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ー 盛夏の候 ⑤

伯爵が今夜は帰れないだろうと言っていた。イリアスもいつ帰ってくるかわからない。 あくびが止まらなくなった海人は、燭台の火を消そうかなと思ったときだった。 扉を叩く音がしたので返事をしたら、イリアスだった。ソファに座ったまま、海人は口元を綻ばせた。 「おかえりなさい」   白を基調にした詰襟の夜会服はイリアスにとても似合っていて、もう一度見たいと思っていたのだ。寝てしまう前に帰って来てくれてよかった。胸の高鳴りが止まらないほどかっこいい。   イリアスは海人の近くまで来ると、視線をテーブルに落とした。 「兄上がいたのか?」 「あ、うん。ちょっと前までね」   テーブルの上には二人分のグラスが残されていた。ユリウスは蒸留酒を飲みながら、イリアスの帰りを待つ海人に付き合ってくれていたのだ。 「……何をしていた」 海人は内心、首を傾げた。怒っているような声だった。 「カードを教えてもらってたんだ」   この世界にもトランプカードのようなものがあった。絵柄は違うが、ゲームルールは似たようなものだった。 海人は駐屯地で隊員達とたまにカードで遊んでいたが、ユリウスが教えてくれたのはポーカーに似ていた。貴族が好んで遊ぶカードゲームなので、知っておくといいと言われた。 「覚えがいいって褒められたんだよ」   ポーカーの地方ルールだと思えば、そう難しいものでもなかった。基礎があったからだったが、褒められるのはうれしい。 「でも、全然勝てなくて。すぐに顔に出るからわかりやすいって、馬鹿にされた」   そうは言うものの、ユリウスとのゲームは楽しかった。イリアスにはいつもその日あったことを話している。 楽しかったこと、うれしかったことを言うと、目を細めて「よかったな」と言ってくれるのだが。 「……どうしたの?」   黙っている彼に剣呑な雰囲気を感じた。海人が不安を滲ませると、イリアスは海人の隣に座り、急に抱き寄せた。胸に顔が埋まったとき、鼻を掠めた匂いに驚いた。香水の匂いだった。   イリアスがキスをしようとしてきたので、海人は反射的に突き飛ばした。立ち上がって、ソファから離れた。 「カ……イト……」   目を見開いたままイリアスが呟いた。海人も動揺していた。  表情を変えないイリアスが驚いた顔をしている。   イリアスはこれまで女の人を近づけるようなことはしなかったのに、服にねっとりと移り香があった。いつもと違う、色めかした格好で出かけたイリアスが、女の匂いを付けて帰ってきた。   ―女の人と、なにをしていたの― 海人は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。 何か言わなければと思ったが、女の人のことは聞きたくなかった。 「ユ、ユリウスさんいるし。急に入ってくるかもしれないから……」   海人は苦しい言い訳をした。沈黙が流れたが、それを破ったのはイリアスだった。 「……そんなに、兄上が気になるのか」   押し殺した声に、海人は眉をひそめた。 「兄上にはディーテがいるんだ。カイトがいくら惹かれようが……」   イリアスが何を言おうとしているのかわからず、腹が立って途中で遮った。 「そんなことわかってるよ。だからなに」   イリアスは口を紡ぐと、何も言わずに部屋を出て行った。   海人はギュッと唇を噛んだ。以前、シモンに嫉妬しないのかと訊かれたことがあった。 しないと答えたが、嘘だった。   イリアスに香りを移せるほど近づくことを許された女の人がいる。 自分にするように、その人を触ったのだろうか。   海人の胸がギュッと苦しくなる。 彼の手が自分だけのものではないかもしれないと思ったとき、海人は見えない女の影に嫉妬した。

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