33 / 36

第33話

 ようやく、煜瑾(いくきん)文維(ぶんい)はゲストハウスに戻り、2人きりになった。  昼間のガーデンパーティーで充分に食べた煜瑾と文維は、(ぼう)執事がダイニングに並べた簡単な夕食に目もくれず、すぐに2階の主寝室に向かおうとした。 「せっかくの母の気持ちなので、このケーキは寝室に持って行きましょう」  急に思い付いたらしい文維に言われて、煜瑾はニッコリした。(ほう)夫人のケーキは、とても美味しくて、煜瑾を幸せにする。パーティーの参加者全員で分け合い、最後の一切れを煜瑾のために茅執事がここに運んでくれたのだ。  ガラスのドームの中に入れられた、ピンク色のカワイイケーキを手にして、階段へ向かおうとした煜瑾だったが、ふと、後をついてくるはずの文維を振り返った。 「文維?」  文維はキッチンの冷蔵庫を開けて、中を覗いていた。どうやら飲物を探しているようだ。 「ケーキをいただくときのお茶のしたくなら、サブの寝室にミニキッチンがあって、お湯を沸かすことができますよ」  無邪気にそう言った煜瑾に、文維はミネラルウォーターの瓶を手にして振り返った。 「いえ。これから『汗をかく運動』をするので、喉が渇いた時用の水がいるかな、と思って」  初心(うぶ)な煜瑾をからかうような笑いを浮かべた文維に、やはり煜瑾はキョトンとしていた。 「汗をかく…運動?」  口に出して、初めてそれが何を意味するのかを気付いた煜瑾は、真っ赤になって文維をカワイイ視線で睨みつけた。 「もう、文維!知りません!」  恥ずかしくて堪らない煜瑾は、それだけを言って階段を駆け上がった。   そんな初心(うぶ)晩熟(おくて)なままの煜瑾に満足して、文維はフッと笑って「婚約者」の後を追った。  文維が主寝室のドアを開けると、部屋は落ち着いた間接照明だけの雰囲気のある状態になっていた。 「煜瑾?」  名前を呼びながらベッドへ向かうと、煜瑾は天蓋のカーテンを下ろしてしまい、まるで文維を拒絶しているようだ。そんな風に()ねた煜瑾がまた、可愛らしくて、愛おしくて、文維は急いで寝台に近付いた。  重厚な孔雀色の(とばり)を開くと、そこにはまだ透けるほど薄い白いカーテンが掛かっている。その向こうに見える煜瑾が、妙に遠くに感じて文維は慌てた。  勢いよく白いシルクを払うと、驚いたように煜瑾が振り返った。 「文維?」  パッチリと見開いたどこかあどけない黒い瞳。それを縁取るような黒々とした長い睫毛。この印象的な煜瑾の眼を、一度見たら誰もが魅了され、忘れられなくなる。  汚れを知らない白い肌の清冽さも、整った鼻筋や紅い口元も、何もかも文維には完璧な美貌に思えた。

ともだちにシェアしよう!