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第28話

 煜瑾(いくきん)文維(ぶんい)は、仲良く腕を組んでゲストハウスを後にし、庭を歩いた。  しばらく行くと(つる)バラが絡んだアーチがあり、白いゲートは施錠されておらず、煜瑾がソッと押すとゲートは音も無く開いた。 「このバラ園は、亡くなられたお母さまが愛された場所なのです」  煜瑾は思い入れたっぷりな様子で、周囲を見回しながら言った。  バラの品種は多く、文維は詳しくは無いが、ここには何種類ものバラがあるようで、今も可憐な黄色いバラが咲いている。  このバラが、お気に入りのバスローブを着た煜瑾に似ているように思った文維は、急にこの花が愛しく思えた。 「バラって、今頃咲くのですか?」  あれほど聡明な文維でも知らないことがあるのかと、煜瑾はクスリと笑った。 「お母さま亡き後は、お兄さまがバラの研究者を雇われて、1年中いろんな品種が咲くようにされています。冬には、このバラ園ごと包み込むような幌が掛けられて、温室のようになるのですよ」  明るい顔で文維に説明していた煜瑾の表情が急に陰りを帯びた。 「煜瑾?」 「私は…、お母さまがそれほどにバラがお好きだったことさえ、よく覚えていないのです…」  幼くして喪った母の記憶が薄いことを、煜瑾は寂しく思っていた。 「でも、お兄さまがこのバラ園を大切になさることで、私はお母さまの存在を感じながら今日まで来ました。ここには、私たち兄弟のお母さまがいらっしゃるのです」  寂しそうな恋人を慰めようと肩を抱き寄せた文維に、煜瑾は甘えるように身を(もた)せかけた。 「私には分かります。お母さまも、私と文維のことを喜んで下さるって」  煜瑾はそう言って、文維の方を振り仰ぎ、満ち足りた笑顔で言葉を続けた。 「私は、家族と言えばお兄様しか知りませんでした」  少し潤んできた瞳で見つめる煜瑾が切なくて、文維はその抱いた腕の力を強くした。 「でも、文維を愛することで、お義父さまも、お義母さまも、…そして『婚約者』も…。本当の家族を手に入れることが出来ました。私は、文維と出会えて、愛されて、本当に幸せです」  見つめ合い、2人はそのまま口づけを交わす。ゆっくり離れた時には、煜瑾は泣かずに微笑んでいた。 「お母さまが、私を生んで下さって本当に良かったと感謝しています」  煜瑾は、自分がこの世に生まれた意味が、文維と出会い、愛し、愛されることだったのだと心から理解した。自分がここにいる理由が分かっていることが、煜瑾には幸せだった。

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