わらせる。
その足でスタッフ数名とともに従業員通用口から屋外へ出た。
「あ!あの男の人また居ますよ。あそこでいつも見張ってる」
「……え?」
百貨店のメインとなる1階の出入り口で、客の往来 をひたすら凝視している1人の男が目に入る。
その表情は険しく、大人っぽいが大学生くらいの若い身なりをしている。
「知らないですか?ここ最近毎日のように来てるみたいですよ。買い物ってわけでもなく。何なんでしょうねぇ」
「待ち合わせ……ですかね?」
「うーん。それが、あんな感じで長時間張り込んでるみたいなんですよ」
「張り込み……。知りませんでした」
確かに若い子にしては不自然だし、男の顔は真剣というより少しやつれているようにも見える。
「まあ私達には関係ないですけどね。じゃ、また明日ー!」
「あ、お疲れ様でした」
男の様子が少し不自然で気になったが、帰路に着くスタッフらを見送った。
「ふう。私も帰ろう……あれ、なんか鳴ったかな?」
カバンに入れたままマナーモード中の携帯が震えた気がして取り出すと、その着信履歴の多さに仰天した。
「うわ!何これ。めーたん?」
「――ごめんなさい、わざわざ来てもらっちゃって」
「いいってことよ!久しぶりだな!それより寝不足なんだろ、平気なのか??」
そろそろまた飲みに行こうという恵 の誘いに、話しにくいことが多いからと初めて自宅に招くことになった。
「ここがもとやんの家かー!なかなかいいマンションじゃん。お邪魔しまーす!って……なんかごちゃごちゃだな!意外すぎるッ!!」
「すいません。ゴミは無いから安心してください。今ソファ空けますね」
リビングにまで資料と書籍類が溢れ、足の踏み場の少ない床を掻き分ける。
「おおおう!それ動かすの無理でしょッ?!僕床でいいから!」
ソファから分厚い歴史書や図鑑が重なった本の山を降ろそうとして、焦った恵に止められた。
「本題なんだけどさ、最近どうよ?例の少年は」
「はい。その……」
「――はあ?!マジで??セックスしちゃったの?!」
驚愕する恵に居 た堪 れなくなりながら、コクコクと頷いた。
「ウソだろ!?こないだ会った時は胸の上に乗せて、可愛いー♡とか言って、エロいことなんて全くできずに終わってたのに!」
「……は、ハハ」
「もう落としたとか手が早すぎるでしょー!」
「ちょ、落としただなんて!そんなんじゃありませんよっ」
「いいよなぁ。なんたって裏の店だしィ?男だしィ?本番できるの羨ましー!」
「体目当てじゃないですから!!」
事のあらすじだけ話したら、いかにも節操のない人間のような捉え方をされ気が引けた。
「てか、琥珀ちゃんはホント泣き虫だねぇ。でも結局ヤッちゃったわけだー?もとやんにも性欲はあったんだな!」
「だって泣き顔も可愛……じゃなくて、琥珀に縋 られてつい」
「気をつけろよ?一線越えたって簡単に手に入れられるような売り物じゃないんだから」
「うぅ……はい……、分かってます」
恵に核心を突かれ、改めて落ち込む。
「で?その寝不足はどーしたのよ?晴れて童貞卒業したのに浮かない顔して」
「……」
「琥珀ちゃんも心開いてんじゃん。何が不満?これから益々店に通うの楽しみじゃん?」
自分としても、今この状況は大変喜ばしい事態だと思う。
琥珀が娼館 の子でさえなければ。
「そ、それなんですけど……琥珀を……解放してやりたいんです」
「は?」
「あの子を自由にして私が守りたい。ずっとそばにいて欲しいんです」
正座したまま、恵の顔が見れず俯 いていた。
「あの子は自分のせいだと言ったけど、本当は何の落ち度もないんです。あんな所に居ていい子じゃないんです。それで……」
琥珀は少し不器用で繊細だけど普通の子で、たまたま運悪くヤクザの組長に拾われたのだ。
恵に分かって欲しくて、知り得た僅 かな情報を必死に伝えた。
「馬鹿だとは思っています。でも……」
「普通の店じゃないんだ。ヤクザと張り合うことになるぞ?そんな危険なこと、何が起こるか分からないぞ?」
「私はどうなってもいいんです!これ以上あの子が傷付くのは耐えられませんッ!」
少しの間、沈黙が流れた。
「……どうなってもいいはダメだけどさ。まぁ、もとやんらしいか」
「え……?」
恵の表情は穏やかだった。
間違いなく止められる覚悟をしていたせいか、思わぬ反応に言葉を失う。
「否定しないん……ですか?」
「バカだなぁ。ダチだろう?それに、知ってるからさ。一時の気の迷いじゃないことくらい」
「ッ!めーたん……」
「でも忠告はするッ!!絶対に一人で立ち向かうなよ」
「……!」
「相手は非道な取引に慣れた裏社会の中心人物だ。金のない奴と、ビジネスの邪魔をする奴には容赦がないからな」
恵の声色が、いつになく真剣に変わった。
「いいか、怪しまれて目をつけられたら終わりだ。店員の前ではあくまで良客を演じるんだ」
「……はい!」
「とりあえず、琥珀ちゃんが捕まった時の状況と組織の内情を探って、協力者を見つけないとだよな」
「事件として立証するんですか?穏便 に引き渡してもらう方法があればその方が……」
「たとえば?」
「やっぱり……お金……とか」
大金を積めば、琥珀の身柄を引き渡してもらえないだろうか。それで琥珀が自由になるのなら、多少の無理をしてでも払いたい。
「そんなの下手したら数千万……いや、億単位で吹っかけられるぞ。それより……、なんか引っかかるんだよねぇ」
「え?」
「いやさ、組長が拾ったからって、一般人をいきなり拉致して男娼にしたんでしょ?」
「そう……ですね」
「一体どんな契約があったら従うんだよ?」
「琥珀は……払えない借金があったからだって」
「それだけにしては相当囲んでるな。やっぱり、何か他にも弱みを握って、肩入れしてるってことだ!簡単に手放すと思うか?」
「そんな、琥珀……」
本当は薄々感じていた。琥珀だって無理矢理逃げようと思えばいつでも逃げられるのではないかと。
それをしないのは、琥珀を縛る何か特別な理由があるからなのか。
「まあ暗い顔するなよ!ここまでだって、すんごい執念で奇跡的にモノにしてきたわけじゃん?チャンスはきっとまた巡ってくるって!」
「ッ!……はい」
そうだ。諦めてたまるか。
琥珀がこんな自分と一緒にいたいと言ってくれたんだ。
叶えてみせる。どんな困難があっても――。
「てかさ、お金って言ったけど、もとやん普通の会社員だよね?そんな大金持ってるの?」
「あ、その……家族に色々あってまぁ、少しは」
「家族のお金か?そういえばもとやんの家庭事情について聞いたことなかったな。ご両親は何してる人?兄弟は?」
恵の関心に、少しだけ申し訳なくなる。
「今はもういなくて。私一人です」
「え?」
「唯一の肉親だった両親が亡くなっているので、実を言うと身内は一人もいないんです」
「……親戚もいないってこと?」
「元々いません。両親はそれぞれ孤児で、施設育ちだったんです」
「え……じゃあ、天涯孤独ってやつ?僕と同い年なのにそんな苦労を……そうだったんだ。なんかごめん!」
「謝らないでください!言ってなかったですもんね。私なら平気です。いなくなっても今でも大切な家族ですし……」
気を遣われたくなくて自分からは伝えないようにしているのだが、この事実を知られると、やっぱりいつだって可哀想な目で同情される。
「めーたんには、変わらず接して欲しいです。あんまりいなかったから……こういう友達」
普段あまり言わない言葉を伝えたら、少しだけ恥ずかしくなった。
「……おう!分かった!もとやんは変わらず僕のダチだ!遠慮はしないからなッ!」
恵は普段の調子に戻って、満面の笑みを浮かべた。
「寂しくないようにこれからも僕が構ってやるからなッ!」
「ふふ、ありがとうございます」
同年代からそんな風に勇気づけられたのが初めてで、さすが恵だと思わず感心して照れ笑いをしてしまった。
「琥珀にも、きっと大切な家族がいるはずです。心配してるんじゃないでしょうか……」
「大丈夫。絶対なんとかしてやろうぜ」
「めーたん……、ありがとう」
会話が終わった頃には、夜も更けていた。
「もとやん、泊めて」
「え?急……」
「大丈夫ッ!僕寝ちゃえば静からしいから!」
「あははっ、大丈夫です。聞くだけ聞いてもらって、帰れなんて言いませんよ」
全てを話せる友達が居てよかった。
今夜はようやく、ちゃんと眠れそうだ――。
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