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第51話 罠
「準備できたか。樫原 、今日の段取りは分かっているな?」
「……はい」
琥珀の居場所を探る水嶋 という青年からの問い合わせは、連日組の周辺各所で更に増え続けていた。
それでもこれまで相手にしてこなかった柚木 がついに動いたのは、昨日琥珀 のスマートフォンに入った複数の着信のせいだった。
「琥珀、立てるか?」
樫原が抱えた華奢な身体は、少しふらふらとして頼りない。
「どうも水嶋が父親を唆 したようだからな。息子が消えてようやく焦り出しやがったか」
不敵な笑みを浮かべたまま、柚木が冷たく言い放つ。
「テメーから直接話して納得させろ……と言いたい所なんだが」
「……っ」
「しゃべれねェたぁどーいうことだ?あん?」
「……」
柚木に顎を持ち上げられ、琥珀は瞳をぎゅっと瞑った。
「なぁ、痛めつけたらホントは鳴けるんじゃねぇのか?」
「……ッ!カハッ……、ッッ」
口を無理矢理こじ開けられると、柚木の親指が琥珀の舌を刺激した。
「試してやろうか?」
堪らず細い喉が震え、涙が滲む。
「柚木さん!よしてください!!父親とは俺が代わりに話しますんで」
「チッ。まあいい、連れて行け」
樫原の運転で移動する道中、琥珀は何処へ向かうかも聞かされず、助手席でひたすら怯えていた。
「琥珀、今日は組が表 でやってる会社の大規模な祝賀会がある。お前が所属してることになってる会社だ」
「……?」
「そこへ、お前の父親が招待された」
琥珀の瞳が大きく見開いた。
「俺がお前の上司って体 で適当に話をこじつけるから、お前は黙ってただ居るだけでいい」
「……!」
「大丈夫、昔お前が父親に受けた仕打ちはよく分かってる。今日は俺もずっと一緒だし、きっとすぐに終わる」
樫原の厚い掌 が琥珀の頭を撫でた。
「……ッ!」
普段なら自分から擦り寄ることもある樫原の腕に、琥珀はビクリと怯 んだ。
「……?ああ、すまん。いきなり触って悪かった。……早く戻るといいな、お前の声」
「……」
店の店長から講習と称して嬲られたあの日から、琥珀は過度のストレスからか失声症に陥っていた。
「あの店長がまさか薬 まで使うとは、正直俺も肝が冷えたぜ……」
結局あの後、店長は味をしめたかのように度々琥珀に迫った。
偶然琥珀の自室を訪ねた樫原が異変に気付き、度重なる嫌がらせ行為の実態が明らかになった。
「しんどかっただろ、悪趣味な野郎は困ったもんだ……琥珀?」
「……っ」
言葉を遮るように、琥珀が突然運転中の樫原の太腿にしがみついた。
「おっと危ねぇ!コラ!どーした?!」
ハンドルの下に潜る痩せた体が震える。
「……ッ、……ッッ」
「首振ってるだけじゃ、何言いてぇのか分からねぇよ」
「……ッ!」
「分かった分かった、SMが嫌だったんだろ?もうお前で遊ぶのは止めるように俺からも釘刺しておくからよ」
「ふっ……ッ……」
「……」
涙を溜めて何かに耐える琥珀の様子が気になる。
「なんか、別の心配事でもあんのか?」
「……」
「だったら後で聞いてやる。とりあえずもう着くから。その泣き顔なんとかしろ」
祝賀会の会場となるホテルの大規模なパーティールームは、招かれた多くの客達で華やいでいた。
社員達は皆上等なスーツに身を包み、煌びやかなドレスを纏った取引先の女性達をもてなしている。
「俺たちはこの後控え室へ向かうぞ」
壇上の大型モニターに映し出される企業紹介と、取締役の挨拶。
その様子は何の疑いようもないほどに真っ当な大企業にしか見えず、実は裏でヤクザが絡んでいるなどと、ここにいる客達の一体誰が気付くというのだろうか。
「琥珀、行くぞ。こっちだ」
樫原に急かされ、琥珀はパーティー会場を後にした。
「――失礼致します」
「琥珀!!」
同じホテル内の少し離れた別室に、その姿はあった。
「お父様の、朝霧 様ですね。はじめまして。私は琥珀君の上司で会社役員の樫原と申します。本日はよくお越しくださいました」
普段の強面 で不躾な印象とはまるで違う、愛想の良い樫原に琥珀は目を見張った。
「ああ、これはこれは。息子が大変お世話になっております。それに今日は部外者の私たちにまで豪華な食事をすみません。琥珀、聞いたぞ。声が出ないんだって?大丈夫なのか?!」
心配そうに琥珀の肩を抱く父親の姿に、優しい雰囲気が漂う。
「ああ、大変申し訳ございません。ただの風邪のようなんです」
「そ、そうですか……」
「元気ではありますのでご安心ください」
樫原のその場凌ぎの嘘に琥珀もコクコクと頷 き、精一杯の笑みを浮かべた。
「……そうか。それならまぁ、安心したよ」
「ありがとうございます」
父親は緊張が取れたように表情を和らげ、何やら嬉しそうに声を上げた。
「もういいだろ!隠れてないで出てきなさい」
「……?」
その言葉に、樫原と琥珀はポカンと固まった。
「ばあっ!!」
「……ッ?!?」
突然ソファの影から小さな男の子がぴょこりと飛び出し、満面の笑みで悪戯 にはしゃぎはじめる。
「ふふふ、お兄ちゃん!」
「――ッ!!」
琥珀の黄味がかった瞳が、一瞬キラリと輝いた。
パクパクと口を動かし、まるで憧れのアイドルにでも会ったかのようにその場でたじろいだ。
「唯斗 、お兄ちゃんに会えて良かったな」
「うん!」
小学生くらいのその男の子は、ニコニコと無邪気に跳ね回り、いかにも子どもらしい。
「ああ、琥珀君の義弟 さんですか。可愛らしいですね」
「ええ。もう小5になるのですが、どうも幼稚で手が掛かりますよ。琥珀が就職してからめっきり会えていなかったので、今日は連れて行けとせがまれまして」
「わーい!お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「唯斗、お兄ちゃん今日は風邪で喋れないんだって。あんまり困らせちゃダメだぞ」
駆け寄ってきた義弟に琥珀は恐る恐る近付くと、何かが弾けたように強く抱きしめた。
「きゃあ!お兄ちゃんにぎゅーされた!パパ見て!」
「ははは、琥珀は唯斗が可愛くて仕方ないんだよ」
「お兄ちゃん、僕にいっぱいおもちゃとゲーム贈ってくれてありがとう。でも僕ほんとはお兄ちゃんともっと一緒にあそびたいよ」
「……ッ」
琥珀は噛み締めるように頷きながら、何度も何度も肌を擦り寄せた。
「お父様、どうぞこちらへ。唯斗君、しばらくお兄ちゃんと遊んでてくれるかな?」
「うん!お兄ちゃんと一緒にいる!」
樫原は奥の部屋へと父親を案内した。
「これまで息子さんが帰省する時間を与えてやれず、申し訳ありませんでした。琥珀君は大変仕事熱心で、休日も寮に籠って勉強に励む優秀な人材です」
「……そうでしたか。昨日しつこく電話をしてしまい、失礼しました。話せない琥珀に代わって電話に出てくれた方には感謝しています」
「いいえ、顔を見ないと不安にもなりますよね」
2人の間に、わずかな沈黙が流れる。
「実は、琥珀の学生時代からの友人が最近よく家に来るのですが、琥珀について妄言のようなことを伝えてくるもので……」
「妄言?……それは、どういった?」
「それが、琥珀は誰かに騙されているとか、ヤクザに攫われた……などと。そんなバカなと思いつつ、やはり親として心配で」
「……」
「でも今日こちらに来て、それはただの勘違いだとハッキリ分かりました。こんな大きな会社で活躍していたなんて、誇らしいです」
片親同士の再婚で築いた家庭という負い目はあれど、息子達が素直に育ち嬉しいこと。
病気に臥せる妻がまもなく無事退院を迎えられそうなこと。
父親は、葛藤の日々の中で得た喜びを、初対面の樫原に幸せそうに語った。
「琥珀君は、本当に良い子だと私も思います」
子煩悩で誠実な父親を前に、樫原は少し戸惑っていた。
この男が過去、散々息子に手をあげたなどと、どうしても考えることができない。
「樫原さん、これからもあの子を宜しくお願い致します。このあと少しだけあの子と2人で話をさせて下さい。母親のことでちょっと……」
「ああ、分かりました。弟さんは私が見ていましょう」
――ガタン!!!
「んー、何の音?パパ?お兄ちゃん?」
「あっ唯斗君!待つんだ!」
琥珀と入れ替わりで部屋を出て数分、琥珀と父親がいる奥の部屋から物音が響いた。
「……唯斗君、大丈夫だ。パパ達はお話中だか……」
「ねぇおじさん、パパもお兄ちゃんが可愛いからぎゅーしてるの?じゃあ、ちゅーは?」
「――ッ!しまった」
「パパとお兄ちゃん、何してるの?」
樫原は、一瞬でもこの父親に信頼を寄せ琥珀を委ねてしまったことに後悔した。
「オイ!!琥珀から離れろ!!」
「な、なんだお前は?!誰だ!!邪魔をするな!!」
2人の目に映ったのは、ソファの上で、着衣が乱れた琥珀の上に覆いかぶさる父親の姿だった。
「……ッ、……」
「琥珀!しっかりしろ、琥珀!!マジでかよ。あの親父 、重症じゃねぇか」
ガクガクと震えて何もできない琥珀を、樫原が父親から無理矢理引き剥がした。
「唯斗君!!ちょっとこっちに来なさい!!早く!!」
「……っ!?パパは?パパー!!」
「樫原、よくやった。良いモンが撮れたな。あとは任せろ――」
部屋の入り口から響く声に、樫原は衝撃を受けた。
「ゆ、柚木……さん。どう……して……」
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