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2章【そんなに拒む理由を消さないで】 1

 それから、一ヶ月間。  カナタは何度も、ツカサと肌を重ねた。  ツカサは、変わらない。  カナタのことを『可愛い』と言い続け、四六時中そばにいようとした。  仲が良すぎる恋人同士のような関係性を、ツカサはカナタに求め続けたのだ。  これは、どう考えても【恋人同士】ではないというのに。  それでもカナタは、何度も何度もツカサを拒絶しようとした。  だが、そのたびに。  ──『カナちゃんは、今日も可愛いね』と。  そう言われ、抵抗できなくなったのだ。  我ながら単純すぎてどうしようもないと、カナタは自らの浅ましさを何度も呪った。  もとより、カナタは【可愛いものが好き】で【女装癖がある】というだけで、決して【男が好き】というわけではない。  ゆえに、ツカサとの性行為はカナタが望む交流ではないのだ。  それなのに、カナタはツカサに抱かれるといつも、淫らに果ててしまう。  そんな性に従順すぎる自分の体も、カナタは数え切れないほど呪った。  ……けれど、ツカサはただ強引なだけではない。  恋人としてキスやセックスを強要してくること以外、ツカサは確かに優しいのだ。  引っ越してきて一週間、カナタが心を許していた相手として。  ツカサは狂人ではあるが、顔だけではなく内面にも【いい男】としての素質を内包していた。  ただ純粋に、カナタにとって【恋人関係の強要】が、受け止められないだけで……。  それでも、ツカサは最低限の常識を持っているのだろう。 「──いらっしゃいませ」  こうしてカナタが仕事をしている最中は、過剰ななにかを要求してこないのだから。  来店した客に駆け寄り、カナタは空いているテーブルへと案内をする。  そのままメニュー表を渡し、お冷を用意しようと一時的にテーブルを離れた。  奥へ向かうと、ツカサがひょっこりと姿を現す。 「ハイ、お水。持って行っていいよ~」 「あっ、すみません。ありがとうございます」 「どういたしまして~」  慌てて水の入ったグラスを運び、お客から注文を伺う。  そしてすぐに、カナタはツカサとマスターがいる厨房へと向かった。 「注文、ここに置いておきます」 「ありがとう、カナちゃん。……マスター、コレ頼んでもいい?」 「なんじゃと! ツカサ、また休憩するつもりか!」  カナタから受け取った注文が書かれた紙を、マスターに横流し。  その後、ツカサは肩をグルリと回した。 「相変わらずマスターは人聞きが悪いなぁ。今から俺がすることも、立派な【仕事】なんだけど?」  そう言い、ツカサは厨房から姿を現す。  その様子を、カナタはぼんやりと眺めた。  ツカサはカナタを振り返りもせず、店内のとある場所まで歩き始める。  そして、店の隅に置いてある椅子へ、腰掛けた。  ──それは、ピアノだ。  店内にいるお客は、先ほど来店した一組のみ。平日ということもあり、客足は上々と言えない状態。  そんなとき、ツカサは度々厨房から抜け出しては、店内の隅にあるピアノを好きなように弾いていた。  それはある意味、ツカサが言っていたように【仕事】だ。  ピアノが置いてある位置は、外からも見える場所。  つまり、ピアノを弾いているツカサの姿は、店の外から丸見えだった。  ──とどのつまり【見目麗しいツカサがピアノを弾いている】というその状況こそ、効果的すぎる集客行為だったのだ。 「気に食わんのう! ツカサにピアノを教えてやったのはワシじゃというのに!」  マスターは苦言を呈しながら、着々と調理を進めていく。  カナタはそんなマスターを見て、なにも言えずに苦笑いを浮かべた。

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