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第53話 来訪

本谷(もとや)、どうしたんだそんなに落ち込んで。珍しくテンションが低いぞ?」 「ふ、古河(ふるかわ)リーダー……」 普段ならやる気に満ち溢れているはずの仕事も、今は手につかない。 「何か心配事か?ここ数日明らかにおかしいじゃないか。さては彼女でもできたか?」 「……彼女?!違いま……す?あれ?違わない?ええと、そうじゃなくて!あ、会いたい人になかなか会えなくて……それで……」 本谷は、鋭い上司に隠し事ができなかった。 ついつい挙動不審になる自分が恥ずかしい。 「やっぱり恋煩(こいわずら)いか。そうかそうか!仕事一筋だった本谷が、そんなに惚れる相手がいることが嬉しいよ」 「……もぅ!喜ばないでくださいよ。結構焦ってるんですから」 「ハハハ、すまないすまない」 古河リーダーは愉快そうに笑った。 「この催事場でのイベントも終了間近だ。今日は確かこの後、百貨店の店長に呼ばれていたな?大型の契約がまた取れるかもしれん。頼むぞ」 「はい!そこはきっちり」 今日は、百貨店側の上層部との大事なミーティングが控えている。 とはいえ、本谷の頭の中はなんだかんだで2週間以上会えていない琥珀(こはく)のことでいっぱいだった。 (切り替えなくちゃ……) 「それじゃ、行ってきます!」 午後3時を目前に、本谷はミーティングルームを目指して歩いた。 (ああ、ダメだな。琥珀に会えないことが、前よりもどんどん辛くなってきてる……) 日曜日の予約を断ってしまったのが先々週。 琥珀について何かを知っているらしい青年を追いかけ、辿り着いた総合病院。 そこで見たことや聞いたことが、ずっと心に引っかかって落ち着かない。 琥珀に聞きたいことが沢山あったのに、今度は娼館(み せ)側からのキャンセルで、先週の予約も流れてしまった。 理由は琥珀が体調を崩し、当分接客が難しいからということだった。 (ハァ、心配すぎる。大丈夫かな。ちゃんと看病してもらえてるんだろうか……) 「……ここだな」 広い百貨店の迷路のようなバックヤードを進み、指定の場所に辿り着いた。 ヴー……、ヴー……。 「……?はい、本谷です。どうかしましたか?」 古河リーダーから着信が入り、本谷は一瞬驚きながらも冷静に答えた。 「会議前にすまない!少しいいか?」 普段より少し焦ったような口調で、古河リーダーが続ける。 「今、イベントスペースに本谷を訪ねて喋れない女の子が1人来たんだが、不在だと伝えたら泣き出してしまって」 「……私を訪ねて?お、女の子……?」 「ああ。中学生くらいの髪の色が薄い、瞳の綺麗な子だ。知り合いじゃないのか?」 ――!!」 (まさか、琥珀?!?) 「1人って言いましたよね?すみません!ミーティングが終わるまで、その子を人目のつかない所で保護して下さい!!」 「保護……?!迷子か?」 「私が迎えに行くまで、誰にも引き渡さないで下さい!!お願いします!!」 「なんだって?!」 (喋れない?体調不良って、声が出せないのか?!私に直接会いに?でも一体どうして……!!) 「その子は私の1番大切な人なんです!!」 「わ、分かったから落ち着きなさい。本谷は会議に集中するんだ。とりあえず……この子は私が付いていよう」 「ハイ!!ありがとうございます!!それと、その子は男の子です。19歳の」 「なに?!男?中学生でもないのか」 「とにかく宜しくお願いします!!」 全身の細胞が震え立つ思いで、本谷は強く懇願した。 (多分何かあったんだ……!ううっ!なんでこんな時に……!) 琥珀の元へ飛んでいきたい気持ちをなんとかこらえ、電話を切る。 本谷は、祈るように天を仰いだ。 「琥珀……きっと怯えてる。待ってて……」 ――琥珀は夢を見ていた。 まだ中学生の頃。いつだったか、授業中に過呼吸で倒れて、保健室のベッドで寝かされていた時のこと。 『う……まだ、息……ちょっと苦し……』 人の視線が嫌いで、向けられる言葉が怖くて、教室にいることが苦手だった。 自分が居ると、何故か周りが必要以上に騒ぎ立ててくる。 この日もクラスメイトに体のことで揶揄(からか)われ、みんなの前で辱めを受けた。 好奇の目は、いつだって思春期の敏感な心を(えぐ)る。 (また……女みたいって言われた。俺、男だもん。普通だもん……) だから、喧騒(けんそう)から離れた保健室は、少しだけ心が休まる場所だった。 (集団なんて、大嫌いだ。俺の居場所はどこにもない……!) ふわりと、誰かが頭を撫でる。 『また逃げてきてる。今度は何を言われたの?大丈夫。琥珀のペースで、大丈夫だよ』 『ん……せんせ?先輩――?』 「――おお、起きたかね」 「……んん」 「気分はどうだい?泣き疲れただろ。だいぶ落ち着いたかな」 「……」 重役風の威厳のあるスーツ姿の男性が、厚い(てのひら)で琥珀の頭を撫でた。 カッチリとした雰囲気で、堂々としているからだろうか。普段、大人の男は苦手なのに、琥珀は不思議と嫌じゃなかった。 「……?」 ソファから起き上がると、そこは応接室のような、少し狭い部屋だった。 テナントの裏にあるらしきその場所は、賑やかな店頭とは違い、静かでゆったりとした空気が流れていた。 「私は本谷の上司の古河というんだ。上司といっても、実際は優秀な部下の本谷に助けられてばかりなんだけどね」 凛とした低い声が、深く響く。 「ここには誰も来ないから安心しなさい。本谷は今、少し離れた場所で会議中だからね。終わるまでもうしばらく待っていたらいい」 「……ヒュッ、ケホッ、ケホッ」 「ああ、大丈夫かい?息が苦しいね。落ち着いて、ゆっくり深呼吸するんだ」 「……っは……ケホッ、スゥ……ハァ」 琥珀は言われるがまま、何度か大きく息をした。 「それ、ずっと握り締めていたね」 優しい眼差しが、琥珀の手元をあたたかく見つめる。 『もとやさんに会わせてください』 そう小さく書いたメモは、琥珀が先程、声を出せない代わりに催事場のスタッフへ提示したものだった。 「キミは誰かな?と聞きたいけれど、話せないんだね。本谷から大切な人だと聞いたよ。お友達……でいいのかな?」 「……ッ!」 大切な人。その言葉に赤面しつつ、悩むように首を(かし)げてから、慌ててコクコクと頷いた。 「ハハ。いや、いいんだ。本谷は身内がいないし、友達のこともあまり話さないからね。こんなに可愛らしいお客さんが来るなんて、珍しくて嬉しいだけなんだ」 (身内が、いない……?) 初めて聞いた情報に、思わず目を見張る。 「おや?もしかして聞いていなかったのかい?すまない。本谷が随分親密そうな事を言うから、知っているものと思ったよ。余計なことを言った、忘れておくれ」 「……」 申し訳なさそうに謝られ、琥珀はふるふると左右に首を振った。 「でもキミは……、本谷を好いていてくれるんだろう?」 「……!!」 「私とおんなじだ。安心しておくれ。本谷は絶対に君を大切に思っている。彼はそういう男だからね」 琥珀色の瞳が、一際大きく見開いた。 「ほら、噂をしたら来たようだ」 「――!」 「琥珀!!」 息を切らして走って来た本谷が部屋に入るや否や、琥珀にガバリと抱きついた。 「おやおや、言ったそばから」 「琥珀、一人で来たんですか?どうやって?!危ないことしちゃダメだ!」――ッ」 抱き締められた琥珀の薄い肩が震え出し、その表情がぐしゃりと歪んだ。 「古河リーダー、ありがとうございました。すいません、無理言って」 「なに、かまわんよ。それより本谷、可愛い子を泣かせるなよ」 古河リーダーは琥珀にニコリと笑いかけて、部屋から去っていった。 「ごめん、ごめん琥珀。怒ってるわけじゃないんです」 腕の中に収まる温もりに、急激な安堵が込み上げる。 「ああ、良かったあああああ」 「……ッ!」 本谷は崩れるように琥珀ごとソファに雪崩れ込み、優しく抱き締め続けた。 「嬉しい……琥珀に会えて嬉しいんだ。でも同じくらい怖かったです。万一君の身に何かあったらと思って、心臓が潰れるかと思いました」 「……ッ?!」 大好きな本谷の腕の感触を味わうのも束の間、急に頭を擦り付けられて、琥珀はくすぐったくて身動(みじろ)いだ。 「ん?何してるかって?琥珀を吸わせてもらってます」 「?!」 「少しだけ。少しだけこのままで。ハァァ、やっと会えた。琥珀……琥珀」 「……」 琥珀も再会を味わうように、本谷を精一杯抱き締めた。

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