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ー 初夏の候 ⑥
ドーラ街道の魔獣討伐に出て、三日が過ぎた。
その日の午後、海人はシモンに剣の相手をしてもらった。基礎はダグラスに教わっている。
護身用に習っている剣だったが、いざとなったとき身体が動くように、誰かに相手をしてもらえと言われていた。
シモンは気心が知れているので、頼みやすかった。駐屯地の中庭で稽古をつけてもらい、海人の息が上がったので、シモンが終わらせた。
海人は隊舎に向かって歩きながら稽古の振り返りをした。
「おれがすぐに剣を落とすのって、シモンが強いから?」
基本的にシモンは海人の打ち込みを受けていたが、たまに切り返してきた。
何度か受けると、海人は剣を落としていた。シモンは考えるそぶりをした。
「ん~。俺が強いっていうより、カイトの筋力がないんだな。手とか腕とかの」
ずばり言われてしまい、ちょっと悲しくなった。技量の問題ですらなかった。
同い年なのに、情けない。がっくり肩を落とすと、シモンは海人の背中を叩いた。
「毎日振ってれば、強くなるって」
「もう半年たつんだけど」
「たかが半年でなに言ってんだ、このヒヨッコめ~」
隊舎の入口前でシモンがおどけたので、海人も笑いながら「なんだとおっ」と振り返って手を上げた。
瞬間、「きゃっ」と小さな声が聞こえた。
それと同時に海人は身体を引かれた。
背後にいたシモンに引っ張られ、彼にぶつかったところで「前っ」と言われた。
顔を向けると、目の前に女の子がいた。彼女もまた海人にぶつかりそうになったところを、イリアスが抱き留めていた。
隊舎に女の子がいる!
海人は驚いて口が開いた。
イリアスは「失礼した」と言って、彼女の腹部に回した手を開き、身体を離した。
海人もハッとした。
「すみませんっ!」
大慌てで謝った。危うくぶつかるところだった。
「いえ……こちらこそ」
少女はそう言ったあと、ぶつからないように止めてくれたイリアスに顔を向けた。
「ありがとうございます」
礼を言ってから、再び海人を見た。
海人も少女を見た。
海人より頭ひとつ分、小さい。
目が大きくて、口も小さい。白い肌に瞳の色は緑色、鼻筋も通っている。
薄茶色の髪は緩やかに腰まであった。
あどけない顔をしており、一目瞭然の美少女だった。海人は思わず見惚れた。
少女も目を丸くしていたが、にっこり笑った。
「黒い髪、素敵ですね」
声も可愛らしくて、海人はどぎまぎした。
「あ、ありがとうございます。初めて言われました」
この国では黒髪が珍しいことは知っていたが、褒められたことはなかった。
照れてしまい、首筋を撫でた。
「お国はどちらですか?」
一番困る質問がきた。すると「リエンヌ嬢」とイリアスが口を挟んだ。
「はい?」
振り返って見上げた少女に、イリアスがうっすらと笑みをたたえた。
「彼は王家から預かっている者だ。詮索なきよう」
少女は言葉を咀嚼するかのように少し時間をかけ、海人に向き直った。
「失礼いたしました」
深々と頭を下げられた。
「あ……いえ、気にしないでください」
これはおそらく、どこかの国の賓客と思われたに違いない。
良質なワンピースに上品な受け答え。彼女は間違いなく貴族の御令嬢だ。
海人の身の上を探らせないためには、庶民相手にはイリアスの世話になっている、で黙らせられる。
イリアスは貴族だ。
庶民は貴族のあれやこれに口出ししない。
では貴族相手にはどうするのかと思っていたが、まさか王家を出してくるとは。
確かに、ルテアニア国王はイリアスに海人の面倒をみるように言っていたので、嘘ではない。
嘘ではないが、ただの庶民の海人には、身分不相応も甚だしく、居たたまれなくなるのだ。
「あの、頭を上げてください」
不安そうに顔を上げた少女に、海人は笑ってみせた。
少女は安心したようだった。
今度はイリアスに向き直る。
「サラディール様。今日はありがとうございました。とても勉強になりました」
イリアスはうなずくと、居合わせたシモンを見た。
「彼女をルヴェン家まで送ってくれるか」
「わかりました。馬車はどちらに?」
「歩いて帰るそうだ」
無表情だったが、呆れているのがわかった。それを知ってか知らずか、少女は無邪気に言った。
「歩くのは好きなんです」
そしてシモンを引き連れるように、軽やかな足取りで隊舎を後にした。
後ろ姿を見送って、海人はイリアスに尋ねた。
「ルヴェン家って、ドーラ街道で出くわした馬車の家?」
「ああ。あのとき中にいたそうだ。礼を言いにきた」
「え? あの子ひとりで?」
イリアスがそうだ、と言ったので、海人は目を見張った。
「貴族のお嬢様がお供もなしで、歩いて男だらけの辺境警備隊に来るって、普通のことなの?」
とても普通に思えなかったので、あえて口にしてみた。イリアスは腕を組んだ。
「ありえんな。あれは世間知らずではすまん。だが、節度はある。家の教育が悪いわけでもなさそうだ。単に変わった性格なのかもしれん」
イリアスは淡々と述べたが、海人は吹き出しそうになった。
そういう彼自身もまた、貴族でありながら辺境警備隊の隊長などをやっている。
十分変わり者だということは、隊員たちが口を揃えて言っていた。
「なんだ?」
海人が笑みを浮かべていたのが気になったのか、訊いてきた。
「ううん、なんでもない。あ、そういえばさっき」
海人はふと思い出したことを口にした。
「おれとぶつかりそうになって、あの子をかばったよね」
イリアスは海人を見下ろした。
「あれ、お姫様を守る騎士っぽくて、かっこよかった」
昔、物語で読んだ世界を現実で見られて、ちょっと感動した。
「美しい姫君と騎士って感じ! 美男美女ですごく似合ってた」
海人は素直な感想を言ったのだが、
「私は騎士っぽいのではなく、騎士だ」
イリアスはいつもより低い声で言うと、踵を返した。
去って行く後ろ姿に、海人は「やってしまったかも」と思った。機嫌を損ねたかもしれない。
たしかに騎士に対して、騎士っぽいというのは、失礼だった。
それよりも海人は気にかかったことがあった。
それはイリアスが彼女に微笑んだことだった。
王宮で貴族を相手にしていたときも、丁寧ではあったが愛想笑いはしなかった。
珍しいこともあるなあと、ぼんやり思った。
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