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第7話
「和将、水春の様子は?」
病院に先に到着していた和将に、晶は訊ねると、和将は肩を竦めた。
「飲まず食わずで霊安室から動かないよ。……本当に兆候がなかったようで、病巣近くの大きな血管が破れて……そのまま」
和将から水春の母親の状態を聞かされ、それはショックが大きいだろうな、と晶は呟いた。
晶はそっと霊安室に入ると、母親のそばで項垂れて座る水春を見つける。
「水春……悪ぃ、遅くなった」
水春のそばに行くと、彼は顔を見せないまま、晶に抱きついてくる。
胸の辺りに水春の頭がきて、思わず撫でてやりたいと思ったけれど、またあの嫌な女がフラッシュバックして、止めた。
「何も、できなかった……」
水春の声が震える。
『将来は私を楽させてね』
赤い口紅が笑う。
(くそ……今ババアはいらねぇってのに)
晶は頭が痛くて顔をしかめた。都合いい時だけ俺を頼るな、と記憶の中の母親を奥に追いやる。
「水春……少し休め」
晶がそう言うと、水春は更に腕に力を入れてきた。子供のように駄々をこねて離れない水春の頭を、優しくポンポン、と撫でる。
『え、何かの冗談よね、晶ちゃん』
また母親が余計な事を言ってくる。
(うるさい……)
自分は異常でも何でもない。普通に女装が好きで、普通に男が好きなだけだ。
「水春」
もう一度名前を呼ぶと、水春は顔を上げた。すっかり顔色を無くした水春は、泣いたのだろう、目が赤く充血している。
「お前、その顔で母親を送り出すつもりか? 気になって天国に行けないだろ。……少し休め」
晶は痛む頭から気を逸らしながら、水春を上手く説得する。
「晶さん…………すみません、じゃあ少し休みます」
水春は立ち上がり、霊安室から出ていく。代わりに入ってきた和将が、これからの事を話してくれた。
「葬儀は最低限で済ましたいと、水春の希望があったから、この後お母様を葬儀場に運ぶ予定だよ。多分あと一時間後くらいかな。このご時世、どこも混んでて葬儀屋さんも大変だね」
少子高齢化の影響で、火葬場も順番待ちが出る地域まであるらしい。
「悪いな。手続き関連に慣れてるお前に、任せる形になるけど」
「私の知ってる晶はもっと人使い荒いんだけどね。人の死に目にまで文句を言うほど、私は非常識じゃないよ。……晶は大丈夫かい? 君も休んだ方が良い。それに……」
よく喋るな、と晶は思う。和将は口の端を上げた。
「今一部始終見ていたけど、君たちはなかなかお似合いだよ」
「はぁ? 冗談よせ、こんな時に」
しかも亡くなっているとはいえ、母親の前だ。
冗談じゃなく、と和将は言う。
「だからね、安心して良いですよって、お母様に言ったよ、心の中で」
「勝手に俺らをくっつけるな」
晶は口を尖らせると、霊安室を出ていった。
◇◇
数日後、火葬まで全て終わらせた水春と晶は、母親のお骨と共に晶の家に戻ってきた。
「さ、すぐに元通りって訳にもいかねぇけど、和将も手伝ってくれる事だし、また仕事再開するぞ」
最近は暖かくなってきたから動きやすい、と晶は伸びをしながらコートを脱ぐ。ちなみに、葬儀の場でも、晶はTPOを弁えた女装をしていた。
「その事なんですが、晶さん。オレ、付き人辞めようかと思います」
水春は真っ直ぐ晶を見て言う。そうなる事を予想しなかった訳じゃないけれど、晶の声も尖る。
「あ? 何でだよ」
「だって……もうオレの夢は叶えられない訳ですし。今更メジャーデビューしても意味がありません」
思った通りの答えが返ってきて、晶はため息ついた。
「じゃあお前、売れたいって言ってたのも嘘だったのかよ」
「……っ」
「曲作りが楽しくなってきたって、あれも嘘か?」
晶がそう言うと、弾かれたように水春は叫んだ。
「だって、一番聞いて欲しい人はもういないんですよ!?」
しん、と張り詰めた空気が流れる。
「……お前の夢は、メジャーデビューして、母親だけにその曲を聞かせる事だったのか?」
「……っ」
ハッとした水春は悔しそうに唇を噛んだ。
「こっちに来い」
晶は歩き出す。水春も大人しく付いてきた。向かった先は、グランドピアノが置いてある部屋だ。
晶は蓋を開けると、椅子に座って手を擦り合わせて指を温める。冷えているけど、多分大丈夫だ。
一呼吸して、優しく鍵盤を押していく。曲は、『アメージング・グレース』だ。
水春も知っているだろうと思って弾いた曲だけど、誰に向けた演奏なのか気付いた水春は、途中で目頭を押さえて、ついには声を上げて泣き出した。
弾き終えてなお余韻が残る空気に、晶は泣く水春を見つめて言う。
「これは水春の母親へ」
水春は声にならないのか、何度も頷くだけだった。けれど、そこには後ろ向きな空気は無く、水春はぎゅっと骨壷を抱きしめたのだった。
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