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第4話◆仮面の剥がれる音を聴け 後編

 私が最後にガシャン、と自身から剥がれ落ちたものの音を聴いた時、神風さんは薄らと頬を染めました。私は笑顔でその様子を眺めました。まったくもって意味が分からず、再びこめかみに青筋が浮かんでくるのを自覚しました。 「う、うわあ……すごい……」 「神風さん? どうされたんですか」 「あ、あの……うれしいって言うのも変なんですけど……で、でもなんというか、感動しちゃって。あの、それって、その……ゲイだってことで、虐められることはないってことですよね」 「虐め? ええまあ、そうでしょうね」 「わあ……!」  何に感動し何に期待されているのか分かりませんが、あの虚ろな眼差しを垣間見せた同じ人間とは思えない光をその瞳に浮かべて、神風さんはソワソワと体を揺らしました。いやあなた、このままだと他の理由では虐められますよ?  どういうわけだか、先ほどから予期せぬことしか起きません。自身に関わる物事が自身の手に負えないまま進んでいくというのは、こんな感覚なんですね。私は結局簡単に再燃してしまった苛立ちに笑いが込み上げてきました。ああ、どうにも感情が抑えられません。私は一体、どうしちゃったんでしょう――。 「ふふふっ。神風さんは愚かで哀れで、とーっても腹が立って愉快でたまりませんねえ。あなた、後半の猿の話聞いていました? 聞いていませんよね。まあいいです。  さあ、もうそちらが職員室ですよ。そのままどうぞ呑気に、おどおどふわふわしながら可哀想な学園生活を満喫してくださいね。痛い目を見てボロ雑巾のようになるのが楽しみです」 「え? あっ。す、すみません……そそ、そうですよね。注意、してくださったんですよね。あ、あの、お忙しいのに丁寧に、どうもありがとうございました」  焦る言葉とヘコヘコとばかにしたような神風さんのお辞儀を見て、私は苛立ちで脳がどうにかなってしまいそうでした。そんな態度でいて、私のこの怒りの感情がまったくもって伝わっていないし効いていないのです。  「では、機会がありましたらまたお会いしましょう」と、私はこの学園では武器になる笑顔を最高の硬度を持って浮かべながら告げました。癇に障るふりゃりとしたお辞儀をダメ押しされたあと、私はそのまま彼の頼りない背中が豪奢な扉の先に消えるまで見送りました。  苛立ちを無意識のうちに手のひらに流していたらしい私は、手元のバインダーがパキパキとひび割れる音に気がついてはいませんでした。ふふ、「機会」なんてものはこちらがいくらでも作りますからね――。 * * * 「おっ、清流ちゃんおっかえりー……って、ウソウソウソ?! 仮面どこやっちゃったのっ?!」  始業式の準備が進められるアリーナに着き、恐らく生徒会メンバーが簡単な打ち合わせをしているであろうステージ裏にまわると、こちらに気づくや否や同じ三年Sクラスの会計・七海(ななうみ)が驚いた声をあげました。 「七海、それはどういう意味ですか」 「いやいや、そのまんまの意味だよ! いつもの一分の隙もないあの美人スマイルはどうしちゃったのさ」 「どうもしてませんが?」  そう笑顔で答えると、七海は私を避けるように双子の片割れである書記の十六(とおり)に身体を寄せました。 「こ、こわ〜! 十六(とーり)くんやばいよっ。清流ちゃんのいつもなら笑顔で隠れる怒りが、今は透けて見えるよぉ!」 「あはは。七海さん、僕はこれはこれで面白いと思うけどね」  十六は丸眼鏡の智に触れながら軽い笑みを浮かべました。彼の方が一学年分歳下だというのに、七海なんかよりもずっと落ち着いています。でも二人は愉しく新しいもの好きという共通点があるからか、妙に仲が良いです。過ぎるほどの個性の豊かさ故にか、個の能力は非常に高いのに足並みを揃えるのが苦痛な私達にとって、この二人は珍しいパターンと言えるでしょう。  現に双子の兄の十五(とおご)は腕を組んだまま騒ぐ二人を静観し、輪に入ろうとはしません。そしてこんなバラバラのメンバーを有事の際はまとめ上げる力量を持つ宵闇(よいやみ)は、私に淡々と告げました。 「打ち合わせは滞りなく進んだ。あとは十五分後の開会を待つだけだ。お前は入学式(明日)が重労働だから、今日は基本いるだけでいい。在校生の動向に目を光らせておけ」 「ありがとうございます。では、十分間のみ神風那由多の報告を。まず結論を述べますと、彼は引き続き追っておいた方がいいと思います」  メンバー全員が「誰が?」という顔をしてこちらに視線を向けました。あなた達、こういう時だけは息ぴったりですね。 「私がやりますが?」 「珍しい。無駄を嫌う時間の鬼が! 逆に気になる、めっちゃ見てみたい」  七海の騒ぐ横で宵闇が口を開きました。 「理由は?」 「終始おどおどふわふわ、到底Nとは思えない人間なんですが。あまりに異質で編入生……エリート高校をハイスコアパスした人間にしては不審点が多く、毛色が違うという意味では充分に怪しいかと」 「お前を分かりやすく怒らせるくらいだからな」  七海や十六ほどあからさまでないにしろ、宵闇は声に私を興がる音を含ませました。 「とにかく、私には神風那由多のサーチは無駄とは思えないということです。むしろいつまで経ってもNのしっぽを掴めない方が時間の無駄ですから。  というわけで、私は神風さんに付きますからあなた方は明日の新入生の調査を頼みますよ? ねえ、七海」 「あーん、あっという間にいつもの清流ちゃんに元通りだよ! 新入生どんだけいると思ってるの、鬼!」  ようやく完全な怒りを収めた私はいつも通り笑みを深くしました。七海の言う通り、もう仮面が割れてるだの透けてるだの言われることはないでしょう。なのでこのまま、衝動に任せてかけたことは黙っておきましょう。さらに大騒ぎされること間違いないですから。  私は神風那由多さんを暴く日を思って、付け直した笑顔の仮面に愉悦の色を混ぜました。

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