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第4話◆仮面の剥がれる音を聴け

 地球特有の、こんなに穏やかで美しい春の陽気を煩わしく感じるのは、私の中に花も冷えるような苛立ちの感情が渦巻いているからでしょうか。  目の前には、終始おどおどとして鬱陶しい様子の編入生さん。うふふ、目を覆う長い前髪と大きな眼鏡がよくお似合いで。外資系大手企業の、しかも一人息子さんということですが……世間の先入観や親の期待という重圧に押し潰されて道を外してしまったんでしょうか。絶対にこのままでは上流の社会では通用しなさそうです。  まったく、いくら捜索が難航し学園にやって来る人間という人間を徹底的に調べ上げることに血眼になっているとはいえ、こんなにも身形や話し方に教養が感じられない人間をなぜあの方は受け入れたのでしょう。  そう、こんな人間が私たちの母星ダークネスを滅ぼした"N"であるはずがない――。  魔法少年N。これは星間聖戦の歴史を学ぶ者や地球を狙う惑星に棲む者なら、必ず耳にしたことのある呼称です。六年前、シャイニスを制圧し地球侵略を初めて企てた星を、一匹の小動物のみを引き連れたった一人で壊滅させたといわれる地球人。歴史的に見ても極めて最近の出来事であるはずなのに、その正体は謎に包まれ飛び交う噂や憶測だけで既に神格化されています。  故に、少年と伝承されるくらいなのでせいぜい十代と予想するのですが、本当の正体は筋骨隆々の屈強な大人であるとか、恐ろしく妖艶な顔と肉体を持った美青年であるとか、とにかくありとあらゆる出所の不確実な情報で溢れているのです。  つまりこれは、一切のデータがないということを意味します。  神風那由多(かみかぜなゆた)……頭文字にNのつく人間なのでそれでもほんの少しは期待をして差し上げたのですが、これでは裏切りもいいとこです。  ――なのに。いえ、だからでしょうか。私のこの心を掻き乱すような苛立ちの感覚は何なのでしょう。自分でもコントロールの効かない、「無性に」としか言い表しようのない怒りの感情が私の脳を、心を支配します。  いくら地球に来てから自信に満ち溢れた者、自分こそが上位であると確信している者、容赦のない勝ち負けの世界で生き延びてきた者にしか出会わず、清々しく過ごしてきたからとはいえ、この目の前のちっぽけな人間にここまでの怒りが湧くでしょうか。  校舎前の、目地の美しい石畳の敷かれた広場にぽつりと佇む華奢な人影。ああ、私の手を煩わせる人間が五分前行動のできる人間でよかった、と思うのも束の間。顔を上げた彼と目が合った瞬間、あれ? と私は思ったのでした。  笑顔の仮面を掛けるのですが、口元にヒビが入って上手く貼り付かないような、顔の皮膚が引き攣るような感覚。私は心のどこかで解っていました。目が合ったほんの刹那の、彼の露出した厭世的な眼差しにゾクゾクとしたのです。“あなたも”なんですね――。  私は外れかけた仮面姿のまま彼に話しかけました。自己紹介をし、編入生さんの乾ききったぼそぼそとした返答は欲望のままに一刀両断する。考える前に口が先に言葉を発する異様な感覚が、だんだん恐怖にも似た怒りから愉快さに変換されていく快感を覚えました。  神風さんの、相変わらずの躓いたような小さな返事を聞いて稲妻のように感情が私の脳に落ちた瞬間(とき)、私は足を止めて振り返りました。衝動のままに編入生さんの顎に指を掛け、ジッとレンズ越しの瞳を覗き見ながら思うのです。試しに“暴いて”みましょうか、と。 「何も……隠していません……」  ですが、私の衝動は彼の怯えた声を聴いて霧散していきました。私は気がついていませんでした。“愉しみ”は取っておこうと考えたのです。そしてこれからもっともっと愉しくしてしまおうと、そう考えたのです。  結果、私は触れたことを詫びてから、春めく学園の廊下で怯える神風さんに忠告(優しく)してしまいました。 「よろしいですか? ……ここ煌輝学園は幼稚舎から大学院に至るまで女性と言う女性を一切排除した、超男性社会で成り立った学園です。余計な甘やかしや色恋に現を抜かさない、自己責任の精神を徹底的に叩き込むためだったみたいなんですが、ばかですよねえ? そんなふうに抑圧したところ人間の欲求なんて抑えられるわけがないじゃないですか。  で、そうであるのにそれを発散する環境が一切ない。その結果、何が生まれたと思います? はい、猿ですね。この学園の、特に高等部の皆さんは大変野蛮で節操がなく、欲望を満たす為なら手段を(えら)ばない猿共の集まりなんです」  突然の方向性の見えない話に、目を瞬かせ黙りこくっている神風さんはそのままに「学力はあるはずなのですが、お恥ずかしい話です」と付け足してから、私は尚も続けました。 「ですから、端的に言いますと、煌輝学園(ここ)の学生さんの六割がバイセクシャル、三割がゲイで、ストレートの方は残りの一割いるかいないかだけなんです。もちろんこんなもののデータを取ったわけではありませんが、感覚的には間違いないですね。  ええ、別に校則に書いてあるわけでもないですし恋愛は方向性も方法も本来自由であるものですから、いいんですよ? ただ、一方的な行為って果たして皆さんの大好きな恋愛なんでしょうかねえ……ふふふ。  ここの皆さんは、それはそれは面食いでお顔の良い方が狙われやすいのですが、それでもそんなこと言っていられない守備範囲の広い方もいますから、どうぞ神風さんも気をつけてくださいね」  ああ、仮面がバラバラと崩れ落ちていく音が聴こえるようです。もちろん神風さんは私のことなどどうでもよく、私の話す内容にこそ神経を注がれているので問題はないのですが……。

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