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ー 初夏の候 ②
隊舎の三階にある執務室に海人が呼ばれて入ることは滅多にない。
イリアスが執務机につき、ダグラスがその前に立ったので、海人も並んだ。
シモンは扉を閉め、ダグラスの後ろに控える。
この三人が呼ばれるということは、海人の異能絡みだろう。
一度は王宮で暮らせと言われた身だが、一転、リンデに戻れることになった。あのときの哀しみと喜びはまさに急転直下だった。
あれから半年が過ぎていた。
執務室で初夏の陽射しを背に受けながら、イリアスは言った。
「来週、ドーラ街道で魔獣討伐をする」
ドーラ街道というのは王都へ向かう道のことだ。
リンデを出て、最初の宿場町までの街道のことをいう。イリアスは続けて言った。
「そこにカイトも連れていく」
少し驚いた。自分は魔獣とは戦えない。足手まといになるだけだ。
同じことを思ったのか、ダグラスも解せない顔で尋ねた。
「カイトを? なんでまた。それ以前にドーラ街道はこの時期、平和そのものですが?」
魔獣討伐は魔獣が人里に現れる少し前に行うものらしい。時期的には冬から春先にかけてだ。リンデ辺境警備隊は海人が王都から戻ったあとくらいに、近郊の魔獣討伐を行っていた。
ぼんやり思い出していると、イリアスは父親ほど年の離れた部下に向かって言った。
「カイトが魔獣を惹きつけることは知っているだろう」
その一言に頬がわずかに強張る。
王都へ向かう途中で立ち寄ったカルの里、そして王宮を襲った竜のこと。
ダグラスは何が起こったのか聞かされていたのだろう。神妙に「ええ」と返事をした。
シモンは黙ったままでいる。彼はすでに身をもって知っていることだ。
自分の体内にあるという『第五の霊脈』は魔獣には魅力的に映るらしい。
ただ、海人にはどうすることもできない。歯がゆくて、唇を噛んだ。
イリアスは淡々と話す。
「とはいえ、カイトがここにいても、魔獣が街まで来ることはなかった。魔獣の活動時期であってもだ。それはこの半年でわかったな?」
ダグラスは髭を撫でながら、宙を見据えた。
「そうですな。ルンダの森の魔獣も、これといって数が多いとは思いませんでしたなあ……」
イリアスに顔を戻す。
「なんの問題もありませんな」
力強い言いっぷりに海人はほんの少し安心した。
イリアスはうなずきつつも「だが」と言って、机に両肘をつけた。
「カイトがこの街で暮らしていく以上、どの程度、魔獣を惹き寄せるか知っておかねばならない」
イリアスは海人の方は見なかった。
「どの時期に、どの場所で、どれくらいの魔獣が惹き寄せられるのか。隊を総出で動かさねばならなくなったとき、その情報は必要だ」
「たしかに。カイトは隊長と共にいることで力を発揮しますからなあ」
ダグラスがにやりと笑い、横目で海人を見た。海人はうつむいた。
力を発揮する場面はさっき見られたばかりだ。
しかもイリアスは恋人のキスをしながら、力を持っていった。自分がわあわあ言っていたのも、当然聞かれただろう。再び恥ずかしくなって、頬が赤らむ。
いつもであれば、年嵩の部下は若い上官の色っぽい話をネタにからかうが、さすがに今はしなかった。
「では、その情報収集の手始めに、危険度の低いところで試してみるということですな」
イリアスがうなずく。
「しかし、カイトを危険に晒すことになりますな。カイトはそれでいいのか?」
ダグラスが半身を向けた。海人はすかさず答える。
「必要なことなら、かまわないです」
決意を込めると、イリアスは組んでいた手を解いた。
「カイトは我々が守る。心配するな」
ダグラスとシモンも海人を見てうなずいた。海人は心強く思ったが、同時に申し訳ない気持ちになった。
今、イリアスは「私が守る」とは言わなかった。
「我々」と言った。辺境警備隊隊長としての責務を感じた。
魔獣退治は命を落とすこともある。
ダグラスは先ほど、海人を危険に晒すと言ったが、それは逆だ。自分がみんなを危険に晒している。
海人が口を結ぶと、イリアスが何かを察したようだ。
「どうした?」
相変わらずの無表情だったが、心配してくれているのがわかる。海人は迷ったが正直に話した。
「なんか……みんなに迷惑かけてると思って……」
自然と声が小さくなった。すると、それまでずっと黙っていたシモンが口を開いた。
「カイト、それは違うぞ」
振り返ると、友人の真剣なまなざしがあった。
「おまえは魔獣ホイホイだ」
まじめな顔と言葉のギャップに目が点になった。
イリアスとダグラスもシモンを見た。
「魔獣討伐は森に入って、魔獣を探さなきゃいけない。運が良ければすぐに見つかるけど、まったく見つからないときもあるんだ。いつも同じ場所にいるわけでもない。何日も捜索するんだ。討伐で少量しか狩れないと、活動期に街道にけっこう出て来る。だからある程度狩るまでずっと続けるんだ」
そういえばルンダの森の魔獣討伐が行われたとき、隊の三分の一くらいの人が一週間程出かけて行き、帰ってきたと思ったら、別の人たちが出て行ったのを覚えている。
それを何回か繰り返していた。
「運が悪いときは一週間以上、見つからないときもある。これはけっこうきつい」
シモンの顔がげんなりしている。経験があるのだろう。
しかし、打って変わって晴れやかに言った。
「けど、カイトがいれば探さなくていいんだ!」
肩を掴まれた。
「おまえに惹かれて、あっちから勝手に出てきてくれるんだぞ⁉ これって俺らにはすげえありがたいことだ!」
目を輝かせて、ダグラスの方を向く。
「ですよね、副官!」
ダグラスもまた「そうだな」と笑った。シモンは上官たちの前できっぱり言った。
「俺は早く家に帰りたい‼」
海人は吹き出した。
「わかった。おれは魔獣ホイホイになる」
「そうだ。だからしっかり呼び寄せるんだぞ!」
ダグラスが声を立てて笑った。イリアスも心なしか目元が柔らかい気がする。
落ち込みかけた自分を気遣ってくれたのだろう。
海人はこの優しい人たちのためにも「自分のせいで」と思い過ぎるのはやめようと思った。
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