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第12話
(何でよりによってババアがいるんだよ……)
晶はそう思いながらも、営業スマイルを浮かべた。
「久しぶりだね、お母さん。あ、僕、鳥羽晶と申します」
後ろで水春が反応した気配がする。頼むから黙っててくれよ、と心の中で願った。
「存じ上げております。私はこういうもので……」
母親の隣にいた青年が名刺を出す。政治家の卵らしいこの青年は、母親の餌食にされたのか、可哀想にと晶は裏で悪態をついた。
「晶ちゃん、しばらく見ない間にとっても綺麗になったのね。お母さん感動しちゃった」
「いやいや、鳥羽さんの方が綺麗ですよ」
(勝手にやってろこのバカップルが)
心にも無いことを言う母親に、晶は吐き気がする。自分と同じくらいの歳の男性と付き合っていることも、嫌悪感に拍車をかけた。
(しかも離婚したのに、まだ鳥羽を名乗ってやがるのか)
「本当に、自慢の息子なのよ? 小さい頃から優秀で……」
晶は、その話は止めろ、と思うが母親は止まらなかった。
「何でも器用にこなせて、将来は医者か政治家が夢だったものね」
それはアンタが押し付けた夢だろ、と晶は頭が痛くなってくる。自分の都合いいように、記憶を改ざんする事も、この母親の特徴だった。
「あの時の夢は諦めちゃったけど、今はこうして別の道で、立派に活躍してるものね。今は……どれくらい稼げているの? テレビで晶ちゃんが映る度、お母さん心配で……私が出ていって、この子は自慢の息子ですー! っていつも言いたくなるの」
晶は目眩がした。全然変わっていないどころか、自分が否定した音楽の道で上手くいってるところを利用しようとするあたり、悪い方へ進化している。
「ねぇ、またお母さんと一緒に、今度はテレビの世界で上を目指しましょうよ。大丈夫、晶ちゃんならやれるわ」
晶は痛む頭を我慢しながら、大きく息を吐いた。もう、何もかもが気持ち悪い。目眩もどんどん酷くなる。
でも、ここはハッキリ言うチャンスだ。この母親からの呪縛を解くには、この人の言う事を聞いてはいけない。
「悪いけど……僕は一人でもやっていけるよ」
心臓が痛いほど大きく脈打つ。もうこの母親から逃れたい。そう思って、晶は決死の覚悟で二度目の反抗をする。
すると、頬に衝撃が走った。続いて反対の頬、そしてまた反対の頬。
「何言ってるの? ずっとお母さんの言うこと聞いてきたじゃない」
ぐい、と腕を掴まれた。そしてまた何度も頬を叩かれる。叩かれた頬が熱くなって、晶は一気に感情を奥に押しやる癖が出るのを感じた。
「誰がここまで育ててやったと思ってるの? ねぇ!?」
母親の手が晶の髪の毛を掴む。彼女が大声を出した事で、周りもその異常さに気づき始める。
晶は頭痛と吐き気で抵抗もできず、小さい頃のように母親の癇癪が終わるのを耐えるしかない。
「反抗なんてしないわよね!? 晶ちゃんはそんな子じゃないよね!?」
すると、また身体をぐい、と引っ張られた。
「女装なんかして、それで反抗してるつもり!? お母さんに反抗する悪い子なんか、誰が必要とするのよ!」
「……っ!」
頭をグーで叩かれる。こうやって、味方は母親しかいないと思い込ませるのが、この人のやり方だった。
晶の脳裏にまた、唇を歪ませた母親が現れる。記憶でも現実でも、母親に責められ、晶の精神はおかしくなりそうだった。
すると、外野から落ち着いてください、と誰かが駆け寄る足音がする。
「何よ! 一人じゃ何もできないクセに、お前は私の言うこと聞いていれば良いのよ!」
母親の声がどんどん遠ざかっていく。どうやら助けてくれた人がいるらしい、とホッとして足の力が抜けた。
「晶さん、大丈夫ですかっ?」
水春の声がするけども、現実じゃない感じがして悪寒が止まらない。ギュッと目をつぶっても世界が回り、気持ち悪くなってえずく。
「水春………………たす、けて……」
するとギュッと身体を抱きしめられた。しっかりした二の腕に、晶は縋り付く。
「大丈夫、オレがいます。お母さんはもういないです」
しかし興奮状態の晶の身体は思うように落ち着いてくれず、今度こそ本当に吐いてしまう。
「……っ、う……っ」
こんな所で大失態だ、と晶は生理的に浮かんだ涙を拭った。しかし、吐き気は治まらない。
「急病の方はこちらかな? 東くん、部屋を案内するよ、一人で運べるかい?」
木村の声がしたと思ったら、身体がふわっと浮いた。水春に抱っこされたのだと気付くのに、数秒かかる。
「また吐きそうになったら言ってください」
水春にそう言われて、木村に案内された部屋へ入った。ホテルなのでいい部屋だと思うけれど、晶にはそこまで見る余裕は無い。
「横になります?」
「いや、トイレ……」
言う通りトイレの前に降ろされると、すぐに第二波が襲ってくる。水春が背中をさすってくれた。
「……っ、悪ぃな……」
しかし先程よりは身体が落ち着いてきた。顔を上げると、思ったより真剣な水春の顔があり、晶はドキリとする。
「少しは落ち着きましたか?」
「……ああ」
晶は洗面台で口をすすぐと、鏡に映った自分を見て酷いな、と苦笑した。
髪の毛がボサボサで、寝癖より酷い。頬も赤く腫れていた。
「嘘つかないでください」
水春は晶の手を取る。
「まだ震えてる……」
「……っ、あまり触るな……」
晶が手を引くと、水春は両手で頬を包んできた。
ヒリリと痛みが走る。それに顔を顰めると、痛かったですね、とそっと撫でられた。
晶は反射的に水春の手を叩いてしまう。
「触るなって、言ってるだろ……っ」
「何故ですか」
そう言いながら、水春は晶のまとめあげた髪を、器用にピンを取って下ろしていく。ピンが一つ一つ、床に落とされる音に、晶は何故か酷く動揺した。
「……助けてって言ったじゃないですか」
確かに言った。けれど、今の水春の行動がどう繋がるのか。
水春は晶の髪を全て下ろすと、頭を撫でる。真剣な眼差しに、晶は恥ずかしくて目を合わせられなかった。
「晶さんは、綺麗で可愛いです」
「……っ」
「晶さんは、オレの母が亡くなった時、助けてくれました。今度はオレが助ける番です。だから……」
水春は顔を近付けてくる。
晶はこの状況に、緊張して心臓が口から飛び出そうだった。
「ちょっと待て、何だよこの状況……っ」
「晶さんが悪いんですよ? こんな、露出度の高いドレス着て……」
水春は晶のスリットから覗く脚を撫でた。思わず身を竦めると、またあの母親が眉間にシワを寄せる。
『女装なんて気持ち悪い』
「……っ!」
晶は思わず口を押さえた。
「大丈夫です。今いるのはオレであって、あの人ではありません」
「……っ、いや、無理……っ」
晶は水春の胸を押して距離を取ると、水春は短く息を吐いた。
「大体、触っていいなんて、言ってないだろ……」
乱れた呼吸の合間に喘ぐように言うと、水春はまた晶の両手を取った。しっかりと握られ、目線を合わせるよう言われる。
(何だよ……何でこんなに緊張するんだ……)
心臓が破裂しそうだ。身体は嫌だと言っているのに、全神経が水春の言動に集中しようとしている。
「晶さん、こっち見て」
水春の声は優しい。けれど逆らえない何かがあった。うるさい心臓の音で、周りの音が聞こえなくなるんじゃないか、と晶は水春を見る。
「晶さん、オレは晶さんが好き。だから助けます」
水春は握った晶の手にキスをした。
「全部教えてください。晶さんの事……」
「……っ」
水春の眼差しに、晶は心臓が止まるかと思った。顔どころか全身が熱い、こんな風になる自分は初めてで戸惑う。
(……限界だ)
晶の心は折れた。もう、自分の気持ちを抑え、隠し通す事は無理だと悟る。
そう思ったら、今まで抑えていたあらゆる感情が溢れ出てきて、それが涙となって溢れた。
「……っ、う」
晶は目を伏せるとポロポロと涙が落ちる。こんな不安定な自分、幼い時でも無かった。
(思えば最初からだった……ずっと無視してたけどもう無理だ)
「水春……」
「……ん?」
「お前が、すき……」
やっとの事でその言葉を言うと、水春は何も言わず、額にキスをくれた。
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